会員のサークル「日美」

当会会員が任意に別途行っている主に日本の寺社・仏像・美術など研究するサークルです。
その歴史文化活動の案内や報告をお知らせするページです。

日本美術史同好会

●連絡  斎木敏夫 080-2064-3131 メールアドレス istinkus@jcom.zaq.ne.jp

令和元年5月例会 博多の古刹と肥前名護屋城跡を訪ねて 
担当 大岩泰 TEL.0466-25-7571 携帯 090-7943-6770

遣唐使から遣明使までの間、日本は中国(宋、元)や朝鮮との正式の国交はありませんでしたが、民間交易は活発でした。博多の大寺社が主にその拠点となったこともあって、商人や僧侶の往来も活発に行われていました。その様子等、ご住職から直接お話をうかがえると思います。今回は代表的な寺社を訪れて文化財を拝観しつつ、そうした歴史を感じていただけるものと思います。なお、二泊三日の中日には唐津、呼子方面に足を伸ばして、世界遺産の唐津「おくんち」曳山展示館、秀吉が朝鮮出兵の拠点とした「肥前名護屋城跡」等を訪ねます。加えて、古美術品を多く収蔵している福岡市美術館(3月、リニューアルオープン)や蒙古襲来の後に築いた元寇防塁(発掘復元)、なども訪ねます。なお蒙古沈没船のいかり(石で作られている)は以前市内の随所で見られたようですが現在は主要寺社に保存されていて文化財(県指定。考古資料)となっています。大勢の皆様にご参加いただけることを期待しています。


◆月 日 令和元年5月28日(火)~30日(木)  二泊三日、ホテルは連泊。
◆集 合 5月28日(火) ホテルルートイン博多駅前 1階ロビー13時30分(博多駅そば)
各自昼食は済ませてください。なお参加者には締切後に昼食場所の案内図(駅中に数多くありますが予約できません)、JR博多駅からホテルへの接続ルート、空港からの地下鉄による博多駅への連絡など幹事から郵送いたします。
◆アクセス
①航空機 (四月号時刻表による) 出発直前にご確認願います。時刻変更、多少早まること等もあります。JAL311  羽田空港 9時20分→福岡空港 11時15分 (幹事は当便利用)
ANA 245  羽田空港 9時  → 福岡空港 10時50分
②新幹線 さくら549  新大阪 9時17分 →新神戸9時31分 →博多 11時54分
なお、関東の方は 東京 6時50分→博多11時57分 (のぞみ7号)も利用できますが特急券のジパングによる割引は利用できません
◆行 程◇国史跡
○重文 △県指定 □市指定 ◉はガイド(住職、神職、学芸員、歴史ガイド)
<1日目> 5月28日 徒歩(約2.5キロ 平地)、地下鉄
13:40 ホテル出発(荷物はホテルに一括預けます)当日地下鉄2回 400円各自でお願いします。
14:00 ◉承天寺 博多三禅刹の一。○本尊 釈迦如来坐像○両脇侍○銅鐘(朝鮮鐘)□唐門△碇石
博多剛首 謝国明、太宰少弐・武藤資頼の支援により聖一国師(円爾)が開創。東福寺末。
15:00 ◉妙楽寺  開山・月堂禅師による。1316年開創。本尊釈迦如来
承天寺、聖福寺ともに「勅願寺」でしたが妙楽寺は商人や外交とのつながりのある異色の寺。
「ういろう伝来の地」の石碑あり。博多練塀。
16:00 聖福寺 博多三禅刹の一.◇境内○木造十六羅漢像△銅鐘 丈六の3世仏(本尊釈迦如来)
1195年開創。博多練塀。 開山栄西 開基頼朝。後鳥羽上皇辰筆の勅額「扶桑最初禅屈」。
17:00 福岡市役所1Fロビーミニチュアーで祭を再現、「博多まつばやし」及び博多祇園山笠見学。
18:00 夕食 ブッチャーズ博多天神店  パスタ料理 18時~20時  TEL 092- 718 -2073
20:30 ホテル着  ホテルルートイン博多駅前  シングル、ツイン TEL 092- 477- 8885
<2日目>5月29日(貸切バス利用)
8:00 ホテル前出発
9:20 ◉旧唐津銀行本店 △建物 辰野金吾監修の建物。唐津は辰野金吾と盟友・曽根達蔵 出身地。
10:20 唐津神社 ご祭神 第一宮 住吉三神、第二宮 神田広次(平安時代に神社創建した領主)
神功皇后が三韓征伐に臨み当所で祈願したとの伝承あり。江戸時代は藩主祈願所。
10:30 曳山展示場 「唐津くんち」は世界無形文化遺産。唐津神社のメインの祭事。(11月2~4)
11:50 昼食 いか本家いそ浜別館 いか活造り定食 TEL 0955- 82- 1113
13:00 ◉肥前名護屋城博物館 見学及び学芸員の説明。
14:10 ◉名護屋城跡見学 ◇国特別史跡 史跡範囲は名護屋城跡並びに陣跡(24カ所)。
15:20 道の駅「桃山天下」
18:00 ホテル着
18:30 夕食 ホテル内 「花の舞」和食宴会料理 TEL092 477 8887
<3日目>5月30日(貸切バス利用)
8:50 ホテル前出発
9:10 善導寺 浄土宗△本尊善導大師立像 △鎮西上人立像(本堂内拝観不可)△いかり地蔵 △梵鐘
10:00 筥崎宮 筑前国一宮  ○一の鳥居、○楼門、○拝殿、○本殿 △亀山上皇尊像 △碇石
ご祭神 応神天皇、神功皇后 玉依姫命
10:30 ◉恵光院筥崎宮の旧別当寺。唯一残っている関係から、他寺より引き継いだ仏像や絵画など多数。 本尊 薬師如来△不動明王坐像△弥勒如来坐像△釈迦如来坐像 十一面観音像(南宋由来)秘仏 石層塔(南宋由来) 灯篭堂 秀吉が箱崎宿陣の時千利休が茶を奉った所。
釈迦涅槃図の「絵解き」を予定。
12:00 昼食 「筥崎宮迎賓館」 昼のランチセット  TEL 092- 651- 1100
13:40 元寇防塁(西新) ◇ 市内10か所すべて国史跡。
14:20 福岡市美術館 ○旧東光院の仏像 他
15:30 櫛田神社 博多祇園山笠で有名。博多の総鎮守。ご祭神 天照大御神 大幡主命 須佐之男命 △碇石 博多練塀。
16:20 ◉住吉神社 筑前国一宮 ○拝殿 ○本殿 △銅矛6口、銅才6口 □能楽殿
ご祭神 住吉三神 (底筒男神 中筒男神 表筒男命) 相殿に天照皇大神 神功皇后。
17:30 福岡空港 解散
18:00 JR博多駅 解散
◆参加費  50,000円
◆締切 令和元年5月7日(火)
 指定申込用紙でお振込みください。当日付郵便局消印まで。
◆復路のアクセス
航空機  19時以降の出発便を予約ください。
JR(関西方面) 博多18;42→新大阪21;25
以上

京都・嵐電沿線の文化財めぐり レポート 
平成31年3月19~20日
10時20分京都駅八条口に23名が集合し、貸切バスに乗り、旅が始まった。堀川通を北に向け進み、左折して今出川通に入り、上七軒の交差点で右折し、駐車場に入った。
千本釈迦堂(大法恩寺) 真言宗智山派の寺院
1227年義空上人により開創された寺だ。上人は奥州平泉の藤原秀衡の孫だそうだ。境内に入り、本堂(国宝)を見上げた。創建時の建物で入母屋造、桧皮葺だ。周りに壁はなく、蔀戸(シトミド)や引違戸のみでよくも戦乱を逃れ、今日まで残ったものだ。京都洛中で最古の国宝建造物、それに次ぐのが三十三間堂だ。堂内に入り、本尊にお参りした。本尊の釈迦如来坐像(重文)は秘仏であるが東博で拝むことが出来たので思い出せた。快慶の弟子行快の作だ。須弥檀の横に「おかめ」の像がある。「おかめ」はこのお堂を建築した棟梁の嫁の名前で誤って柱を短く切った棟梁の失敗を斗栱で補うというアイデアで切り抜けることが出来た。女房の機転で失敗を補ったことが世間に知られたら棟梁の面目がつぶれると思い彼女は自殺した。それ以後寺では「おかめ」が大切にされるようになったそうだ。堂内には多数の「おかめ」の像が奉納され展示されている。境内には供養塔が建ち、「おかめ」の像があり、霊宝館の鬼瓦にも「おかめ」像が刻まれていた。堂内の柱には刀傷や矢傷が生々しく残っている。応仁の乱のときの傷跡だそうだ。お堂を出て霊宝館に入り、木造の釈迦十大弟子立像、千手観音立像、六観音菩薩像(いずれも重文)を拝観した。木造十大弟子立像は快慶と弟子行快の銘が一部の像に記されているそうだ。木造六観音像は肥後定慶作で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を救う観音とされている。その役目は地蔵信仰の広がりと共に六地蔵に引き継がれていった。台座も光背も造像当初のもので背面の隅々まで、精緻に彫られている。東博では光背を取り外し、その美しい背中も間近に見ることが出来た。銅造誕生釈迦仏立像(重文)は花まつりの本尊、右手で天上、左手で地を指している。誕生仏としては比較的大きい。木造千手観音立像は寺の創建より古い時代の仏像で衣文の飜波(ホンパ)は藤原前期彫刻の特徴を表している。傅大士(フダイシ)および二童子像(重文)の傅大士は輪蔵を初めて造った人、輪蔵はあちこちにあるが重文の傅大士は珍しい。ダ太鼓縁 一対(重文)はダの字がむつかしくて読めなかった。バスに戻り、鷹峯(タカガミネ)の方向に進み、坂を上るとしょうざんリゾートで広大な敷地に庭園、結婚式場、料亭、レストラン等多くの施設がある。

昼食 しょうざんリゾート京都 中国料理 楼蘭
もとは本阿弥光悦が徳川家康から拝領した土地であった。そして多くの芸術家や風流人が集まり、光悦村を形成していたそうだ。ウールお召しで財を成した西陣織の社長が昭和26年からこの地をリゾート地にしようと開発したそうだ。バスを降り、しばらく歩くと瀟洒な白い建物がある。中に入り、案内された部屋には三つの丸テーブルがあり、それぞれが分かれて座った。なかなか明るく雰囲気の良い店だと思った。中華料理だと大皿に盛られた料理を順番に分けて取るイメージだが今回はそれぞれに料理が運ばれてきた。ビールを飲み、浅利とナメコのスープ、海老の包み揚げ、点心三種と小龍包等を美味しくいただいた。皆さんの評判も良かったようだ。食後 バスは坂道を下り、金閣寺、龍安寺、広沢池等を横に見て大覚寺に向かった。
大覚寺 史跡、名勝 右京区嵯峨大沢町4
平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として造営されたのが始まり、鎌倉後期には旧嵯峨御所となり、大覚寺統の御所であった。南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのもこの寺であった。山門を入ると背が低く整えられた松が迎えてくれた。玄関から中に入り、鴬張りの廊下を歩き、まず宸殿(重文)を見た。宸殿は入母屋造、檜皮葺 蔀戸(シトミド)を用いた寝殿造風の建物で東福門院(後水尾天皇中宮)の旧殿を移築したものと伝えられる。白砂の前庭には「左近の梅、右近の橘」が植えてあり、梅の花が美しい。平安時代中頃からは桜が愛でられ、左近の桜が多くなったようだ。心経前殿の正面入り口が勅使門で中に入ると嵯峨天皇と空海の像が右奥にあり、中心には何もなく、庭の先にある八角円堂の勅封心経殿を拝むようになっている。中に嵯峨天皇他の歴代天皇が書写した般若心経を収めてあるそうだ。五大明王が祀ってある五大堂を見て大沢池(名勝)を眺めた。正寝殿(重文)は入母屋造、檜皮葺、桃山時代建立の書院造で対面所となっており、南北朝の講和が結ばれた所だ。一回りして外へ出た。バスはすぐ近くの清涼寺に向かった。
嵯峨釈迦堂(清涼寺)  右京区釈迦堂藤ノ木町46
嵯峨天皇の皇子源融(ミナモトノトオル、光源氏のモデル)の一周忌に当たる896年、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像(国宝)を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺(セイカジ)と号した。又東大寺の僧奝然(チョウネン)は北宋から987年に釈迦如来立像(国宝)を持ち帰った。その像を安置する寺は延暦寺の反対で建てられなかったが弟子が棲霞寺(セイカジ)境内に釈迦堂を造り安置したことにより始まった。二重門形式の仁王門をくぐり、早咲きの河津桜を見て本堂(府指定)に入り、本尊釈迦如来立像を拝んだ。本堂は綱吉・生母桂昌院の発願によるもので正面上には隠元禅師筆による「栴檀瑞像」の大額が掛っている。本尊は頭髪を縄目状に表現し、大衣に衣文線を同心円状に表すなど、当時の中国や日本の仏像とは異なった特色を示している。鎌倉時代西大寺の僧叡尊がこの像を本来の釈迦像として信仰したことにより、清涼寺式釈迦如来立像として多くの像が造られた。像内納入品納入品のうち「五臓六腑」(絹製の内臓の模型)を見て堂内を廻り、裏側の庭を見て外へ出た。境内の一角に経蔵があり、入り口に傅大士および二童子像が祀られており、中に入り輪蔵を見た。境内にある豊臣秀頼の墓石等を見てバスに戻った。嵯峨鳥居本を右の方へ行き坂を上り、トンネル手前の信号の手前でバスから降りた。
愛宕念仏寺(オタギネンブツジ) 右京区鳥居本深谷町2-5
8世紀中頃、称徳天皇により京都・東山今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺 (オタギデラ)として創建された。当時京都の四条の西院から東山方面にかけての地を愛宕郡(オタギテグン)と言ったそうでこの地名が寺の名前の由来だ。愛宕山(アタゴヤマ)の麓にあるある寺が何故オタギ寺かの理由が分かった。平安時代に天台宗の僧千観が復興し、名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。その後は興廃を繰り返したが最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。大正時代に区画整理によって現在の場所に移ったが昭和25年に台風によって被災して廃寺になった。昭和30年仏師で僧の西村公朝(1915- 2003)が再興した。彼は当時三十三間堂の千手観音の修理もしていたのと余りの荒れ寺に引き受けるのをためらった。それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」の激励で復興に取りかかったそうだ。
昭和56年から素人の参拝者が自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まり、現在1200体の羅漢像があるそうだ。仁王門をくぐり境内に入った。斜面に所狭しと羅漢像が並び、表情豊かな顔で苔むした姿を見せ、親しみの持てる像だ。ふれ愛観音堂に入り、金色の「ふれ愛観音」を拝んだ。ふっくらした顔でややたれ目で親しみやすい像だ。目の不自由な女性の姿を見て「触ってもよい仏像は今までなかった」ということに気づき、「ふれ愛観音」を造ったそうだ。本堂(重文)は方五間の単層入母屋造、本瓦葺で鎌倉時代のものだ。山の斜面に建つ「三宝の鐘」は三つの鐘の音律で仏の心を伝える鐘とされているそうだ。少し上に上がると公朝さん作の金色の弥勒菩薩立像がある。羅漢堂に入ると公朝さんの座像があり、その後ろに釈迦十大弟子の像がある。天井画も公朝さんの描いたものだ。拝観を終わり、約束の時間より少し早かったのでバスの来るのを待った。
本日の行程が終了し、JR嵯峨嵐山駅の北側でバスを降りた。連絡通路を渡るとすぐにトロッコ列車の始発嵯峨嵐山駅があり、駅に沿って左に歩くと今日の宿だ。

ホテルビナリオ嵯峨嵐山
部屋で荷物を降ろし、テレビの相撲を見て6時30分より夕食となった。美味しい酒と料理、楽しい語らいで時が過ぎ、更に部屋で二次会となった。翌朝風呂に入り、7時から朝食、近頃はヴァイキングが多いがここでは机に焼き魚、生卵、煮物、みそ汁、小鉢に入った京のおばんざい等が用意されていた。部屋で少憩し、荷物をホテルに預け、9時頃二日目の行程が始まった。二日目は貸切バスでない。最寄りのバス停まで歩き、大覚寺行きのバスに乗り、清凉寺前で下車した。仁王門から入り、境内を斜めに歩き、高麗門から外へ出て鴬の声を聴きながら二尊院に向かった。
二尊院
嵯峨天皇の勅願により天台座主円仁が平安初期に建立したことに始まる。鎌倉初期には法然が二尊院に住み、応仁の乱で諸堂は全て焼けた。16世紀に三条西実隆が本堂・唐門を再建した。
総門(市指定)は切妻造、本瓦葺、伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものだ。外側と内側の蟇股に椿が刻まれているのが印象に残った。総門を抜けた先に広がる真っすぐに伸びた200m程の参道は「紅葉の名所」として親しまれている。その先に唐破風の付いた勅使門があり、これをくぐると本堂(市指定)がある。勅使門は通常通れない所だがここは誰でも通ることができる。入母屋造檜皮葺の本堂に入り、木造釈迦如来立像 と阿弥陀如来立像の二尊(共に重文)を拝観した。極楽往生を目指す人を此岸から送る「発遺の釈迦」と彼岸へと迎える「来迎の弥陀」の遺迎(ケンゴウ)二尊と云われている。この像が寺名の由来だ。左右対称で金泥塗り、玉眼入りの像で釈迦は施無畏与願印を示し、阿弥陀は来迎印であるが左右対称にするため通常とは逆に左手が上になっている。このような印相は播磨の浄土寺の阿弥陀如来立像(国宝)にも見られる。本堂を出て境内を散策、石段を上がった所に角倉了以の一族の墓が有る。彼は徳川家康の政策により13回に及ぶ朱印船貿易で安南に渡り、貿易で財をなし、それを投じて大堰川、鴨川、高瀬川など各地の開削を行い、水運の父と称せられた。弁天堂は宝形造で通常宝珠のある所に鳳凰があり、弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神を祀るお堂だ。八社宮(市指定)は境内の東北に位置し一間社、流造、杮葺の建物で覆い屋に囲まれている。小倉餡の発祥地でもあるそうだ。境内を出てしばらくすると山茱萸(サンシュユ)の花があり、やや上りの道を歩くと常寂光寺の門前に出た。さらに進むと野宮神社があり、その先の竹林の道に進むと外人観光客が多く、スムーズに歩けない程であった。
天龍寺の横を通り、渡月橋の手前を右に曲がり、川沿いに少し歩くと昼食場所だ。

昼食 松ケ枝(豆腐料理)
部屋から見える庭は表に向かって高くなり、人通りが見えなくしてある。馬酔木(アシビ)が咲き誇り、庭石が配置され、苔が一面に植わっており、風情のある庭だ。豆乳スープ、つけもの、緑と白の市松模様の湯豆腐、生麩田楽等を頂き、ビールを飲み、最後にソバの実ちりめんご飯を頂いた。
食後 人通りの多い街並みを歩き、嵐電嵐山駅に向かった。嵐電一日フリー切符を貰い、電車に乗り、太秦広隆寺駅で降りた。
広隆寺 右京区太秦蜂岡町
広隆寺は603に年建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の七大寺の一つだ。入母屋造本瓦葺、楼門形式の仁王門をくぐり、寄棟造、本瓦葺の講堂を眺め、霊宝殿に入った。堂内は薄暗く、目がなれるまでに時間がかかった。左側に十二神将(国宝)が安置されている。定朝の弟子で「円派」の祖、長勢の作と伝えられ、後に十二支と習合する他の像に比し動きが少ない。正面の聖徳太子半跏像(重文)は桂宮院本堂の本尊だ。横に弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)(国宝)がある。韓国の国立中央博物館の弥勒像とよく似ている。赤松材で出来ており、多分新羅から持ち込まれたものであろう。横に一回り小さな弥勒菩薩半跏像(泣き弥勒)(国宝)がある。楠木で出来ており、飛鳥時代に造られたものであろう。振り返ると大きな不空羂索観音立像(国宝)がある。奈良末頃の作で像高313.cm、三目八臂の頭が小さく、脚が長くてプロポーションが良い。千手観音立像、(国宝)は平安初期、桧の一木造、像高は266cmと大きい。 地蔵菩薩坐像(重文)右手には錫杖を持たず与願印をしており、古いタイプの姿で翻波式衣文は深く刻まれる。この外にもあり、仏像に堪能した。境内を見て回り、駅に戻った。嵐山方面の電車に乗り、三つ目の車折神社で降りた。
車折神社 (クルマザキジンジャ)  右京区嵯峨朝日町23
駅からすぐに境内となっている。鎌倉時代に後嵯峨天皇が牛車で嵐山を訪れた時に神社の前で牛車(ギッシャ)の轅(ナガエ、牛車をひっぱる部分)が折れた。天皇はご祭神に気付かず前を通った非礼を詫び、「車折大明神」の号と正一位を贈られた。このことから車折神社と呼ばれるようになったといわれている。金運、良縁、厄除け、祈願の神社であるが境内社の芸能神社は天宇受売命(アメノウズメノミコト)を祀っており、芸能、芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。境内には河津桜がきれいに咲いていた。駅に戻り、電車に乗り、次の鹿王院で降りた。駅から南の方角に5分程歩き、右に曲がると山門がある。
鹿王院(ロクオウイン)  右京区嵯峨北堀町24
1387年に足利義満が開基した宝幢寺の塔頭であった。総門は切妻造、本瓦葺の四脚門で山号の「覚雄山」の額が掲げられている。門から方丈への長い参道は苔で覆われており、杉苔の上に落ちた一輪の椿が風情を誘っていた。本堂に上がり、市名勝庭園を眺め、廊下伝いに進むと宝形造、桟瓦葺、裳階付の舎利殿がある。中に入り、内陣にある舎利殿を拝んだ。堂内には仏涅槃図1幅と十六羅漢図16幅が掛けられている。天井は小組、格天井で柱は円柱となっている。
駅に戻り、一駅電車に乗り嵐電嵯峨で下車、ホテルに戻り、荷物を受け取り、解散となった。

初日に心配された雨もなく、お天気に恵まれ、河津桜、山茱萸、馬酔木等の花を愛で、美味しい食べ物をいただき、国宝、重文の数多くの仏像を拝み、素晴らしい旅であった。 齋木 敏夫

平成31年3月例会 京都・嵐電沿線の文化財めぐり 

担当 井口 孚 TEL.075-352-7556 携帯 090-2196-4718
30年度最終例会を迎えました。今回は京都・嵐電沿線の文化財めぐりと題して、下記の通り1泊2日の行程で計画いたしました。嵐山方面へは 本会でも何度か訪れておりますが今回は第2日目に嵐電に乗車して沿線の文化財を訪問する趣向としたいと思います。千本釈迦堂の仏像は昨秋の東京国立博物館での展覧会でご覧になられた方も多いと思います。また嵯峨釈迦堂の釈迦如来立像は各地に見られる清凉寺式釈迦如来立像のモデルの像です。当初の計画にございました等持院は改修工事のため、蚕ノ社は台風21号の被害のため、訪問先から除外しました。しかし数多くの国宝重文がご覧になれると思います。ご参加をお待ちしております。
なお、第1日目の貸切バスに定員の限りがございますので、お申し込みが25名に達し次第、受付を締切らせていだたきます。

(写真)大覚寺

 

 

 


一、月 日 平成31年3月19日(火)~20日(水)
一、集 合 3月19日(火) JR京都駅新幹線八条口 10時20分  時間厳守
一、行程                   ◎国宝、〇重文、△県指定、□市指定
一日目 3月19日(火) <貸切バス利用 >
11:00  千本釈迦堂(大法恩寺)  上京区七本松通今出川上る
本堂(1227年創建)は、幾多の戦火を免れ、創建時の姿をとどめている。京都市内最古の木造
建造物として、1952年に国宝に指定された。
◎本堂 〇木造十大弟子立像 10躯 〇木造六観音像 6躯 〇銅造誕生釈迦仏立像 他
12:00  昼食 しょうざんリゾート京都 中国料理 楼蘭 北区衣笠鏡山町47  075-491-5101
13:30  大覚寺 史跡、名勝 右京区嵯峨大沢町4
真言宗大覚寺派の本山で正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所ともよばれる。中秋の名月に大沢池に船を浮かべる「観月の夕べ」が有名。
〇宸殿 入母屋造、檜皮葺 蔀戸(シトミド)を用いた寝殿造風の建物、
〇正寝殿 入母屋造、檜皮葺 桃山時代建立の書院造建築
15:05  嵯峨釈迦堂(清涼寺)  右京区釈迦堂藤ノ木町46
嵯峨釈迦堂の通称で親しまれている。本尊釈迦如来は国宝であり、日本三如来の一つとして昔
から広く信仰されている。◎木造釈迦如来立像および像内納入品◎木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像
〇木造文殊菩薩騎獅像 〇木造帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像 〇木造地蔵菩薩立像
〇木造毘沙門天立像 〇木造毘沙門天坐像 –
16:10  愛宕念仏寺(オタギネンブツジ) 右京区鳥居本深谷町2-5 西村公朝師が復興した寺
愛宕街道と清滝街道が合流する山すそにある古寺で、本堂(重文)は鎌倉時代の建築。1955年に
天台宗本山より住職に命じられた西村公朝師が復興し、1981年より素人の参拝者が自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まった。〇本堂 鎌倉時代の建築。1200体の羅漢像
17:30 ホテルビナリオ嵯峨嵐山  JR嵯峨嵐山駅前  075-871-9711
シングルなし。ツインと和室(男性3~4名)。大浴場あり。
一人一部屋をご希望の場合は、参加費に加え5,000円必要です。
第2日目 3月20日(水) <徒歩、嵐電>
出発9:00  荷物はホテルに預ける。
9:30  二尊院  右京区嵯峨二尊院門前長神町27
「百人一首」で名高い小倉山のふもとにある。嵯峨天皇の勅願により、834年に開山した。
阿弥陀如来と釈迦如来の二尊(重文)を本尊とする。奥には百人一首ゆかりの藤原定家が営んだ
時雨亭跡と伝わる場所がある。〇木造釈迦如来立像 〇木造阿弥陀如来立像  阿弥陀像の施無畏与願印が通常とは逆になり、左右対称形となっている。
11:30  昼食 松ケ枝(豆腐料理) 右京区嵐山渡月橋北詰西入   075-872-0102
13:30  広隆寺  右京区太秦蜂岡町
渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院である。
国宝第一号弥勒菩薩半跏思惟像を霊宝殿で参拝。飛鳥、天平、貞観、藤原、鎌倉、それぞれの時代を代表する仏像が安置されている。
◎桂宮院本堂 〇講堂 ◎木造弥勒菩薩半跏像「宝冠弥勒」◎木造弥勒菩薩半跏像「泣き弥勒」
◎木造阿弥陀如来坐像 ◎木造不空羂索観音立像 ◎木造千手観音立像 ◎木造十二神将立像
14:30  車折神社 (クルマザキジンジャ)  右京区嵯峨朝日町23
金運、良縁、厄除け、祈願の神社であるが、境内社の芸能神社は天宇受売命を祀っており、芸能、
芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。例祭  三船祭(平安時代の舟遊びを再現)
富岡鉄斎が一時宮司を務め、鉄斎の作品が多数有り。
15:05  鹿王院(ロクオウイン)  右京区嵯峨北堀町24
美しい参道のある小さな古刹。臨済宗系の単立寺院で、山号は覚雄山。足利義満が春屋妙葩を開山と
して建立。本尊は釈迦如来。庭園 京都市名勝
16:30 JR嵯峨嵐山駅解散  ホテルビナリオにて荷物受け取り。JR嵯峨嵐山駅 → 京都駅着
一、参加費  ¥30,000円  ※一人一部屋をご希望の方は、35,000円です
一、締切 平成31年2月28日(木)指定申込み用紙でお振込み下さい。
当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
<往路・復路について>
JR東海(東海道新幹線)、JR西日本(京阪神在来線)とも、平成31年3月16日にダイヤ改正
が行われる予定です。往路および復路の列車の時刻については、各自でお調べください。 以上

平成31年1月例会レポート(日帰り)渋谷地区の文化財めぐり 
斎木敏夫
●恵比寿駅西口に10時 25名(後で2人参加)が集まり、都営バスに乗った。三つ目の停留所 東三丁目で下車して少し歩いた。
塙保己一(ハニワホキイチ)資料館
 温故学会会館は昭和2年に建築された鉄筋コンクリート造2階建で登録有形文化財だ。建物は「群書類従」版木(重文)の管理・保存の目的で昭和2年渋沢栄一、三井八郎右衛門らの努力により、完成した。階段を上り、二階の講堂に入った。外観とは打って変わって部屋は畳敷きで床の間も付いている。椅子が用意されており、そこに座って塙保己一について館長の話を聞いた。彼は1746年埼玉県本庄市に生まれ、1752年7歳の時に失明した。1760年江戸に出て雨富検校に入門するも針灸は上達せず、学問に打ち込むようになった。1763年に師匠の苗字をもらい塙姓を名乗った。その後 賀茂真淵に入門し、勾当に進んだ1775年に名も保己一と改めた。1779年「群書類従」の編纂を始め、完成までに40年の歳月を要した。その間の費用は大阪の豪商・鴻池などからの多額の借金により賄った。編纂の手順は塙が暗記した文章を読み上げ、それを弟子が書写し、更に版木にするため文字を刻むといった大変な作業であった。今まで盲目の人がどうやって成し遂げたのか不思議に思っていたが納得できた。1,819年に完成し、その二年後に亡くなったそうだ。関東大震災の時には倉庫が倒壊したが版木は消失を免れた。昭和20年の空襲に際し、周辺は焼き尽くされたが必死の消火活動により版木は守られたそうだ。原稿用紙の20字20行のスタイルはこの版木に始まるそうだ。昭和12年に来館した ヘレンケラーは「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。今日先生の像に触れることができたことは日本訪問における最も有意義なことと思います。」と云ったそうだ。
話が終わり、一階に保管されている「群書類従」版木を見て館を出た。
国学院大学博物館
館内に入り、女性職員から大学や当博物館についての説明があった。神社本庁の神職の資格が取れるのは本学と皇學館大学のみであるとのことであった。企画展 「神に捧げられた刀」が開催されており、まず見学した。布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)の複製の形状は珍しい内反り(通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲)でこのような剣は初めて見た。本物の布都御魂剣は石上神宮裏手の禁足地に埋められたが明治7年に当時の大宮司によって発掘され、本殿内陣に奉安され、御神体として祀られているそうだ。 その他北条氏綱が鶴岡八幡宮に奉納した太刀(重文)、源義経が箱根神社に奉納した「薄緑丸」が印象に残った。考古展示室で土器や青銅器、神道展示室では大嘗祭の模型等を見て館外へ出た。
最寄りのバス停でバスに乗り渋谷駅に向かった。
昼食 ビアーレストラン「ライオン」
京王井の頭線のターミナルビル4階のレストラン街にある。ピッチャーから生ビールをコップに注いで飲み、枝豆、ソーセージ、ピザ等を楽しくいただいた。 食後電車に乗り、駒場東大前で降りた。
旧前田家本邸 (重文)
明治時代当地には駒場農学校があった。同校は東大学農学部となり、本郷へ移転した。一方交換の形で前田家が当地に移ってきた。昭和初期に和館、洋館が造られ、終戦後は米軍に接収され、昭和32年までの連合国軍最高司令官官邸などとして使用されたそうだ。一帯は駒場公園となっている。平唐門形式の藥医門をくぐり、和館に入ってガイドの説明を聞いた。住居ではなく賓客を接待するために建てたとされ、床の間等の壁は金唐皮紙(キンカラカワシ)に似せて豪華である。違い棚や筬欄間(オサランマ)の花の透し彫り、橋本雅邦の描いた板戸等日本建築の粋を集めており、茶室もある。庭には兼六園に見られる徽軫(コトジ)灯籠や雪吊りがあり、金沢の殿様の家であったことがよく分かった。マッカーサー後任の連合国軍最高司令官リッジウエイが住んでいたそうでその頃洋風にした所もあったようだが現在は修復されている。次に洋館に行くと入り口には車寄せが付いており、建築はイギリスのチューダー様式だそうだ。1階は晩餐会を行なう重要な社交の場で2階は家族の生活の場であった。床は寄木細工で出来、絨毯は埋め込み式でバリアフリーとなっている。シャンデリアのデザインは各室ごと異なり、調度品の多くはイギリスから取り寄せたものだそうだ。華麗な侯爵家の生活を垣間見ることが出来た。
公園を通り抜け、日本民芸館に向かった。
日本民芸館 本館建物(収蔵庫、展示室)、西館(居館)いずれも登録有形文化財
この建物は柳宗悦(ヤナギムネヨシ)が民芸活動の中で収集した民芸品の保管場所として大原孫三郎の支援により建設されたものだ。館内に入り、スリッパに履き替えて中に入った。すぐに木喰作の地蔵菩薩像が目についた。この像は柳宗悦が山梨の小宮山邸で最初に見つけた像で木喰を世に広める契機となった。館内は特別展「柳宗悦好み」が開催されており、朝鮮王朝時代の白磁、民画、家具や日本各地の焼き物、染織、漆器、絵画、木竹工等を見た。2階には木喰自身像があり、足元に大きな瓢箪型の徳利を置き、にこにこ微笑んでいる姿を見て「いきなりに ころり丸まる そのよさは 寒さ忘るる 茶わん酒かな」という歌を思い出し、酒の好きそうな姿を思った。
一通り館内を見学した後学芸員から説明を聞いた。関東大震災のあと京都に転居し、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らと共に「民芸運動」を展開するようになった。それまで正当に評価されずタダ同然の安価で購入できた実用品、日常雑器の類に民衆的美術工芸の美を直観で発掘し、世に紹介することに努め、民芸という言葉を広めた。所蔵品は17,000点に及ぶそうだ。兼学を終え駒場東大前駅で解散となった。
寒い一日であったが楽しく見学が出来、案内していただいた森岡さんに感謝します。

平成31年1月例会(日帰り)渋谷地区の文化財めぐり 
担当 森岡 璋
TEL  03-3717-2205
携帯 090 8113 0966
渋谷区の東側には教育機関や資料館、博物館が集まり、文化の集積地となっています。又目黒区の駒場地区には東京大学、日本民芸館、旧前田侯爵邸等があります。大正から昭和にかけて活躍した柳宗悦(ヤナギムネヨシ)は陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、
河井寛次郎等と共鳴し、民芸の普及に努め、又当時無名であった木喰仏を世に知らせました。実業家の大原孫三郎の支援により、日本民藝館を開設し、収集品を収蔵しました。今回は渋谷東地区の国学院大学博物館、塙保己一資料館、駒場地区の旧前田侯爵邸と日本民芸館をご案内いたします。多数の皆様のご参加をお待ちしています。

実施日 平成31年1月23日(水)
<アクセス> ひかり506号 新大阪6:27 京 都6:42 品川9:33 山手線 外回りに乗換
集合場所・時間  JR恵比寿駅 西口(ロータリー前) 午前10時
行程 徒歩、鉄道及びバス(ICカード又は小銭をご用意ください)
10:20 塙保己一資料館 群書類従の版木(重文)は17,244枚に及ぶ。原稿用紙の20行20字詰はこの版木に始まる。
館長の説明予定
11:00 国学院大学博物館 考古展示室(地方、時代別に整理された資料を展示)、神道展示室(日本文化の基にある神道の資料)、企画展 「神に捧げられた刀」
12:15 昼食 ビアーレストラン「ライオン」京王井の頭線ターミナル4階レストラン街 Tel 03-5428-3612
13:40 旧前田家本邸 加賀前田家14代 前田利為侯爵が昭和5年に完成させた。
洋館(重文)は1年かけての改装が10月に完工したばかり、木造2階建の和館は庭園から見ると慈照寺銀閣に似ている。
15:00 日本民芸館 本館建物(収蔵庫、展示室)、西館(居館)いずれも登録有形文化財 柳宗悦(ヤナギムネヨシ)が民芸活動の中で収集した民芸品を保管場所として建設、所蔵品は17,000点に及ぶ。 特別展「柳宗悦好み」
一、解散 JR渋谷駅 17時30分
<帰路アクセス> ひかり525号  品 川18:10  京 都20:58 新大阪 21:13
一、会費 @5,000円
一、締切 平成30年12月28日(金)
指定申込み用紙でお振込み下さい。 当日付郵便局消印まで  口座番号00110-8-114212

平成30年11月例会のレポート 日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り 
斎木敏夫 ⇒日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り

平成30年11月例会のご案内 日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り 

日本美術史同好会 担当 西澤 好直 携帯090―4066―7699

平成9年から始まった日光東照宮・輪王寺の「平成の大修理」は、現在も継続されていますが、今回は既に修理を終え、その華麗な姿が再現された陽明門やこの秋に修理を終える輪王寺など二社一寺を拝観します。二日目は大谷川(ダイヤガワ)河岸の「憾満ガ淵」(不動明王の真言の最後の言葉“カンマン”からこの名前がついたと言う)、中禅寺湖畔に建つ中禅寺の本尊「十一面観音立像」(通称「立木観音」)、皇太子時代の大正天皇の静養所として建てられた「旧田母沢御用邸」、そして大谷石凝灰岩層の洞窟内に堂宇のある日本屈指の洞窟寺院・大谷寺と大谷石を刻んだ磨崖仏の本尊「千手観音立像」(脇堂には「釈迦三尊像」、「薬師三尊像」、「阿弥陀三尊像」の9体の磨崖仏があります)などを見学します。また、初日の昼食は明治時代に日本に初めて蓄音機を紹介したアメリカの貿易商「FWホーン」の別荘として建造された石造りの洋館レストラン「明治の館」(登録有形文化財)で気品溢れる空間での食事を楽しんで頂きます。宿泊は奥日光の湯ノ湖湖畔「休暇村日光湯元」でゆったり名湯に浸って頂きます。日光には皆様既に何度もお出でになっていることと存じますが、修理を終え、華麗な姿が再現された陽明門や輪王寺と名残の紅葉が期待される今回の例会に皆様のご参加をお待ちしております。

一、 月 日 平成30年11月14日(水)~15日(木)
一、 集 合 11月14日(水) JR日光駅改札口12時30分
<往路 アクセス>
京都方面 京都7:32(ひかり508号)→ 東京10:10着
東京10:36(やまびこ47号)→ 宇都宮11:25着 日光線11:33 →JR日光着12:17着
コース1日目(貸切バス)   ◎国宝、○重文、△県指定、□市指定
13:00 明治の館(登録有形文化財) 昼食 日光市山内2339-1 TEL 0288―53―3751
13:50 輪王寺 日光市山内2300 TEL0288―54―0531
天台宗・門跡寺院、天平神護2年(766年)勝道上人が開創。◎大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿、
○三仏堂、護法天堂、常行堂他○「木造阿弥陀如来及び四菩薩坐像」、○「五智宝冠阿弥陀如来像」
○「木造天海坐像」他 【注】常行堂及び大猷院内部の特別拝観ができます。
15:00 東照宮 日光市山内2301 TEL0288―54―0560
◎本殿・石の間・拝殿、陽明門、東西回廊など8棟 ○神楽殿、神輿舎、鐘楼など34棟、その他
18:00 ホテル 「休暇村日光湯元」 日光市湯元温泉 TEL 0288―62―2421
地元の食材を用いた会席料理、奈良時代に開湯した湯元温泉の源泉から引いた温泉をお楽しみ下さい。
2日目(貸切バス)
8:40 ホテル出発
9:00 中禅寺 日光市中宮祠2578 TEL0288―55―0013
天台宗寺院で輪王寺別院、勝道上人が創建、坂東観音霊場18番札所。○木造千手観音立像 延暦年間に「勝道上人」が立木にこの像を刻んだとの伝承から通称「立木観音」と称されます。
10:30 田母沢御用邸記念公園 日光市本町8-27 TEL 0288―53―6767
皇太子時代の大正天皇の夏の静養所として建てられた旧御用邸の建物と庭園。
○御座所・御食堂・皇后御座所・謁見所など10棟。
11:30 かんまんが淵 日光市匠町 TEL0288-22-1525(日光市観光協会)
並び地蔵(70体)石造不動明王像、対岸絶壁に「かんまん」の梵字が刻まれています。
12:30 報徳庵(昼食) 日光市瀬川383―1 TEL0288-21-4973
日光杉並木の例幣使街道沿い食事処で蕎麦を堪能して頂きます。
13:30 大谷寺 宇都宮市大谷町1198 TEL 028—652―0128
天台宗寺院、坂東三十三観音霊場19番札所 大谷凝灰岩層の洞窟内に堂宇のある洞窟寺院。
○千手観音立像(通称大谷観音)、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像 いずれも凝灰岩の岸壁に刻まれた磨崖仏。凝灰岩の壁面に概形を彫り出し細部を塑土で造形された石心塑像。
<大谷岩陰遺跡> 大谷寺洞窟は古代人が生活した痕跡がある古代遺跡で、1万1千年前のほぼ完全な形の屈葬された縄文人の人骨が出土、境内の大谷寺収蔵庫に保管展示されています。
<平和観音像> 大谷寺門前の大谷石石切り場跡に6年かけて総手彫りで昭和29年に完成した石像(総高88尺8寸8分、26,93メートル)。
【注】大谷資料館  宇都宮市大谷町909 TEL028―652―1232
(時間に余裕があり見学希望がある場合は帰路に立寄ります。)
大谷石地下採石場跡で、大正8年から昭和61年までの約70年間大谷石を掘り出した約2万平方
メートルの巨大な地下空間。戦時中は「中島飛行機」の地下秘密軍需工場、戦後は政府米の貯蔵庫として利用、現在はコンサート、美術展、地下教会などに活用。
15:10 JR宇都宮駅解散
一、会費  32000円
宿泊はツイン及び和洋室(3人)のみとなりますので、部屋割りは幹事一任とさせて頂きます。ルームメイト希望の方はその旨申込用紙にご記入下さい。
一、締切  平成30年10月30日(火) 指定申込み用紙でお振込下さい。
当日付郵便局消印まで  口座番号 00110-8-114212
一、帰路アクセス
宇都宮15:20(やまびこ214号)→東京着 16:16
東 京16:33(ひかり521号)→京都着19:11 →大阪着19:26  以上

30年9月例会 京の庭めぐりと古建築・仏像「京都御苑と相国寺」のレポート 
2018.9.27~28 齋木 敏夫
●近衛家別邸 御花畑屋敷跡町 ●上御霊(かみごりょう)神社 ●相国寺 ●京都御苑 ●相国寺承天閣美術館 ●同志社構内 ●冷泉(れいぜい)家 ●御香宮神社 ●黄桜記念館(キザクラ カッパ カンパニー) ●寺田屋(史跡) ●長建寺 ●月桂冠大倉記念館
⇒京都御苑と相国寺

30年9月例会 「京の庭めぐりと古建築・仏像」   担当 川 口 皓 生.

7月から猛暑となり、京都は連日35度を超える「猛暑日」で生命に危険な気温となりました。
「五山の送り火」が過ぎれば徐々に涼しくなっていくものと思われます。それを期待して9月例会のご案内をお届けいたします。日帰り(2日連続)の旅ですのでお好みのコースにご参加できます。
多数の方のご参加をお待ちしています。なお京都市営地下鉄、近鉄を利用いたしますが運賃は個人払いとさせていただきます。「ICカード」をご持参いただくか小銭のご用意をお願いします。
(Aコース) 「京都御苑と相国寺」
<アクセス> ひかり503 東 京7:33  品 川7:40 新横浜7:52 小田原8:08 名古屋9:18
米 原9:52 京 都10:11
在来線(新快速) 近江八幡9:08 野洲9:14 草 津9:21 京 都9:43
(新快速)芦屋9:15  大 阪9:30 新大阪9:35 高 槻9:46京 都9:58
一、集合場所   JR京都駅(在来線)中央口(烏丸口)10時30分
一、実施日  平成30年9月27日(木)   市営地下鉄烏丸線 京都⇒鞍馬口
11:00 近衛家別邸 御花畑屋敷跡 上京区森乃木町
薩長同盟ゆかりの地で平成28年5月に発見されました。近衛家と姻戚関係にあった薩摩藩家老小松
帯刀(たてわき)居住の屋敷で慶応2年当時朝敵となっていた木戸孝允(たかよし)一行が約10日間滞在し、西郷隆盛と会談し、坂本龍馬立ち合いの下、薩摩が長州の復権に尽力すること等が合意された場所です。
11:10 上御霊(かみごりょう)神社  上京区上御霊前通 応仁元(1407)年 応仁の乱発祥地
11:30 相国寺承天閣(じょうてんかく)美術館 今出川通烏丸東入 Tel 075-241-0423
「サンタフェリー・ダークスコレクション浮世絵最強列伝」の京都展、「臨済宗相国寺派の文化財」常設展
9月30日まで。* 65歳以上の方は200円の割引があります。健康保険証等年齢を証明できるものをご持参
ください。
12:30 昼食 京都ガーデンパレスホテル「京料理 花ごよみ」料理 「花投扇」上京区烏丸通下長者町
Tel 075-411-0404
13:30 蛤御門⇒猿ケ辻(京都御所鬼門の方角)⇒近衛邸跡
14:00  冷泉(れいぜい)家
明治維新で多くの公家が東京に移り住んだ中で京都に留まりましたが広い土地(750坪)の固定資産税の支払いにも窮しました。1970年代の学術調査で藤原定家の筆写した古今和歌集が見つかり、財界の支援で財団法人として「冷泉家時雨亭文庫」が1981年に発足の運びとなりました。
* 秋に数日間開放されるだけですので同志社大学徳照館の裏側から塀越しに時雨亭文庫を拝見します。
ハリス理化学館同志社ギャラリー 上京区烏丸今出川
(1) 有終(ゆうしゅう)館(2)独逸(ドイツ)人R.ゼール設計のクラーク記念館(3)英国人A・N ハンセル
設計の「ハリス理化学館」(4)チャペル(礼拝堂)(5)中学校校舎であった「彰栄館」はいずれも国指定の重文です。この地は新島 襄夫人八重の兄山本覚馬(かくま)が提供しました。
彼は会津藩士で京都に駐在し、西郷隆盛とも親交があり、薩摩藩邸跡を譲り受けました。「白そこひ」を患い、会津軍の京都撤退から取り残され、薩摩軍に拿捕されました。「建白書」を西郷隆盛に提出、それが認められて明治維新後も京都に在住し、京都市顧問、県会議員となりました。
15:50 地下鉄今出川駅で解散 二日間のご参加で宿泊ご希望の方は下記にホテルの電話番号を記しましたので各自予約して頂くようお願いします。
(京都駅近く)エルイン京都 Tel 075-672-1100、アパホテル京都駅前 Tel 075-365-4111
(Bコース)「伏見、桃山御陵前あたり」
一、実施日 平成30年9月28日(金)
一、集合場所・時刻 JR京都駅南北自由通路「新幹線中央口、近鉄八条口」 10時30分
集合場所は前日と異なっております。
近鉄京都駅⇒桃山御陵前(個人負担でICカード利用又は乗車券購入)
11:00 御香宮(ごこうのみや)神社  伏見区御香宮門前町 Tel 075-754-0120
(祭神)神功皇后.仲哀天皇.応神天皇他6柱小堀遠州所縁の庭園を作庭家 中根金作氏が想定復元
11:40 源空(げんくう)寺伏見区瀬戸物町 浄土宗の開祖の霊場.法然上人の名、源空が寺名の由来
12:00 昼食「神聖(しんせい)山本本家直営 鳥せい」伏見区上油掛町 Tel 075-622-5533
山本本家は日本酒「神聖」の醸造.養鶏をしており、「鶏肉弁当」とビール.お酒等を頂きます。
13:30 寺田屋(てらだや)伏見区南浜町
薩摩藩士の風体で宿泊していた坂本龍馬等が幕吏に逮捕されそうになった時、後に妻となった女中お龍の
機転で薩摩藩邸に逃げ込んだ。
14:30 長建寺(ちょうけんじ) 真言宗醍醐派  伏見区東柳町 本尊 八臂弁財天
15:00 黄桜記念館(キザクラ カッパ カンパニー) Tel 075-611-9921
伏見酒.黄桜酒造の醸造所 カッパの原画と地ビール
15:50 解散 近鉄桃山御陵前駅
一、参 加 費  Aコース  7,500円、 Bコース  8,000円、 両方  15,500円
一、申し込み締切 9月13日(木)指定申込み用紙にコース名ご記入のうえお振込み下さい。
当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
<帰路アクセス> ひかり528 京 都16:32 名古屋17:25 小田原18:36 新横浜18:51
品川19:03 東 京19:10
在来線(新快速)京 都16:29 高 槻16:42 新大阪16:53 大 阪16:57 芦屋17:14
(新快速)京 都16:31草 津16:52 野洲16:59 近江八幡17:05 彦根17:20   以上

7月例会 ■「狛江の遺跡散歩」レポート
⇒狛江散策

7月例会 ■狛江の遺跡散歩
担当 渋谷とめ子 TEL 044-877-9633 携帯 090-7425-9289
狛江の遺跡散歩(日帰り)
狛江は狛人(高麗人)の拓いた土地と云われています。摂津国に本拠を持つ高麗人が狛江に上陸し、その集団の一派・壬生吉志氏が更に北武蔵や埼玉県比企地方に移住し、
屯倉(ミヤケ)の監督に当たったと伝えられています。壬生吉志氏は7世紀には吉見百穴等のように横穴墳の埋葬の仕方を考案しましたが先住した狛江には5~6世紀の首長の帆立貝式古墳があります。
万葉集に載る多摩川の麻布晒しの句碑等を見て多摩川流域を歩きます。暑い最中です。歴史散歩には物足りない距離ですが木陰で休みながらみんなで思い描くのも一興かなと思っています。
多数の皆様のご参加をお待ちしています。

一、 実施日 平成30年7月8日(日)
一、集合場所・時間 小田急線狛江駅 改札口 午前10時
一、行程 徒歩(約2km弱)及び バス
10:10 曹洞宗 雲松山龍禅寺 天平勝宝元年(765)良弁僧都の創建と伝える。法相宗、華厳宗兼学の寺で
あったが戦国時代に曹洞宗寺院となり、禅の修行道場として龍禅寺衆寮と呼ばれた。家康の入府時この地に知行地を与えられた石谷氏の菩提寺、彦根の井伊家の墓所もある。本堂、鐘楼、山門は市指定文化財。
10:30 亀塚古墳 狛江百塚の内18基が現存。帆立貝式古墳で首長クラスの墳墓、副葬品 鏡「神人歌舞画像鏡」(BC200年後漢時代)他10面、正装の男子人物埴輪等(5世紀末~6世紀初頭)
11:00 兜(甲)塚古墳 宮山と呼ばれていた。円墳と思われていたが昭和62年の調査により、帆立貝式古墳の可能性が指摘された。被葬者は亀塚古墳の次の世代 か?
11:20 伊豆美神社 祭神は国常立尊 江戸時代まで六所神社と呼ばれていた。天文19年(1550)の多摩川の洪水に遭い、御霊神社のあった現在地に移転。
11:40 多摩川碑(万葉歌碑)都指定旧跡玉川碑跡
「多摩川に晒す手作りさらさらに 何ぞこの子のここだ愛しき」万葉集 巻14-3373
11:50 水神社 六所神社の在った所、六郷用水取り入れ口、
12:28 水神社 バス停 バスで狛江駅へ
12:40 昼食 大庄水産 狛江店 Tel 03-5761-5848
食後 時間に余裕があれば 「駄蔵塚古墳」等見学
一、解散14:00 後上野での暑気払いに参加する方は上野へ参ります。
一、会費 @1,500円
一、締切 平成30年6月28日(木)
指定申込み用紙でお振込み下さい。 当日付郵便局消印まで  口座番号00110-8-114212   以上

5月例会レポート ■博多周辺の寺社と史跡めぐり
日本美術史同好会 会長 齋木 敏夫
⇒博多周辺の寺社と史跡めぐり

5月例会 ■博多周辺の寺社と史跡めぐり
日本美術史同好会 担当 大岩泰
⇒日美5月例会案内

■津市の文化財めぐり催行
*斎木の「旅日記」ご覧ください。
⇒津市の文化財めぐり

■津市の文化財めぐり
平成30年3月15日(木)~16日(金)
津市は安濃(アノウ)川と岩田川河口の湿地帯に形成された三角州で古代には安濃津という港が築かれました。聖徳太子の創建と伝わる古刹四天王寺があり、平安時代には東国方面への都の重要な外港として琵琶湖畔の「大津」に対し安濃津を単に「津」と呼び習わしました。15世紀の終わり頃から16世紀の中頃にかけて浄土真宗の専修寺を中心として環濠に囲まれた自治都市が造られました。専修寺は昨年訪れた栃木の専修寺の後を継ぎ、浄土真宗高田派の総本山となり、如来堂、御影堂は最近 国宝に指定されました。戦国時代末期には織田信長の弟信包(ノブカネ)が津城を築き、織田信長生母と伝わる花屋寿栄禅尼の墓も残されています。江戸時代になると藤堂高虎が領主となり、現在につながる街づくりが行われました皆様のご参加をお待ちしています。
⇒平成30年3月例会

■目黒区の文化財めぐり
平成30年1月8日(月)
目黒は江戸時代幕府の朱引内図(江戸の範囲)の外に位置していたが、目黒不動尊が市民が日帰りで参詣できる景勝地だったことから町奉行の管轄内に含まれていた。七福神めぐりを行える寺町で平成30年新年の例会が行われました。
⇒目黒区の文化財めぐり

■仙台周辺の古刹めぐり
平成29年11月28日(火)~29日(水)
白石蔵王駅をスタートして片倉家中・旧小関家-白石城-当信寺を経て秋保温泉に宿泊。二日目は大崎八幡宮-龍宝寺-陸奥総社宮-多賀城碑-鹽竈神社等をまわり最後は松島瑞巌寺へ。陸奥伊達領の名跡を訪ねる旅が行われました。
⇒仙台周辺の古刹めぐり