会員のサークル「日美」

当会会員が任意に別途行っている主に日本の寺社・仏像・美術など研究するサークルです。
その歴史文化活動の案内や報告をお知らせするページです。

日本美術史同好会

●連絡  斎木敏夫 045-701-4802 携帯 080-2064-3131 メールアドレス istinkus@jcom.zaq.ne.jp

令和元年11月例会のご案内
堺・千利休と百舌鳥古市古墳群めぐり
                  担当 長尾 正和 携帯080-8021-8798 
堺市は、中世に自治都市としてわが国の歴史に名を残し、江戸時代には千利休を、近世には与謝野晶子を輩出しました。また、同市、羽曳野市、藤井寺市の3市の広域にわたって存在する「百舌鳥古市古墳群」は今年6月に世界遺産として登録されました。
堺市では二人のゆかりの地を、また市内にある百舌鳥古墳群では、日本最大のみならず世界最大の大王陵でもある仁徳天皇陵(大山古墳)および第3位の履中天皇陵(石津ヶ丘古墳)を訪れます。その東、古市古墳群では第2位の応神天皇陵(誉田山古墳)、およびわが国制定に大きな力を発揮したとされるヤマトタケルのご陵の一つ白鳥陵を訪れます。又、1日目応神陵に向かう途中で聖徳太子墓所のある叡福寺(えいふくじ)、古代飛鳥の多くの遺物や遺跡模型等を展示する「近つ飛鳥博物館」も立ち寄ります。
2日ともバスで巡ります。皆様のご参加をお待ちしております。

一、月 日 令和元年11月19日(火)~20日(水)
一、集 合 11月19日(火) 新大阪 10:40 新幹線中央出口(出口が多いのでご注意ください)の左奥・千なりひょうたん(秀吉馬印 集合場所シンボル)集合
一、アクセス ひかり503 東京7:33 新横浜7:52 小田原8:08 新大阪 10:26
一、行程  二日とも貸切バス     ◎国宝、〇重文、□国史跡
一日目 11月19日(火) <貸し切りバス>
10:50 出発・新大阪駅
11:30 昼食「かごの屋」藤井寺店 072-939-9290
12 :30 応神天皇陵 宮内庁より第15代応神天皇の御廟として治定(決定)されている。考古学名「誉田御廟山古墳」。長さ、体積共に仁徳天皇陵に次ぐわが国第2の前方後円墳。5世紀初頭の
築造。考古学界では被葬者について応神天皇の蓋然性は高いとされている。
13:00 誉田八幡宮 応神天皇陵南側に鎮座するわが国最古の八幡宮。歴代の征夷大将軍をはじめ、多くの武家の信仰を受ける。社殿は源頼朝により修復され、その後豊臣秀吉により再建された。
  ◎塵地螺鈿金銅装神輿(伝源頼朝寄進)、◎金銅透彫鞍金具 2具分
14:00 白鳥陵 宮内庁により日本武尊の陵に治定される。考古学名「軽里大塚古墳」。羽曳野市の名前の由来となっている古墳であり、「日本武尊は遠征の帰り道、伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなり、白鳥となって古市に飛来し、又埴生野の空を向かって羽を曳くように飛び去った」と伝え
られている。
14:30 叡福寺・聖徳太子御廟 聖徳太子、母・穴穂部間人皇女、妃・膳部菩岐々美郎女が埋葬
されているとされる磯長墓〈しながのはか〉(叡福寺北古墳)がある寺院。□国指定史跡。
〇聖霊殿(別名・太子堂)、〇多宝塔、〇三間多宝塔、〇高屋連枚人墓誌
15:30 近つ飛鳥博物館 古代の国際交流と国家の形成過程をテーマとする人文科学系博物館。
エリア全体が遺跡博物館ともいわれる陵墓・古墳の宝庫「近つ飛鳥」の中核的文化施設。建物は
安藤忠雄氏設計で日本芸術大賞受賞。
〇修羅2点・梃子棒1点、〇家形埴輪2箇・壺形埴輪3箇、その他古墳関連復元模型等多数展示。
17:00 堺市役所展望ロビー 地上80㍍から仁徳天皇陵古墳など堺のまちを360度展望できる。
17:55 ホテル着 「ダイワロイネットホテル」堺東
18:30 夕食 「にんにん」堺東本店 050-5593-6852

2日目 11月20日(水)  貸し切りバス
8:45 ホテル発
(経由) 与謝野晶子生誕地跡 市内道路沿いにある晶子の甲斐町生家跡の碑。「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑がある。
9:00 南宗寺 茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした縁があり、堺の町衆文化の発展に寄与した寺院。弘治3年(1557年)三好長慶が父の菩提を弔うために開山。臨済宗大徳寺派。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、再建された。枯山水庭園は国指定名勝で古田織部の作とされる。
〇仏殿・山門・唐門。
10:00 履中天皇陵 宮内庁により第17代履中天皇の陵に治定。考古学名は「上石津ミサンザイ
古墳」等。全国第3位の規模の巨大古墳。履中天皇名仁徳天皇の子。5世紀の「倭の五王」の一人とされる。 
10:30 堺市博物館 堺市の歴史・美術・考古・民俗に関する資料を収集・保存・展示する博物館。仁徳陵、履中陵の間にある広大な大仙公園内にある。バーチャルリアリティー(VR)技術で百舌鳥古墳群を上空から眺めることができる疑似体験ツアーを予定。
11:30 仁徳天皇陵 宮内庁により第16代仁徳天皇陵と治定される。わが国最大の古墳であるのみならず、世界三大墳墓の一つでもあり、エジプト・ギザのクフ王のピラミッドや中国の秦の始皇帝陵よりも大きい。5世紀初めから半ばに築造。考古学名は「大仙陵古墳」。考古学界からは被葬者についての異説も出ている。仁徳天皇は応神天皇の第4子。「倭の五王」の一人とされる。
12:00 昼食 「梅の花」さかい利昌の杜店 072-225-0506
13:00 さかい利昌の杜 堺の歴史・文化の魅力を発信する文化観光施設。堺が生んだ茶の湯の
大成者「千利休」と、日本近代文学を切り拓いた歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを展示。茶の湯・立礼呈茶を体験予定。
(敷地隣接)千利休屋敷跡 椿の井戸と、利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形がある。
14:00 堺伝統産業会館 堺の伝統産業を一堂に集めた施設。刃物、線香、等々、堺の逸品、名産品等のショップ、堺刃物ミュージアムなど。 
15:00 多治速比売神社 祭神は多治速比売命(たじはやひめのみこと)、素盞嗚尊、および菅原道真。和泉国大鳥郡の延喜式内社二十四座のひとつで西暦530年頃の創建と伝えられる。〇本殿の様式は三間社入母屋造で正面に千鳥破風があり大きな向拝があって、それに軒唐破風がついている。天文8年(1539)から12年(1543)にわたって建てられている。
16:00 大野寺土塔 神亀4年(727)行基によって大野寺が創建されたが、その際に築かれたとされている土製の十三重からなる仏塔。□国史跡に指定。奈良市高畑町の「頭塔」とは形態に類似性がある。
17:45 新大阪着  解散

一、参加費  34 ,000円
なお、バス等の都合上参加者は最大25名(申し込み順)、また、宿泊施設の都合上、ツインルームは4室(計8名)を上限とさせていただきます。予めご了承ください。
一、 締切  令和元年10月31日(木) 指定申込み用紙でお振込み下さい。
    当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
一 復路アクセス ひかり478 新大阪18:16 小田原20:36 新横浜20:52 東京21:10 
以上

〈レポート〉斑鳩と飛鳥の史跡めぐり
令和元年9月25日~26日                       齋木 敏夫

法隆寺駅に11時40分24名が集合し、タクシーとバスに分乗し、法隆寺門前に行った。
昼食 志むら  門前にある店で昼食となり、柿の葉寿司とうどんに天ぷらの盛り合わせを頂き、ビールを飲んだ。荷物を店に預け、身軽になって歩き始めた。
法隆寺  日本初の世界文化遺産で境内は史跡となっている。推古天皇と厩戸皇子等が607年若草伽藍に創建、670年に焼失した。現存の建物は670年以前に金堂を建築し始め、徐々に西院伽藍が整備され、693年頃に完成したと思われる。白村江の戦いに敗れた天智天皇は唐の侵攻を恐れ、豪族を統一する為に厩戸皇子の始めた仏教を利用しようとしてその聖地として金堂の建設を始めたようだ。南大門(国宝)は1438年再建、入母屋造、本瓦葺、八脚門で古代・中国の建築技法の「軒反り」、中備に花肘木を置いている。門前に踏み石(鯛石)がある。過去の大水害でこの地まで水が来たそうだ。入り口からの西院の眺めが素晴らしい。門をくぐり、参道の西側を進むと西園院(本坊)の上土門(重文)がある。この門は屋根を平らに造り、土を盛り、石灰で塗りかためたもので類例が法輪寺の西門にある。続く土塀(重文)に平唐門形式の西園院唐門(重文)がある。土塀は版築により、築かれたもので木目が残されている。参道の先に中門(国宝)がある。入母屋造、本瓦葺の二重門は珍しく四間二戸となっている。「卍崩しの勾欄」やエンタシスの柱があり、西域の影響が感じられる。門番の金剛力士立像(重文)は塑造で日本最古の仁王像だ。風雨にさらされる場所にあり、何度も補修され、吽形像の体部は木造に代わっている。「煙出し」の付いている大湯屋とその表門(いずれも重文)と注連縄で囲われた「伏せ蔵」を見て西門から外に出た。
ウォーナー塔  右に曲がり、少し坂を上ると左側にある。しかし見過ごしてさらに坂を上るが見当たらず。逆戻りしてようやく見つけた。皆さんに迷惑をかけた。塔は法隆寺の非再建論を展開した平子鐸嶺(タクレイ)の供養塔と並び、昭和32年に建てられた。碑文には「奈良・京都を戦禍より救うため、献身的に努力されたことは博士自身の否定にもかかわらず疑う余地のない事実である」と書かれている。現在ではデマといわれているようだ。
西門から再び境内に入り、西円堂(国宝)を見た。奈良時代に橘三千代の創建と伝わる。現存のお堂は1250年の再建、本瓦葺の八角円堂だ。薄暗い中だが薬師如来坐像(国宝) を拝めた。奈良時代の脱活乾漆造、顔は丸く、衣紋の彫は太くて深く、手や胸も堂々としている。台座は裳懸座でこの像の胎内仏と伝える金銅の薬師如来坐像は大宝蔵院で拝めた。千手観音立像(重文)と木造十二神将立像(重文) はよく見えなかった。丁度2時となり時報の鐘がつかれた。この鐘は正岡子規の俳句「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」で詠まれた鐘だ。三経院及西室(国宝)は 1231年造立、厩戸皇子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)に因んで西室の南端部を改造して建てられたものだ。
西院伽藍  金堂(国宝)がもっとも古い。年輪年代法により天井板が668年頃の伐採と確認されており、それ以前の着工と思われる。着工後に壬申の乱が起こり、混乱しており、ようやく693年に法隆寺で仁王会が行われ、このころ迄には完成したものと思われる。五重塔(国宝)がそれに続き、中門、回廊はやや遅れての建築と見られる。雲肘木、人字形割束、卍崩しの勾欄の様式は焼失以前の斑鳩寺を模倣したものであり、古風である理由がわかる。
金堂は桁行五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、裳階は板葺、二重であるが二階部分は屋根裏となっている。本堂と云わず金堂というのは当初安置されていた金色の釈迦三尊像(国宝)と救世観音像(国宝、現在は夢殿)が金人(コンジン)と呼ばれていたことによるものだろう。釈迦三尊像は厩戸皇子の等身像といわれ、623年に止利仏師が造ったとする光背銘を有する像だ。背銘はロストワックス法で造られており、後世に刻まれたものではない。図式的な衣文、杏仁形の眼、アルカイックスマイル、太い耳朶(耳たぶ)、北魏風の分厚い衣装など、後世の日本の仏像と異なり、大陸風が顕著だ。「東の間」の薬師如来坐像(国宝)は釈迦三尊像より新しい時代の様式だ。薬師如来坐像は斑鳩寺の本尊であったが670年に焼失した。後に前身の坐像の光背を踏襲し、法隆寺の由緒を示した刻銘が刻まれたと思われる。この像は持統天皇が造立させたのではないか? 現在の天蓋は鎌倉時代に作られたものだが それとは別に天井裏に釘跡があり、 軽い布製の天蓋があったようだ。この天蓋は奈良時代に作られた資材帳には持統天皇が寄進した旨の記録がある。四天王立像(国宝)は飛鳥時代中頃の作。広目天・多聞天像の光背裏刻銘に山口大口費の作とある。木造(楠)彩色で後世の四天王像と違って、怒りの表情やポーズを表面にあらわさず、邪鬼の上に直立不動の姿勢で立ち、
衆生の行動を見つめている姿だ。毘沙門天立像、吉祥天立像(共に国宝)は本尊釈迦三尊像の左右に立ち、平安時代の木造彩色像だ。西の間の阿弥陀三尊像(重文)は運慶の四男康勝の作。衣文などは鎌倉時代の仏像にしては古風で東の間の薬師如来像を模したと思われるが顔の表情などは全く鎌倉時代風になっている。本尊の頭上にある天蓋(重文)と台座は飛鳥時代のものであり、天板上面に64㎝の丸い塗り残しがある。この台座に遺された痕が救世観音像の台座の形と合っており、元は救世観音像を祀られていたことがわかった。五重塔(国宝)は木造五重塔としては最古のもので屋根の逓減率が大きく安定している。初重の内部には塔本四面具と呼ばれる粘土で作られた群像が安置されている。文殊菩薩と維摩居士の問答、分舎利(釈尊の遺骨の分配)、弥勒の浄土、釈迦の涅槃がそれぞれの像によって表されている。711年頃までには五重塔、中門を含めた西院伽藍が建立されていたとみられる。回廊(国宝)は廊下であると共に聖域を区切る障壁でもある。経蔵(国宝)は奈良時代の建立、切妻造、本瓦葺の楼造だ。鐘楼(国宝)は経蔵と対称位置に建ち、平安期に経蔵を模して再建されたものだ。大講堂(国宝)は990年に再建された。薬師三尊像(国宝)の中尊は平安初期風の量感豊かな像であるが、脇侍は作風が異なり、作者が異なるようだ。大講堂須弥壇の四隅に立つ四天王像(重文)は桧の寄木造で割矧、制作は10世紀末から11世紀前半とみられる。回廊を通り、西院伽藍を出た。西院伽藍の東側にある聖霊院(国宝)は奈良時代建築の僧坊東室(国宝)の一部を改造して聖徳太子を祀るお堂とした。現在の建物は1284年に改築されたものだ。東に平安時代の造立、妻室(重文)がある。綱封蔵(国宝)は寄棟造、双蔵(ナラビクラ)といわれる形式で平安時代に造られたものだ。寺の宝物を保管しているので湿気を防ぎ、鼠の侵入を防ぐために高床式となっている。食堂(ジキドウ国宝)と細殿(重文)は切妻造、本瓦葺の二棟が並んでおり、双堂(ナラビドウ)と呼ばれる奈良時代の建築様式だ。
大宝蔵院内  観音菩薩立像(夢違観音)(国宝)は白鳳期の銅造だ。童顔のあどけない顔はこの時代の特徴で悪い夢を良い夢に変えてくれるという伝説のある像で「三面宝冠」を附けている。観音菩薩立像(九面観音)(国宝)は唐時代・8世紀に唐で造られたもので白檀製、精密に造られている。頭上に8つの顔を持つ珍しいものだ。橘夫人の厨子内「阿弥陀如来及び両脇侍像」(国宝)は白鳳期に造られ、厨子内の阿弥陀三尊像は蓮池から生じた3つの蓮華の上に三尊像が表され、阿弥陀の顔は若々しい。橘三千代の念持仏といわれる。地蔵菩薩立像(国宝)は地蔵菩薩で唯一の国宝、聖林寺の十一面観音立像(国宝)と共に大神神社の別当寺であった大御輪寺に安置されていたもので錫杖を持つ姿より以前のものだ。
玉虫厨子(国宝)は飛鳥時代のもので現在の金堂に安置されていた仏堂形式の厨子、建築様式的には法隆寺の西院伽藍よりやや古い時代を示し、飛鳥時代の建築、工芸の遺品として重要なものだ。屋根が錣葺(シコロブキ)になり、透かし彫りの飾金具に玉虫の羽を敷き詰めて装飾したことからこの名がある。錣葺とは入母屋造、中程で上段と下段に分かれたような屋根をいう。類例が岡山の閑谷学校講堂(国宝)に見られる。厨子の扉や壁面の装飾画も著名で、釈迦の前世物語である「捨身飼虎図(シャシンシコズ)」や「施身聞偈図(セシンモンゲズ)」が特によく知られている。観音菩薩立像(百済観音)(国宝)は飛鳥時代の楠の一木造であり、名前に反して日本製だ。細身で九頭身の特異な像、以前は虚空蔵菩薩と云われていたが透彫りの宝冠が発見され、観音となった。なおこの像は来春(2020年3月13日〜5月10日)東京国立博物館で見られる予定だ。大宝蔵院を出て、少憩し、東院に向かった。東大門(国宝)は奈良時代に建立された八脚門で珍しい三棟造(ミツムネヅクリ)の門だ。類例が東大寺転害門(テガイモン) (国宝)に見られる。南側の柱には節があり、材は映えていた方角に建てるという適材適所の原則が守られている。
東院  伽藍は斑鳩宮の跡地に739年行信僧都が夢殿(国宝)を建立したことに始まる。平安初期に荒廃していた東院を道詮律師が復興させた。夢殿は本瓦葺の八角円堂で屋根の中心に大きな宝珠がある。西側に平安初期の塑像の道詮律師坐像(国宝)が安置されている。中央の厨子に観音菩薩立像(救世観音)(国宝)が安置されているが秘仏で拝めなかった。奈良時代の脱活乾漆造の行信僧都坐像(国宝)は写実的な像で夢殿の東側に安置されている。北側に切妻造、本瓦葺の細長い建物があり、絵殿、舎利殿(重文)となっている。鐘楼(国宝)は入母屋造、本瓦葺で鎌倉時代の建物、柱が細く軽やかな感じで袴腰の鐘楼としては最も古いものだ。伝法堂(国宝)は橘三千代の孫コナカチの邸宅であった建物で床が板張りになっている。
中宮寺  東院の東にある尼寺、本堂に入り、早速菩薩半跏像(国宝)を拝観した。白鳳時代の作で楠木を使ったこの時代としては珍しい一部寄木造りの像だ。頭髪は双髻(ソウケイ)、当初は弥勒菩薩だったようで丸みが有り、アルカイックスマイルはスフインクス、モナリザと共に三大微笑像といわれている。
見学を終え、志むらで荷物を受け取り、葛城交通のバスに乗り、藤ノ木古墳(史跡)に向かった。
藤ノ木古墳(史跡) 大型の円墳で1985年に家形石棺、金銅製の馬具や装身具類が発見された。1988年家形石棺が開けられ、装身具等と共に成人の遺骨2体が合葬された状態で発見された。一人は皇位を望み、物部守屋と結託して殺害された穴穂部皇子でもう一人が弟の崇峻天皇と思われる。二人は厩戸皇子の叔父だ。当時古墳の被葬者は兄弟姉妹が埋葬される「兄弟原理」が主であったようだ。古墳近くにあった宝積寺(ホウシャクジ)の文書には崇峻天皇御廟と認識されおり、遺体は倉梯岡(クラハシノオカ)から移されたものと思われる。
この寺は1705年に法隆寺末寺の宗源寺の管理となった。法隆寺では宝積寺を陵堂と呼び供養もしていた。1854年に焼失したが江戸時代には古墳の保護に重要な役割を果たしていた。
宿泊 グランヴィリオホテル奈良  5時過ぎに着くとこれから参加の川口さんが迎えてくれた。少憩の後、一階の「四季の蔵」で6時半から夕食となった。ビールで乾杯し、美味しい料理をいただき、地酒を飲み、話も弾み、楽しい食事であった。
【二日目】
温泉の朝風呂を楽しみ、ヴァイキングの朝食、地場産の食材を使って品数も多く、少量ずつでも量が多くなった。昨年 10月開業、設備も新しく、温泉の風呂、食事等もなかなか感じの良いホテルであった。
昨日の夕方から 地元の津田会員がお手伝いに来てくれ、一緒にバス乗り、案内してもらうことになった。
8時に出発し、一路明日香に向かい、道中 地元についての説明を聞き、途中で山田寺跡に立ち寄った。
山田寺跡  蘇我倉山田石川麻呂が641年に建て始めた寺院。石川麻呂は入鹿殺害のクーデターに加わり、その功で右大臣に任ぜられたが649年謀反の疑いをかけられてこの寺で自害した。その後疑いは晴れ、石川麻呂の娘である天智妃遠智娘やその娘持統天皇により、造営は続けられて7世紀の後半に完成した。中門、塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ伽藍配置であったようだ。現在は跡形も無いが回廊の連子窓と山田寺仏頭(国宝)が今にその面影を伝えている。
飛鳥資料館  館に入り、まず飛鳥京の模型を見た。次に第一展示室に入り、宮殿や水落遺跡の水時計、須弥山石等の石造物、高松塚古墳・キトラ古墳、飛鳥寺等の古代寺院に関する資料等を見た。石造須弥山、石造男女像(共に重文)は庭にレプリカがあり、噴水など実際に使われた様子が分かる。これらの石造物はペルシャ人が造らせたという説がある。長尾さんが「これらの石造物は蘇我氏の庭にある池の廻りにあったが乙巳の変以後分散したようだ」と教えてくれた。第二展示室では回廊の連子窓等の山田寺跡出土品(重文)を見た。庭の石造物や黄色い彼岸花を見てバスに戻った。
飛鳥寺  596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古の寺。本堂に上がり、住職の話を聞き、飛鳥大仏(釈迦如来坐像、重文)を拝観した。止利仏師の作の銅造、開眼は609年で最古の仏像、座高2.75mもあり、何度も修理されて顔や耳手の一部しか当初の部分は残っていない。基壇は花崗岩で造られ、当初からの位置に安置されているそうだ。蘇我入鹿の首塚と云われる五輪塔を見て境内を出た。
岡寺
境内史跡、西国三十三札所の七番札所だ。バスを降り、石段を上ると仁王門(重文)がある。 1612年再建。入母屋造,本瓦葺、楼門形式のものだ。門をくぐり、更に上ると本堂(県指定)があり、中に入ると大きな塑像の如意輪観音坐像(重文)が安置されており、拝んだ。日本三大仏の一つで他は東大寺の毘盧遮那仏と長谷寺の十一面観音だ。本堂を出て境内を見て回り、バスに戻った。
橘寺  境内史跡 西門から入り、本坊で精進料理の昼食となった。住職の奥さんの話ではお盆のお供えのお下がりを使った料理だそうだ。黒豆のご飯、特製のゴマ豆腐、麩や豆乳の茶碗蒸しなど、独創的で工夫が見事な精進料理をいただいた。食後奥さんの案内で奥に入り、窓越しに川原寺跡等の飛鳥の景色が見られた。 その後 聖倉殿(宝物館)を特別に開けてもらい、平安時代前期の「日羅立像(重文)」、平安時代後期の「地蔵菩薩立像(重文)」等を拝観した。二面石や本堂前に建つ「黒駒像」を見てバスに戻った。
飛鳥歴史公園 「高松塚周辺地区」で下車し、小振りな二段式の円墳高松塚古墳(特別史跡)を見て高松塚壁画館に入った。壁画発見当時の現状模写をはじめ、一部復元模写、棺を納めていた石槨の原寸模型の他副葬されていた太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡等のレプリカを見た。「キトラ古墳周辺地区ではキトラ古墳(特別史跡)を見てキトラ古墳壁画体験館四神の館に入った。特別に収蔵室の西壁の壁画が公開されており、順番を待って空調の効いた室に入った。白虎像(国宝)はよく分かったが戌神はよく見えなかった。
本薬師寺跡  予定より早かったので寄り道した。橿原市の畝傍山の東方にあり、藤原京にあった薬師寺跡、奈良の薬師寺は藤原京から平城京に遷都されたときにこの地より建物が移されたそうだ。寺跡の周りは一面にホテイ葵の群生が広がり、薄紫色の花が咲き誇り、中でも三重塔の心柱のほぞ穴に咲くホテイ葵や赤い彼岸花とのマッチングが印象に残った。4時ころ橿原駅で解散となった。キトラ古墳の壁画の実物が見られ、津田さんの案内で車窓から明日香村のあちこちの観光地を教えて貰い、楽しい旅であった。

令和元年9月例会 斑鳩と飛鳥の史跡めぐり 
令和元年8月9日 担当 齋木 敏夫
斑鳩と飛鳥は日本の原点となる地です。初日は斑鳩を散策し、法隆寺、中宮寺、藤ノ木古墳を訪ねます。特に法隆寺は世界遺産であり、金堂は最古の木造建築物です。いろいろ謎に包まれた処もありますが私なりの解説をしたいと思っています。飛鳥は592年に推古天皇が豊浦宮に即位してから694年に藤原京に遷都するまでの約100年間、宮殿が継続的に営まれ、政治文化の中心地として栄えました。その間多くの古墳や石造物が築造され、キトラ古墳や高松塚古墳では四神等の壁画が見つかりました。木の文化の栄えたわが国で石造物は異質のもので西域の文化の影響が感じられます。初日は歩きですが二日目はバスで廻ります。皆様のご参加をお待ちしております。

一、月 日 令和元年9月25日(水)~26日(木)
一、集 合 令和元年9月25日(水) JR法隆寺駅 11:40      

一、アクセス ひかり503 東京7:33 新横浜7:52 小田原8:08 新大阪10:26 乗換 大和路快速 大阪1番線乗り場  10:58 法隆寺11:37
一、行程  貸切バス、 徒歩          ◎国宝、〇重文、△県指定、□市指定
一日目 9月25日(水) <バス、徒歩 >

12:00 昼食 志むら 柿の葉寿司  電話 0745-75-3202 荷物預け
13:00法隆寺 創建法隆寺は推古天皇と聖徳太子によって607年若草伽藍に建立、670年焼失。
現在の建物は670年以前に金堂を建築し始め、徐々に西院伽藍が整備され、693年頃完成。
1993年12月に日本初の世界文化遺産、 境内は史跡
◎南大門、〇西園院上土門、〇西園院唐門、〇土塀、◎中門、〇金剛力士立像、ウォーナー塔、
平子鐸嶺供養塔、◎西円堂、◎三経院及西室、◎金堂、◎釈迦三尊像、◎薬師如来坐像、
◎四天王立像、◎毘沙門天立像、◎吉祥天立像、〇阿弥陀三尊像、◎五重塔、塔本四面具、◎回廊
◎経蔵、◎鐘楼、◎大講堂、◎薬師三尊像、〇四天王立像、◎聖霊院、◎東室、〇妻室、◎食堂
〇細殿、◎綱封蔵、大宝蔵院内、◎観音菩薩立像(夢違観音)、◎観音菩薩立像(九面観音)
◎橘夫人の厨子内「阿弥陀如来及び両脇侍像」、◎地蔵菩薩立像、◎玉虫厨子、◎黒漆螺鈿卓、
◎観音菩薩立像(百済観音)
15:30 中宮寺  ◎菩薩半跏像(世界三大微笑の一つ)◎天寿国繍帳残闕(レプリカ)
再び法隆寺へ ◎東大門、〇宗源寺四脚門、◎東院鐘楼、◎夢殿、◎観音菩薩立像(救世観音)、◎行信僧都坐像(国宝)、◎道詮律師坐像、◎伝法堂
16:15 貸切バスで移動
16:30 藤ノ木古墳 (史跡)6世紀第4四半期の円墳
17:30 宿泊 グランヴィリオホテル奈良 天理市二階堂上ノ庄町430-1 電話0743-64-6211
シングルユース、ご夫婦の方はツイン  温泉あり
二日目 9月26日(木)
8:30 出発  貸切バス
9:00 飛鳥資料館
6世紀から奈良に都が移った8世紀初めごろまでの飛鳥の歴史と文化について考古資料・美術資料・写真パネル・模型などで解説している。○山田寺跡出土品 ○石造須弥山 庭にレプリカ
○石造男女像 庭にレプリカ ○高松塚古墳出土品
10:15 飛鳥寺  境内史跡
日本最初の寺院法興寺として蘇我馬子が建立,奈良ヘの遷都に伴い元興寺となる。
○銅造釈迦如来坐像 『元興寺縁起』によれば完成は609年
11:00 岡寺 真言宗豊山派
義淵僧正は日本の法相宗の祖、江戸時代までは興福寺の末寺
◎木心乾漆義淵僧正坐像、○如意輪観音坐像、東博に出陳中○仁王門1612年再建 △本堂 △楼門
○塑造如意輪観音坐像- 奈良時代、像高4.85mの日本最大の塑像、6臂が多いが、本像は2臂
12:00 橘寺 史蹟 聖徳太子生誕の地
○聖徳太子35歳の像(重文)  二面石    酔芙蓉の花がきれい
境内昼食 精進料理
14:30 国営飛鳥歴史公園内 高松塚古墳 特別史跡、7世紀末から8世紀初頭にかけての終末期
古墳で二段式の円墳、西壁に色彩鮮やかな ◎女子群像
高松塚壁画館
壁画発見当時の現状模写をはじめ、一部復元模写、棺を納めていた石槨の原寸模型のほか、副葬されていた太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡等のレプリカ
15:30 キトラ古墳 特別史跡 二段式の円墳 ◎四神、天文図の壁画
四神の館 石室や壁画の精巧なレプリカ、4面マルチビジョンによる壁画の映像
16:30 近鉄 橿原神宮駅 解散
一、参加費  ¥30,000円
一、締切 令和元年9月12日(木)指定申込み用紙でお振込み下さい。
当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
<復路アクセス>
近鉄特急 橿原神宮16:53 京都17:51
ひかり532 京都18:32 小田原20:35 新横浜20:52 東京21:10

7月例会レポート 三浦半島 東西海岸めぐり 
令和元年7月20日 齋木 敏夫
京急久里浜駅に19名が集合し、東洋観光のバスに乗り、ペリー公園に向かった。
ペリー上陸記念館
バスを降り公園に入るとまずペリー上陸記念碑が目についた。1853年開国を求めて来たペリーがこの地に上陸し、大統領親書を渡した処だ。1900年にかつてペリー艦隊に乗り込んでいた退役海軍少将ビアズリーが久里浜を訪れた時にペリー来航を記念する事物が全く無いことに落胆した。ビアズリーの意見により、米友協会はペリー上陸記念碑の建設を決定し、揮毫を伊藤博文に依頼して完成したことが設立の経緯のようだ。記念館の入り口にはペリーと浦賀奉行の戸田伊豆守の銅像がある。「太平の眠りをさます しょうきせん たった四はいで 夜も眠れず」の狂歌は鯖江藩主老中 間部詮勝(マナベアキカツ)の作といわれている。と1階に大きく表示されているのが印象に残った。
その他再現した黒船来航時を描いた絵巻物や当時の久里浜港の様子を再現したジオラマ模型、ペリー上陸にまつわる貴重な資料等を見学した。
次に叶神社、旧浦賀重工跡等を見て観音崎灯台に向かった。1869年完成、日本最初の洋式灯台で横須賀造船所のヴェルニーが設計、現在は3代目だそうだ。海岸から見上げようとしたが見られなかった。三浦半島の海岸線は砂浜がなくほとんどが岩場となっている。これは大きい川がなく砂が上流から運ばれてこなかったことと更に風波により岩肌が崩されたことに起因しているようだ。
走水神社や猿島を見てバスは横須賀に向かった。走水神社は弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀る神社で「さねさし 相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」 という歌碑が建っている。相模の地は古来焼畑農業が行なわれ、その地に根を挿したことから「さねさし」が相模の枕詞となっている。猿島に猿はいない。名の由来は1253年日蓮上人が房州から鎌倉に渡る途中で嵐に遭って、遭難しかけたとき、1匹の白猿が船上に現れて、この島へ導いたという伝説から来ているそうだ。
三笠艦内見学
日露戦争時の旗艦で司令長官 東郷平八郎が乗船していた。1765年進水、トラファルガー海戦で戦った世界最古の現役艦である英国の「ヴィクトリー号」、1812年の米英戦争で戦った帆船軍艦米国の「コンステイテユーション号」と共に世界三大記念艦となっている。まずビデオ室に入り、旅順港封鎖に始まり、バルチック艦隊撃破に至るビデオを見た。1926年から記念艦として保存されていたが戦後の一時米軍に接収され、水族館、ダンスホール等になっていた。1961年になって漸く往時の姿に復元されたそうだ。ビデオを見た後Z旗を眺めて艦橋に上がり、東郷大将の指揮ぶりを想像した。探照灯の明かりは見たことがあったが実際に見たのは初めてであった。東郷は戦いの後小栗忠順の遺族に対して「日本海海戦で勝利を得たのは横須賀造船所で艦隊の十分な補給と整備を受けることができたからである」と感謝の言葉を伝え、小栗の名誉を回復している。
昼食 中国料理「煌蘭」
円卓を囲み、ビールを飲み、えびちり、春巻きなどをいただき、楽しい食事であった。
横須賀市自然人文博物館
中に入るとまずナウマン象の骨格が目に入った。ナウマン象は35万~2万年前に日本と中国に生息していた象のなかまで横須賀製鉄所の敷地内から1867年に下あごの化石が見つかった。これをナウマンが研究し、ナウマンゾウと名付けた。次に三浦半島を取り巻く大型のジオラマを見た。東を東京湾や浦賀水道、西を相模湾に囲まれており、水深1,000mを越える相模湾はフィリピン海プレートと北米プレートの境界となっているのがよく分かった。又三浦半島には活断層が5本もあり、地震が心配される地域だなと思った。展示室に入り、開国後の横須賀の歴史や展示品を見た。1860年に日米通商条約調印の為に新見豊前守正興を代表にして遣米使節が派遣された。一員として製鉄所を見学した小栗上野介忠順は横須賀製鉄所の建設を企画し、実現させ成功に導いた。彼は新政府軍により惨殺されたが製鉄所は明治になって大いに国の発展に貢献した。因みに世界遺産「富岡製糸場」も横須賀製鉄所にいたフランス人技術者によって設計されたものだ。原始から江戸時代に至る展示品を見て館を出た。
浄楽寺
バスを降り、境内に入るとボランテイアガイドが待っていた。まずガイドの案内で前島密の墓地に行った。今は木が茂り、富士山はよく見えない。墓は富士山の形に作られている。往時の夫婦の写真を見せてもらい、説明を聞いた。前島密は近代郵政制度の創始者で新千円札の肖像となることが決まった。その菩提寺でもあり、墓地がある。彼は晩年に浄楽寺境内の一角を借り、隠居所を建て、そこに住み、夫婦でよく富士山を眺めていたそうだ。寺は1189年鎌倉幕府初代侍所別当
和田義盛が建立したと伝えられている古刹だ。源頼朝が父義朝の供養の為建立した勝長寿院が大風で倒壊した際、北条政子と和田義盛が浄楽寺に本尊の阿弥陀三尊像を移したと伝えられてきた。
本堂には「勝長寿院」の扁額が掲げてある。勝長寿院の諸像は運慶の父康慶の兄弟子で奈良仏師の嫡流である成朝に源頼朝が依頼して造られたものだと吾妻鏡に記されている。それに対して当寺の諸像は近年の調査で運慶の作と認められ、言い伝えが本当でないことがわかった。運慶は1189年伊豆の願成就院の落成に合わせて小仏師10人を引き連れ、自作の諸像を安置した。この像が御家人に披露された時に和田義盛が運慶の技術に感心し、勝長寿院諸像を模して造像することを依頼したと思われる。収蔵庫に行き、阿弥陀三尊像と不動明王立像と毘沙門天立像(いずれも運慶作の重文)を拝観した。阿弥陀如来坐像は桧の寄木造り、来迎印を結び、彫眼となっている。慶派仏師の像には玉眼が多く使われているが運慶は如来には彫眼とする像が多い。脇侍の観音、勢至立像が蓮華を左右対称になるように持っているのは珍しいなと思った。不動明王と毘沙門天は玉眼嵌入(カンニュウ)となっている。不動明王の火炎光背にはカルラがはっきり刻まれているのがわかった。阿弥陀の来迎印、毘沙門天が右手を上げて戟(ゲキ)を持つ姿などは平安後期に多く造られた姿だ。位置を変えて諸像を拝観し、ガイドに礼を言い、バスに戻り、京急逗子駅で解散となった。
心配していた雨もなく、この時期にしては涼しく、楽しい一日であった。

7月例会(日帰り)三浦半島 東西海岸めぐり 
担当 春口 健二
TEL 045-784-4899
携帯 090-6797-8936
三浦半島はわが国で最後に誕生した地です。海底が隆起し当初は台地状態でしたが降雨で河川が出来,谷戸や小高い山々が点在する地形となり、大きな川がなく砂地が出来ず、海岸線はごつごつした岩肌になっています。古代には古東海道が半島を横断し、安房に通じていました。日本武尊もこの道を通り、走水神社には碑が残されています。このような地形は難攻不落の城を築くのに都合がよく、中世には三浦氏の拠点となりました。三浦氏の一族和田義盛は浄楽寺を建立し、源頼朝が建立した勝長寿院の仏像を模倣したものを運慶に依頼して造立しました。幕末にはペリーが浦賀に来航し、開国に向けての動きが始まりました。フランスの助力により、ヴェルニーが築いた横須賀製鉄所は明治になると海軍の拠点、横須賀鎮守府となりました。現在は米海軍基地とヴェルニー公園となっており、三笠公園には戦艦三笠が保存されています。一日バスで巡りますので楽に楽しめると思います。人数に制限がありますので早くお申込みいただきたいと思っています。

実施日 令和元年7月20日(土)
<アクセス>
京急品川駅または横浜駅で快速特急 横浜9:16→久里浜9:51
一、集合場所・時間 京急久里浜駅 改札口 午前10時
一、行程 東洋観光貸切バス  バスの定員により 先着23名までとさせていただきます。
10:10 ペリー上陸記念館 1853年開国を求めてペリーは久里浜海岸に上陸しました。黒船来航を再現したジオラマ模型、ペリー上陸にまつわる貴重な資料を見学
10:40 観音崎灯台 1869年完成、日本最初の洋式灯台でヴェルニーが設計、現在は3代目
11:40 三笠艦内見学 日露戦争時の旗艦で司令長官 東郷平八郎が乗船していた。
12:40 昼食 中国料理「煌蘭」 Tel 046-822-2339
14:00 横須賀市自然人文博物館「時代を越える器のかたち―ちょっと似てる?」展 古代に造られた土器の中に今使っている様々な形の器とよく似たものがあるようで急須のようなものもあります。
15:20 浄楽寺 重要文化財 運慶作 阿弥陀三尊像、不動明王像、毘沙門天像、近代郵政制度の創始者である前島密は新千円札の肖像となります。その菩提寺でもあります。
16:00 長者ガ崎 きれいな夕日の眺望
一、解散 京急、JR 逗子駅 16時30分
一、会費 @7,500円
一、締切 令和元年7月4日(水)
指定申込み用紙でお振込み下さい。 当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212  以上

5月例会レポート 博多の古刹と肥前名護屋城跡を訪ねて 
2019.5.28~30
齋木 敏夫
ホテルルートイン博多駅前 1階ロビーに13時30分16名が集合し、荷物を預け、身軽にして近辺の古刹めぐりが始まった。承天寺近くに出来町公園がある。ここは九州鉄道発祥地で最初の博多駅があったそうで「博多駅」と書かれたモニュメントがある。横の承天寺通りにある「博多
千年門」は大きな四脚門で切妻造、本瓦葺、ここから大宰府への官道があり、博多への入り口であったそうだ。
承天寺 
聖福寺と共に博多三禅刹の一つ、僧の商人・謝国明と太宰少弐・武藤資頼の支援により、聖一国師(円爾)が1241年に開創した。他の一つは崇福寺で大宰府にあったが黒田長政が博多に移転させ黒田家の菩提寺とした。伽藍は広大な寺域を誇ったが、福岡大空襲により灰燼に帰した。
聖一国師は後に上洛して京都・東福寺を開山している。山門前に「山笠発祥之地」の碑がある。1241年に博多の町に疫病が流行した際に円爾が木製の施餓鬼棚に乗り、担がれて、疫病退散を祈祷して聖水を撒いて町中を回ったことが博多祇園山笠(重要無形文化財)の起源とされているそうだ。山門をくぐると饂飩蕎麦発祥之地碑、御饅頭所碑と満田弥三右衛門の碑がある。円爾は水車による製粉技術を持ち帰り、うどん・そばの作り方を日本に広めたそうだ。彼は托鉢の途中で親切にもてなしてくれた茶店の店主に酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えた。この看板は現在東京の「虎屋」に保存されているそうだ。奈良町にある漢國(カンゴウ)神社の境内社の林神社(リンジンジャ)が日本唯一の饅頭の神社であるのを思い出した。満田弥三右衛門は円爾と共に宋から帰国し、持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされているそうだ。方丈に上がり、石庭「洗濤庭」を眺めた。玄界灘を思わせる波濤を白砂にえがいた広い庭でその奥に木々が茂っていた。この庭はG20財務相、中央銀行総裁会議の前日6月7日にライトアップされ、白砂の波が幻想的になっている写真を新聞で見た。お堂を出ると止め蓋瓦(トメブタガワラ) であったものらしい獅子の飾りが置いてあるのが目についた。止め蓋瓦は切妻屋根や向拝部の角部分の瓦の上に設置される蓋瓦でもとは雨漏りを防ぐ為のものであった。
門を出るとすぐ近くに妙楽寺があり、近づくとちょっと変わった塀がある。「博多塀」と云われ、島津、大友の争いで焼け野原になった博多を復興させた豊臣秀吉が戦火にあった焼け石や焼け瓦などを粘土で練りこみ造った塀だそうだ。
妙楽寺
1316年開創の禅寺、本堂に上がり、本尊釈迦如来にお参りし、住職の話を聞いた。創建時は防塁
に覆われた海辺にあり、中国との対外交渉の大事な拠点となり、遣明使一行が宿泊するなど「妙楽寺貿易」という言葉が残るほど中国との貿易が盛んに行われていたとの事で商人や外交とのつながりのある異色の寺であったそうだ。海と川に囲まれた博多は海側から見ると城に見えたことから石城と呼ばれていた。そのことから石城山という山号が付いたそうだ。そして元の滅亡時に当寺に亡命してきた医者の陳宗敬の一族は「透頂香(トウチンコウ)」という万能薬を作っており、これを足利義満に献上した。この薬は大変にがかったため、口直しに米粉で作った菓子を添えて出した。
この菓子は陳宗敬の元での役職が外郎(ウイロウ)であったことから[ういろう]と云われるようになり、「ういろう伝来の地」といわれ、境内に石碑がある。戦国時代に島津氏の侵攻の際に博多の街と共に当寺も焼失した。その後黒田氏が入封し、現在地に寺地を貰い、藩主と家臣の帰依を受けた。
更に神屋宗湛ら豪商の支援により、伽藍が復活した。神屋宗湛の曽祖父壽貞は明に渡り、灰吹き法による金銀銅鉄区分の新しい技術をもたらした。この技術により石見銀山を開発し、巨万の富を築いた。以前は寺のあった所が町名になっていたが現在博多には寺の名の付いた町名は亡くなったそうだ。話を聞いた後堂を出て住職の案内で本堂裏の墓地に行った。江戸時代の博多の豪商である神屋宗湛の墓、荒木村重や竹中半兵衛の孫で黒田家重臣となっていた人たちの墓石が立ち並び、鎖国の禁を破り長崎で処刑された伊藤小左衛門の墓があり、いずれも大きな自然石で造られている。今もゆかりの方々が各墓を維持しているとのことできれいにされていた。
聖福寺
1195年源頼朝よりこの地を賜り、栄西禅師を開山として創建された日本最初の禅寺、切妻造、本瓦葺、四脚門形式の総門をくぐり、境内に入った。境内全体が史跡となっている。総門に「安國山」の額が掛かっており、筑紫の安國寺と関係があるのか調べたがよくわからなかった。勅使門、放生池、山門、仏殿、方丈と禅宗様式の直線に結ぶ建物、庫裡や禅堂などの七堂伽藍が建ち並び、塀は博多塀となっている。勅使門には菊のご紋が刻まれており、放生池は無染池とも呼ばれ瓢箪の形をしている。豊臣秀吉もこの池を見て喜んでいたのかなと想像した。山門は入母屋造、本瓦葺の二重門、1204年に後鳥羽上皇から贈られた「扶桑最初禅窟」の額が飾られている。鐘楼は入母屋造、本瓦葺、二層で下は袴腰となっている。仏殿は裳階(モコシ)が幅広になっており、珍しい。堂内に丈六の3世仏(阿弥陀、釈迦、弥勒)が安置されており、外から拝んだ。境内を一回りして地下鉄の祇園駅に向かい、二駅目の天神で下車、福岡市役所へ行った。
福岡市役所
1Fロビーに実物の十分の一のミニチュアー博多人形で祭を再現しており、博多どんたくを先導する「博多まつばやし」及び「博多祇園山笠」を見学した。生き生きとした顔かたちも巧妙に表現され、見ごたえがあった。
夕食 天神ソラリアプラザ店 ソラリアプラザの7階にあるイタリヤ料理の店、ビールで乾杯の後は赤ワインを飲み、イタリヤ料理を楽しんだ。食後地下鉄に乗り、ホテルに着いた。

二日目 
温泉大浴場に入り、朝湯を楽しみ、バイキングの朝食を食べた。今日はバスの旅で8時に唐津に向けて出発した。鏡山近くにあるドライブイン「おさかなむら」で少憩して虹の松原を通り、唐津城を見て進んだ。
旧唐津銀行本店(県指定)
まず女性職員の説明を聞いた。唐津出身の辰野金吾監修の建物で赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されている。「東京駅」の設計工事の真っ只中であったため、設計は愛弟子の「田中実」に委ねたそうだ。その後館内を見学した。飾り格子が付けられた木製のカウンターや柱頭にアカンサスの飾りを冠したコリント式の柱が印象に残った。
横浜開港記念会館の当初の建物(関東大震災で倒壊以前)は田中実と同期の福田重義が設計、今も辰野様式だ。入り口の前に松露饅頭のお店があり、お土産を買った人もいた。バスに戻り、近くの唐津神社に向かった。
唐津神社
入口にそびえたつ白い鳥居をくぐり、境内に入った。祭神は第一宮に住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)、第二宮 神田広次(奈良時代に当社を創建した領主)を祀っている。神功皇后が三韓征伐に臨み当所で祈願したとの伝承がある。江戸時代は藩主祈願所であった。境内にある恵比寿さんの石像が目についた。お参りをして神社の向かい側にある曳山展示場に入った。
曳山展示場
館内にはきらびやかな装飾の曳山 (県指定民俗文化財)が1819年に奉納された赤獅子から1876年の七宝丸まで14台が作成年順にロの字形に飾られている。木組みや粘土で作った原型に和紙を何回も貼り重ね、様々な種類の漆を塗りこなして作られており、1台完成させるのに3年はかかったそうだ。[唐津くんち]の映像を見て館を出た。「くんち」の語源は「(御)九日」、「(御)供日」「(御)宮日」とか諸説あるようだ。九日説は旧暦の9月9日が重陽の節句で、その日に行われた祭であることから「九日(くんち)」という呼び名が定着したようで長崎等ではこの説を有力としている地区が多いようだ。その他収穫した作物を神に供える日を「供日(くにち)」と云っていたことからという供日説があり、お宮に対して祭を行う為の日を「宮日(くにち)」と云っていたからという説があるようだ。バスに乗り、呼子に向かった。
呼子朝市
食事時間より早く着いたので漁港を散策し、朝市を見て回った。港はイカ釣り漁船が並び、離島
への船も出ているようだ。今はイカで知られる呼子だがかつては捕鯨基地であった。その名残が「鯨組主中尾家屋敷」(唐津市指定)で外観が少し見えた。呼子朝市は輪島朝市、勝浦朝市、高山市の宮川朝市に次ぐ規模と歴史を有し、日本四大朝市とも称されるそうだ。朝市を散策し、土産にシラスの干物を買った。
昼食 いか本家本店
対馬海流が流れる玄界灘の魚は身が締まりプリッとした食感が特徴で日本有数のケンサキイカの漁場だそうだ。食事場所は港に面している店だ。いか活造り定食はいか活造り、小鉢、煮物、いかしゅうまい等でビールを飲みながらいただいた。イカしゅうまいは淡白な味だがイカの旨味がわかる。横にはさみが置いてあり、何に使うのかと思っていると店員がはさみでイカの足の一部を切ってくれた。醤油皿に入れると足が躍り出した。食べてみるとコリコリとして美味しかった。透きとおった胴の部分の刺身も美味い。残りのゲソは持って行き、天ぷらになって戻ってきた。揚げたてを口にするとサクサクした衣で弾力のある食感があり、呼子の「いか」ならではの旨さであった。以前、唐津出身の友人が呼子の「いか」が美味いと云っていたが聞いていた通りで満足できた。
食後バスに乗り、名護屋大橋を渡り、眼下の絶景を眺め、しばらくするとバスは駐車した。
肥前名護屋城博物館
バスから降り、城跡の石垣を見ながら少し坂を上り、館に入った。まず城を復元したヴァーチャルの映像を見て、復元された城のジオラマを見ながら学芸員の説明を聞いた。
特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の保存整備事業と文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)及び日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史を調査・研究・展示紹介し、日韓の学術・文化の交流拠点となることを目的として平成5年に開館しそうだ。その後常設の「日本列島と朝鮮半島との交流史」の展示を見た。所在地が鎮西町名護屋である。鎌倉時代の後期元寇の後に設置された鎮西探題は九州全体を管理した。源頼朝の叔父である為朝は乱暴狼藉の為九州に追放されたが現地を切り従え、鎮西八郎為朝と称しており、鎮西は九州全体を表す言葉と思っていたが唐津市の一部の町名であることに驚いた。
名護屋城跡見学 
女性ガイドの説明を聞きながら城跡の本丸付近を巡った。豊臣秀吉は大陸への進攻を企図した際、ここを前線基地として大掛かりな築城を行った。黒田官兵衛が縄張りを造ったとされ、五重天守や御殿が建てられ、周囲約3km内に120ヵ所程の陣屋がおかれ、全国から160家の戦国大名が集結し、城の周囲には城下町が築かれ、最盛期には人口10万人を超えるほど繁栄し、大都市が誕生した。
当時としては大阪城に次ぐ規模であったそうだ。城の構えは中央最上段に本丸を置き、中段にはそれを取り囲むように、二の丸、三の丸、遊撃丸、東出丸、弾正丸、水手曲輪があり、下段に山里丸、台所丸を配置していた。天守台から加唐島(カカラシマ)、松島、馬渡島(マダラシマ)がよく見え、遠くにうっすらと壱岐も見えた。秀吉の死後、大陸侵攻が中止され、廃城となった。建物は唐津城に移築されたといわれる。石垣は隅の部分が壊され、石垣の役目を果たさなくなっている。算木積みの横長の石が斜めになっているのが無残だ。その理由は1. 島原の乱の後に一揆などの立て篭もりを防ぐ目的で要所が破却された。2. 一国一城制度が制定され、唐津城が残された。3.名護屋城を破壊することで幕府が明国や朝鮮と関係を改善する意思表示をした。と考えられる。歴史上人為的に破却された城跡であり、破却箇所の状況がそのまま保存されている。天守近辺のみの散策であったが丁寧なガイドの説明は好評であった。ガイドに礼を述べ、バスに戻った。
道の駅「桃山天下市」
城跡から少し下った陣屋があった所に有り、絢爛豪華な桃山文化が花開いた時代の賑やかさに
あやかって名付けられたそうだ。魅力的な品物があったが生ものが多く、自宅まで持って帰るのは無理だとのことで買うのをあきらめた。再び名護屋大橋を渡り、呼子、唐津を経由して博多に向かった。
ドライブイン「おさかなむら」
朝立ち寄った店でお土産に「あごのふりかけ」と「煮シジミ」を買った。サービスのシジミ汁が美味しかった。ホテルルートイン博多駅前に戻り、少憩して地下1階に降りた。
夕食 博多美蔵
前日はイタリアンであったが今回は和食、刺身などの定番の料理を食べ、日本酒を飲み、楽しい一時であった。

三日目 
今日もバスの旅で8時50分に出発した。
善導寺
1212年開創の浄土宗の寺、中国浄土門の開祖である善導大師に因んで名づけられた。山門を入ると境内が広い。本堂に向かって右側に蒙古碇石が直立しており、そこに彫られた地蔵菩薩(県指定)がある。本堂にお参りしてバスに戻った。
筥崎宮
筑前国一宮で名神大社、官幣大社、祭神は応神天皇、神功皇后 玉依姫命、バスを降り、参道を進むと一の鳥居(重文)がある。1609年黒田長政が建立したそうだ。柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いている。笠木と島木は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じという珍しい鳥居で「筥崎鳥居」と呼ばれている。楼門(重文) は1594年筑前領主であった小早川隆景が建立、三間一戸、入母屋造、檜皮葺の建物だ。三手先組で大きな屋根を支えている。扁額には亀山上皇筆の「敵国降伏」が書かれている。幕末に大分の日田で塾「咸宜園」を起こした広瀬淡窓は詩のなかでこの楼門を伏敵門といっている。拝殿(重文)は1546年大内義隆が建立、中に入れずよくわからないが宗像神社と同じく本殿(重文)の正面中央部にT字形をなして接し、妻を正面とした切妻造で、四方何らの仕切を設けず、四方吹き放ちになっているようだ。拝殿に向かって右の方に千利休による奉納と伝わる石灯篭(重文)らしきものが見えた。社殿の周りを一周して亀山上皇尊像奉安殿に行き、亀山上皇尊像(県指定)を拝んだ。碇石(県指定)等を見て参道横にある恵光院に入った。
恵光院
筥崎宮の旧別当寺で廃仏毀釈の難を逃れ、他寺より引き継いだ仏像や絵画等多数あるそうだ。
境内に菩提樹があり、蕾は黄色くなり、間もなく咲きそうであった。その奥に灯篭堂がある。千利休が九州征伐で箱崎に滞在していた豊臣秀吉を招いて度々茶会を開いたとされる処だそうだ。宝形造、銅板葺の本堂に上がると中央に八幡宮 薬師如来坐像(本尊)、弘法大師、左手に愛染明王像、不動明王坐像(市指定) 弥勒如来坐像(市指定))、右手に弁財天 毘沙門天 大黒天の9体が安置されている。まず本尊薬師如来の真言「オンコロコロセンダリマトウギソワカ」を唱えて拝んだ。その後内陣に上がらせていただき、9体の仏像を身近に拝観した。続いて住職の奥さんがいろは歌にメロデイ―を付けて歌った後、釈迦涅槃図の「絵解き」を特別にしてもらった。涅槃(ニルバーナ)は「消滅する」という意味ですべての煩悩が消滅して悟りを完成させた境地を指している。 釈尊の死を「涅槃に入る」というのはそのためだ。画面は中央の宝台に横たわるお釈迦様を描き、『涅槃経』に記すように「頭北面西右脇」で涅槃の
境地に入られた証拠に全身が金色に輝いている。枕許に包みが置いてあるがこれは托鉢に廻るときに施物を受けるための鉢を包んだものだ。下に動物が描いてあるが十二支の動物が釈迦の涅槃を聞いて駆け付けた順番だそうだ。ネズミが一番なのは牛の頭に乗っていたが最後に飛び降りて一番となったそうだ。一昨年津の専修寺で絵解きを聞かせてもらったが今回の方が良かったような気がした。本堂を出て隣の昼食場所へ行った。
昼食「筥崎宮迎賓館」ラセゾン
百合やアジサイの咲いている小道を通り館内に入った。ガラス張りの明るいお店でガラス越しに枯山水風の庭がよく見える。フレンチレストランだがナイフとフォークの横に箸がおいてあるのが良かった。まずビールを飲み、前菜、スープ、お肉などを美味しくいただいた。
食後バスに戻り、早良区の方に進んだ。
元寇防塁(西新) (史跡)
バスを降り、早良区西新の住宅地を進むと「史跡 元寇防塁」の石碑が建ち、発掘された防塁がある。現在の海岸線はずっと北の方にあり、当時の状況を想像しにくい。
文永の役では元軍に上陸されて戦場となり、焼き尽くされたことから海岸線約20kmに防塁を築いた。高さが3mほどあり、弘安の役では上陸を許さず、効果があったようだ。
福岡市美術館 
大濠公園の近くにあり、今年の3月にリニューアルしたばかりだ。建物は前川国男の設計、全館茶色の建物だ。入館してまず旧東光院の仏像を見た。東光院は最澄創建と伝わる古刹だったが没落し、境内地と仏像等の宝物は市に寄贈された。阿吽の仁王像は南北朝時代の作で会場を守って
いるようだ。本尊薬師如来立像(重文)は桧の寄木造で平安時代後期の特徴である彫の浅い像だ。横に木造日光菩薩立像が立ち、周りに十二神将(重文)が立ち、本尊を守っている。次に松永記念館室に入り、松永安左エ門の茶道具コレクションを見た。春草盧(茶室)の一部が再現されている。本物は東京国立博物館の裏庭にある。二階にある近現代美術を見てバスに戻った。
櫛田神社の近くにある冷泉公園の横にバスを止め、道を渡った所に亀山上皇の勅願寺であった大乗寺があったが空襲で焼失、元寇の際に敵国の降伏を祈願した勅願石と地蔵菩薩板碑(県指定)が道路端に残されており、見学した。
櫛田神社
博多の総鎮守、祭神は須佐之男命、大幡主命、天照大御神で神紋は五つ割り木瓜、三つ盛り亀甲
に桐、唐花となっている。7月の博多祇園山笠(重要無形民俗文化財)が一番有名だが5月の博多どんたく、10月の博多おくんちも知られている。参拝を済ませ、拝殿の唐破風を見上げると左右に掲げられている風神雷神の木彫りがあり、風神があっかんべぇをして雷神から逃げる様子を表しており、面白い。境内を廻り、博多塀、一年中展示されている飾り山笠、碇石(県指定)、樹齢千年と云われるご神木の櫛田の銀杏(県天然記念物)を見た。南神門を出ると下り坂になり、博多川に架かる橋を渡ると中州となる。橋からの景色を眺め、境内に戻り、バスに乗った。
住吉神社
筑前国一宮、祭神は住吉三神(底筒男神 中筒男神 表筒男命)だ。参拝を済ませた後、神職の
説明を聞いた。平入の拝殿(重文)は幣殿とつながり、本殿(重文)は妻入りとなっている。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗りだ。黒田長政が造営したそうだ。一般に大阪の住吉神社の方が古いといわれているがどちらともいえない。祝詞は冒頭の[筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に・・]とあるがこの地はどこかと質問すると能古島の対岸にある福岡市の小戸公園辺りにあったようだとの答えであった。九州北部には宗像氏、安曇氏等の海人がいた。祭神の出現は筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときにお生まれになったと「古事記」にも記されており、当社の方が古いと思った。その後能楽殿(市指定)に案内してもらった。総桧造、橋懸かり五間の舞台は、国産ひのきの1枚板、床下には音響効果を考えられて数個の甕が置かれている。床下にある甕を見たのは初めてのことで甕が横向きに置かれているは音響を考えてのことだそうだ。客席は桟敷になっており、舞台横の身分の高い人が鑑賞する高欄付き桟敷にも入ってみた。能楽堂の見学を終え、境内を見て回った。相撲場と浅香山部屋と書かれた建物があり、九州場所の際の宿所になっているそうだ。場所前には横綱奉納土俵入りがあるそうだ。本殿近くには「古代力士像」というブロンズ像がある。
三日間の行程を終え、バスは空港に向かい、空港で解散、バスは博多駅に向かった。イタリアン、イカの生き作り、和食、フレンチと各種の食事をいただき、行き届いた案内で楽しい旅であった。

令和元年5月例会 博多の古刹と肥前名護屋城跡を訪ねて 
担当 大岩泰 TEL.0466-25-7571 携帯 090-7943-6770

遣唐使から遣明使までの間、日本は中国(宋、元)や朝鮮との正式の国交はありませんでしたが、民間交易は活発でした。博多の大寺社が主にその拠点となったこともあって、商人や僧侶の往来も活発に行われていました。その様子等、ご住職から直接お話をうかがえると思います。今回は代表的な寺社を訪れて文化財を拝観しつつ、そうした歴史を感じていただけるものと思います。なお、二泊三日の中日には唐津、呼子方面に足を伸ばして、世界遺産の唐津「おくんち」曳山展示館、秀吉が朝鮮出兵の拠点とした「肥前名護屋城跡」等を訪ねます。加えて、古美術品を多く収蔵している福岡市美術館(3月、リニューアルオープン)や蒙古襲来の後に築いた元寇防塁(発掘復元)、なども訪ねます。なお蒙古沈没船のいかり(石で作られている)は以前市内の随所で見られたようですが現在は主要寺社に保存されていて文化財(県指定。考古資料)となっています。大勢の皆様にご参加いただけることを期待しています。


◆月 日 令和元年5月28日(火)~30日(木)  二泊三日、ホテルは連泊。
◆集 合 5月28日(火) ホテルルートイン博多駅前 1階ロビー13時30分(博多駅そば)
各自昼食は済ませてください。なお参加者には締切後に昼食場所の案内図(駅中に数多くありますが予約できません)、JR博多駅からホテルへの接続ルート、空港からの地下鉄による博多駅への連絡など幹事から郵送いたします。
◆アクセス
①航空機 (四月号時刻表による) 出発直前にご確認願います。時刻変更、多少早まること等もあります。JAL311  羽田空港 9時20分→福岡空港 11時15分 (幹事は当便利用)
ANA 245  羽田空港 9時  → 福岡空港 10時50分
②新幹線 さくら549  新大阪 9時17分 →新神戸9時31分 →博多 11時54分
なお、関東の方は 東京 6時50分→博多11時57分 (のぞみ7号)も利用できますが特急券のジパングによる割引は利用できません
◆行 程◇国史跡
○重文 △県指定 □市指定 ◉はガイド(住職、神職、学芸員、歴史ガイド)
<1日目> 5月28日 徒歩(約2.5キロ 平地)、地下鉄
13:40 ホテル出発(荷物はホテルに一括預けます)当日地下鉄2回 400円各自でお願いします。
14:00 ◉承天寺 博多三禅刹の一。○本尊 釈迦如来坐像○両脇侍○銅鐘(朝鮮鐘)□唐門△碇石
博多剛首 謝国明、太宰少弐・武藤資頼の支援により聖一国師(円爾)が開創。東福寺末。
15:00 ◉妙楽寺  開山・月堂禅師による。1316年開創。本尊釈迦如来
承天寺、聖福寺ともに「勅願寺」でしたが妙楽寺は商人や外交とのつながりのある異色の寺。
「ういろう伝来の地」の石碑あり。博多練塀。
16:00 聖福寺 博多三禅刹の一.◇境内○木造十六羅漢像△銅鐘 丈六の3世仏(本尊釈迦如来)
1195年開創。博多練塀。 開山栄西 開基頼朝。後鳥羽上皇辰筆の勅額「扶桑最初禅屈」。
17:00 福岡市役所1Fロビーミニチュアーで祭を再現、「博多まつばやし」及び博多祇園山笠見学。
18:00 夕食 ブッチャーズ博多天神店  パスタ料理 18時~20時  TEL 092- 718 -2073
20:30 ホテル着  ホテルルートイン博多駅前  シングル、ツイン TEL 092- 477- 8885
<2日目>5月29日(貸切バス利用)
8:00 ホテル前出発
9:20 ◉旧唐津銀行本店 △建物 辰野金吾監修の建物。唐津は辰野金吾と盟友・曽根達蔵 出身地。
10:20 唐津神社 ご祭神 第一宮 住吉三神、第二宮 神田広次(平安時代に神社創建した領主)
神功皇后が三韓征伐に臨み当所で祈願したとの伝承あり。江戸時代は藩主祈願所。
10:30 曳山展示場 「唐津くんち」は世界無形文化遺産。唐津神社のメインの祭事。(11月2~4)
11:50 昼食 いか本家いそ浜別館 いか活造り定食 TEL 0955- 82- 1113
13:00 ◉肥前名護屋城博物館 見学及び学芸員の説明。
14:10 ◉名護屋城跡見学 ◇国特別史跡 史跡範囲は名護屋城跡並びに陣跡(24カ所)。
15:20 道の駅「桃山天下」
18:00 ホテル着
18:30 夕食 ホテル内 「花の舞」和食宴会料理 TEL092 477 8887
<3日目>5月30日(貸切バス利用)
8:50 ホテル前出発
9:10 善導寺 浄土宗△本尊善導大師立像 △鎮西上人立像(本堂内拝観不可)△いかり地蔵 △梵鐘
10:00 筥崎宮 筑前国一宮  ○一の鳥居、○楼門、○拝殿、○本殿 △亀山上皇尊像 △碇石
ご祭神 応神天皇、神功皇后 玉依姫命
10:30 ◉恵光院筥崎宮の旧別当寺。唯一残っている関係から、他寺より引き継いだ仏像や絵画など多数。 本尊 薬師如来△不動明王坐像△弥勒如来坐像△釈迦如来坐像 十一面観音像(南宋由来)秘仏 石層塔(南宋由来) 灯篭堂 秀吉が箱崎宿陣の時千利休が茶を奉った所。
釈迦涅槃図の「絵解き」を予定。
12:00 昼食 「筥崎宮迎賓館」 昼のランチセット  TEL 092- 651- 1100
13:40 元寇防塁(西新) ◇ 市内10か所すべて国史跡。
14:20 福岡市美術館 ○旧東光院の仏像 他
15:30 櫛田神社 博多祇園山笠で有名。博多の総鎮守。ご祭神 天照大御神 大幡主命 須佐之男命 △碇石 博多練塀。
16:20 ◉住吉神社 筑前国一宮 ○拝殿 ○本殿 △銅矛6口、銅才6口 □能楽殿
ご祭神 住吉三神 (底筒男神 中筒男神 表筒男命) 相殿に天照皇大神 神功皇后。
17:30 福岡空港 解散
18:00 JR博多駅 解散
◆参加費  50,000円
◆締切 令和元年5月7日(火)
 指定申込用紙でお振込みください。当日付郵便局消印まで。
◆復路のアクセス
航空機  19時以降の出発便を予約ください。
JR(関西方面) 博多18;42→新大阪21;25
以上

京都・嵐電沿線の文化財めぐり レポート 
平成31年3月19~20日
10時20分京都駅八条口に23名が集合し、貸切バスに乗り、旅が始まった。堀川通を北に向け進み、左折して今出川通に入り、上七軒の交差点で右折し、駐車場に入った。
千本釈迦堂(大法恩寺) 真言宗智山派の寺院
1227年義空上人により開創された寺だ。上人は奥州平泉の藤原秀衡の孫だそうだ。境内に入り、本堂(国宝)を見上げた。創建時の建物で入母屋造、桧皮葺だ。周りに壁はなく、蔀戸(シトミド)や引違戸のみでよくも戦乱を逃れ、今日まで残ったものだ。京都洛中で最古の国宝建造物、それに次ぐのが三十三間堂だ。堂内に入り、本尊にお参りした。本尊の釈迦如来坐像(重文)は秘仏であるが東博で拝むことが出来たので思い出せた。快慶の弟子行快の作だ。須弥檀の横に「おかめ」の像がある。「おかめ」はこのお堂を建築した棟梁の嫁の名前で誤って柱を短く切った棟梁の失敗を斗栱で補うというアイデアで切り抜けることが出来た。女房の機転で失敗を補ったことが世間に知られたら棟梁の面目がつぶれると思い彼女は自殺した。それ以後寺では「おかめ」が大切にされるようになったそうだ。堂内には多数の「おかめ」の像が奉納され展示されている。境内には供養塔が建ち、「おかめ」の像があり、霊宝館の鬼瓦にも「おかめ」像が刻まれていた。堂内の柱には刀傷や矢傷が生々しく残っている。応仁の乱のときの傷跡だそうだ。お堂を出て霊宝館に入り、木造の釈迦十大弟子立像、千手観音立像、六観音菩薩像(いずれも重文)を拝観した。木造十大弟子立像は快慶と弟子行快の銘が一部の像に記されているそうだ。木造六観音像は肥後定慶作で地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を救う観音とされている。その役目は地蔵信仰の広がりと共に六地蔵に引き継がれていった。台座も光背も造像当初のもので背面の隅々まで、精緻に彫られている。東博では光背を取り外し、その美しい背中も間近に見ることが出来た。銅造誕生釈迦仏立像(重文)は花まつりの本尊、右手で天上、左手で地を指している。誕生仏としては比較的大きい。木造千手観音立像は寺の創建より古い時代の仏像で衣文の飜波(ホンパ)は藤原前期彫刻の特徴を表している。傅大士(フダイシ)および二童子像(重文)の傅大士は輪蔵を初めて造った人、輪蔵はあちこちにあるが重文の傅大士は珍しい。ダ太鼓縁 一対(重文)はダの字がむつかしくて読めなかった。バスに戻り、鷹峯(タカガミネ)の方向に進み、坂を上るとしょうざんリゾートで広大な敷地に庭園、結婚式場、料亭、レストラン等多くの施設がある。

昼食 しょうざんリゾート京都 中国料理 楼蘭
もとは本阿弥光悦が徳川家康から拝領した土地であった。そして多くの芸術家や風流人が集まり、光悦村を形成していたそうだ。ウールお召しで財を成した西陣織の社長が昭和26年からこの地をリゾート地にしようと開発したそうだ。バスを降り、しばらく歩くと瀟洒な白い建物がある。中に入り、案内された部屋には三つの丸テーブルがあり、それぞれが分かれて座った。なかなか明るく雰囲気の良い店だと思った。中華料理だと大皿に盛られた料理を順番に分けて取るイメージだが今回はそれぞれに料理が運ばれてきた。ビールを飲み、浅利とナメコのスープ、海老の包み揚げ、点心三種と小龍包等を美味しくいただいた。皆さんの評判も良かったようだ。食後 バスは坂道を下り、金閣寺、龍安寺、広沢池等を横に見て大覚寺に向かった。
大覚寺 史跡、名勝 右京区嵯峨大沢町4
平安時代初期に嵯峨天皇の離宮として造営されたのが始まり、鎌倉後期には旧嵯峨御所となり、大覚寺統の御所であった。南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝の後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのもこの寺であった。山門を入ると背が低く整えられた松が迎えてくれた。玄関から中に入り、鴬張りの廊下を歩き、まず宸殿(重文)を見た。宸殿は入母屋造、檜皮葺 蔀戸(シトミド)を用いた寝殿造風の建物で東福門院(後水尾天皇中宮)の旧殿を移築したものと伝えられる。白砂の前庭には「左近の梅、右近の橘」が植えてあり、梅の花が美しい。平安時代中頃からは桜が愛でられ、左近の桜が多くなったようだ。心経前殿の正面入り口が勅使門で中に入ると嵯峨天皇と空海の像が右奥にあり、中心には何もなく、庭の先にある八角円堂の勅封心経殿を拝むようになっている。中に嵯峨天皇他の歴代天皇が書写した般若心経を収めてあるそうだ。五大明王が祀ってある五大堂を見て大沢池(名勝)を眺めた。正寝殿(重文)は入母屋造、檜皮葺、桃山時代建立の書院造で対面所となっており、南北朝の講和が結ばれた所だ。一回りして外へ出た。バスはすぐ近くの清涼寺に向かった。
嵯峨釈迦堂(清涼寺)  右京区釈迦堂藤ノ木町46
嵯峨天皇の皇子源融(ミナモトノトオル、光源氏のモデル)の一周忌に当たる896年、融が生前に造立発願して果たせなかった阿弥陀三尊像(国宝)を子息が造り、これを安置した阿弥陀堂を棲霞寺(セイカジ)と号した。又東大寺の僧奝然(チョウネン)は北宋から987年に釈迦如来立像(国宝)を持ち帰った。その像を安置する寺は延暦寺の反対で建てられなかったが弟子が棲霞寺(セイカジ)境内に釈迦堂を造り安置したことにより始まった。二重門形式の仁王門をくぐり、早咲きの河津桜を見て本堂(府指定)に入り、本尊釈迦如来立像を拝んだ。本堂は綱吉・生母桂昌院の発願によるもので正面上には隠元禅師筆による「栴檀瑞像」の大額が掛っている。本尊は頭髪を縄目状に表現し、大衣に衣文線を同心円状に表すなど、当時の中国や日本の仏像とは異なった特色を示している。鎌倉時代西大寺の僧叡尊がこの像を本来の釈迦像として信仰したことにより、清涼寺式釈迦如来立像として多くの像が造られた。像内納入品納入品のうち「五臓六腑」(絹製の内臓の模型)を見て堂内を廻り、裏側の庭を見て外へ出た。境内の一角に経蔵があり、入り口に傅大士および二童子像が祀られており、中に入り輪蔵を見た。境内にある豊臣秀頼の墓石等を見てバスに戻った。嵯峨鳥居本を右の方へ行き坂を上り、トンネル手前の信号の手前でバスから降りた。
愛宕念仏寺(オタギネンブツジ) 右京区鳥居本深谷町2-5
8世紀中頃、称徳天皇により京都・東山今の六波羅蜜寺近くに愛宕寺 (オタギデラ)として創建された。当時京都の四条の西院から東山方面にかけての地を愛宕郡(オタギテグン)と言ったそうでこの地名が寺の名前の由来だ。愛宕山(アタゴヤマ)の麓にあるある寺が何故オタギ寺かの理由が分かった。平安時代に天台宗の僧千観が復興し、名を愛宕念仏寺と改め、天台宗に属した。その後は興廃を繰り返したが最後は本堂、地蔵堂、仁王門を残すばかりとなった。大正時代に区画整理によって現在の場所に移ったが昭和25年に台風によって被災して廃寺になった。昭和30年仏師で僧の西村公朝(1915- 2003)が再興した。彼は当時三十三間堂の千手観音の修理もしていたのと余りの荒れ寺に引き受けるのをためらった。それを清水寺貫主・大西良慶の「それだけ傷んでおれば、草一本むしりとっても、石一つ動かしても、おまえは復興者やといってもらえる。わしも手伝ってやるから」の激励で復興に取りかかったそうだ。
昭和56年から素人の参拝者が自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まり、現在1200体の羅漢像があるそうだ。仁王門をくぐり境内に入った。斜面に所狭しと羅漢像が並び、表情豊かな顔で苔むした姿を見せ、親しみの持てる像だ。ふれ愛観音堂に入り、金色の「ふれ愛観音」を拝んだ。ふっくらした顔でややたれ目で親しみやすい像だ。目の不自由な女性の姿を見て「触ってもよい仏像は今までなかった」ということに気づき、「ふれ愛観音」を造ったそうだ。本堂(重文)は方五間の単層入母屋造、本瓦葺で鎌倉時代のものだ。山の斜面に建つ「三宝の鐘」は三つの鐘の音律で仏の心を伝える鐘とされているそうだ。少し上に上がると公朝さん作の金色の弥勒菩薩立像がある。羅漢堂に入ると公朝さんの座像があり、その後ろに釈迦十大弟子の像がある。天井画も公朝さんの描いたものだ。拝観を終わり、約束の時間より少し早かったのでバスの来るのを待った。
本日の行程が終了し、JR嵯峨嵐山駅の北側でバスを降りた。連絡通路を渡るとすぐにトロッコ列車の始発嵯峨嵐山駅があり、駅に沿って左に歩くと今日の宿だ。

ホテルビナリオ嵯峨嵐山
部屋で荷物を降ろし、テレビの相撲を見て6時30分より夕食となった。美味しい酒と料理、楽しい語らいで時が過ぎ、更に部屋で二次会となった。翌朝風呂に入り、7時から朝食、近頃はヴァイキングが多いがここでは机に焼き魚、生卵、煮物、みそ汁、小鉢に入った京のおばんざい等が用意されていた。部屋で少憩し、荷物をホテルに預け、9時頃二日目の行程が始まった。二日目は貸切バスでない。最寄りのバス停まで歩き、大覚寺行きのバスに乗り、清凉寺前で下車した。仁王門から入り、境内を斜めに歩き、高麗門から外へ出て鴬の声を聴きながら二尊院に向かった。
二尊院
嵯峨天皇の勅願により天台座主円仁が平安初期に建立したことに始まる。鎌倉初期には法然が二尊院に住み、応仁の乱で諸堂は全て焼けた。16世紀に三条西実隆が本堂・唐門を再建した。
総門(市指定)は切妻造、本瓦葺、伏見城にあった薬医門を角倉了以によって移築・寄進されたものだ。外側と内側の蟇股に椿が刻まれているのが印象に残った。総門を抜けた先に広がる真っすぐに伸びた200m程の参道は「紅葉の名所」として親しまれている。その先に唐破風の付いた勅使門があり、これをくぐると本堂(市指定)がある。勅使門は通常通れない所だがここは誰でも通ることができる。入母屋造檜皮葺の本堂に入り、木造釈迦如来立像 と阿弥陀如来立像の二尊(共に重文)を拝観した。極楽往生を目指す人を此岸から送る「発遺の釈迦」と彼岸へと迎える「来迎の弥陀」の遺迎(ケンゴウ)二尊と云われている。この像が寺名の由来だ。左右対称で金泥塗り、玉眼入りの像で釈迦は施無畏与願印を示し、阿弥陀は来迎印であるが左右対称にするため通常とは逆に左手が上になっている。このような印相は播磨の浄土寺の阿弥陀如来立像(国宝)にも見られる。本堂を出て境内を散策、石段を上がった所に角倉了以の一族の墓が有る。彼は徳川家康の政策により13回に及ぶ朱印船貿易で安南に渡り、貿易で財をなし、それを投じて大堰川、鴨川、高瀬川など各地の開削を行い、水運の父と称せられた。弁天堂は宝形造で通常宝珠のある所に鳳凰があり、弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神を祀るお堂だ。八社宮(市指定)は境内の東北に位置し一間社、流造、杮葺の建物で覆い屋に囲まれている。小倉餡の発祥地でもあるそうだ。境内を出てしばらくすると山茱萸(サンシュユ)の花があり、やや上りの道を歩くと常寂光寺の門前に出た。さらに進むと野宮神社があり、その先の竹林の道に進むと外人観光客が多く、スムーズに歩けない程であった。
天龍寺の横を通り、渡月橋の手前を右に曲がり、川沿いに少し歩くと昼食場所だ。

昼食 松ケ枝(豆腐料理)
部屋から見える庭は表に向かって高くなり、人通りが見えなくしてある。馬酔木(アシビ)が咲き誇り、庭石が配置され、苔が一面に植わっており、風情のある庭だ。豆乳スープ、つけもの、緑と白の市松模様の湯豆腐、生麩田楽等を頂き、ビールを飲み、最後にソバの実ちりめんご飯を頂いた。
食後 人通りの多い街並みを歩き、嵐電嵐山駅に向かった。嵐電一日フリー切符を貰い、電車に乗り、太秦広隆寺駅で降りた。
広隆寺 右京区太秦蜂岡町
広隆寺は603に年建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の七大寺の一つだ。入母屋造本瓦葺、楼門形式の仁王門をくぐり、寄棟造、本瓦葺の講堂を眺め、霊宝殿に入った。堂内は薄暗く、目がなれるまでに時間がかかった。左側に十二神将(国宝)が安置されている。定朝の弟子で「円派」の祖、長勢の作と伝えられ、後に十二支と習合する他の像に比し動きが少ない。正面の聖徳太子半跏像(重文)は桂宮院本堂の本尊だ。横に弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)(国宝)がある。韓国の国立中央博物館の弥勒像とよく似ている。赤松材で出来ており、多分新羅から持ち込まれたものであろう。横に一回り小さな弥勒菩薩半跏像(泣き弥勒)(国宝)がある。楠木で出来ており、飛鳥時代に造られたものであろう。振り返ると大きな不空羂索観音立像(国宝)がある。奈良末頃の作で像高313.cm、三目八臂の頭が小さく、脚が長くてプロポーションが良い。千手観音立像、(国宝)は平安初期、桧の一木造、像高は266cmと大きい。 地蔵菩薩坐像(重文)右手には錫杖を持たず与願印をしており、古いタイプの姿で翻波式衣文は深く刻まれる。この外にもあり、仏像に堪能した。境内を見て回り、駅に戻った。嵐山方面の電車に乗り、三つ目の車折神社で降りた。
車折神社 (クルマザキジンジャ)  右京区嵯峨朝日町23
駅からすぐに境内となっている。鎌倉時代に後嵯峨天皇が牛車で嵐山を訪れた時に神社の前で牛車(ギッシャ)の轅(ナガエ、牛車をひっぱる部分)が折れた。天皇はご祭神に気付かず前を通った非礼を詫び、「車折大明神」の号と正一位を贈られた。このことから車折神社と呼ばれるようになったといわれている。金運、良縁、厄除け、祈願の神社であるが境内社の芸能神社は天宇受売命(アメノウズメノミコト)を祀っており、芸能、芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。境内には河津桜がきれいに咲いていた。駅に戻り、電車に乗り、次の鹿王院で降りた。駅から南の方角に5分程歩き、右に曲がると山門がある。
鹿王院(ロクオウイン)  右京区嵯峨北堀町24
1387年に足利義満が開基した宝幢寺の塔頭であった。総門は切妻造、本瓦葺の四脚門で山号の「覚雄山」の額が掲げられている。門から方丈への長い参道は苔で覆われており、杉苔の上に落ちた一輪の椿が風情を誘っていた。本堂に上がり、市名勝庭園を眺め、廊下伝いに進むと宝形造、桟瓦葺、裳階付の舎利殿がある。中に入り、内陣にある舎利殿を拝んだ。堂内には仏涅槃図1幅と十六羅漢図16幅が掛けられている。天井は小組、格天井で柱は円柱となっている。
駅に戻り、一駅電車に乗り嵐電嵯峨で下車、ホテルに戻り、荷物を受け取り、解散となった。

初日に心配された雨もなく、お天気に恵まれ、河津桜、山茱萸、馬酔木等の花を愛で、美味しい食べ物をいただき、国宝、重文の数多くの仏像を拝み、素晴らしい旅であった。 齋木 敏夫

平成31年3月例会 京都・嵐電沿線の文化財めぐり 

担当 井口 孚 TEL.075-352-7556 携帯 090-2196-4718
30年度最終例会を迎えました。今回は京都・嵐電沿線の文化財めぐりと題して、下記の通り1泊2日の行程で計画いたしました。嵐山方面へは 本会でも何度か訪れておりますが今回は第2日目に嵐電に乗車して沿線の文化財を訪問する趣向としたいと思います。千本釈迦堂の仏像は昨秋の東京国立博物館での展覧会でご覧になられた方も多いと思います。また嵯峨釈迦堂の釈迦如来立像は各地に見られる清凉寺式釈迦如来立像のモデルの像です。当初の計画にございました等持院は改修工事のため、蚕ノ社は台風21号の被害のため、訪問先から除外しました。しかし数多くの国宝重文がご覧になれると思います。ご参加をお待ちしております。
なお、第1日目の貸切バスに定員の限りがございますので、お申し込みが25名に達し次第、受付を締切らせていだたきます。

(写真)大覚寺

 

 

 


一、月 日 平成31年3月19日(火)~20日(水)
一、集 合 3月19日(火) JR京都駅新幹線八条口 10時20分  時間厳守
一、行程                   ◎国宝、〇重文、△県指定、□市指定
一日目 3月19日(火) <貸切バス利用 >
11:00  千本釈迦堂(大法恩寺)  上京区七本松通今出川上る
本堂(1227年創建)は、幾多の戦火を免れ、創建時の姿をとどめている。京都市内最古の木造
建造物として、1952年に国宝に指定された。
◎本堂 〇木造十大弟子立像 10躯 〇木造六観音像 6躯 〇銅造誕生釈迦仏立像 他
12:00  昼食 しょうざんリゾート京都 中国料理 楼蘭 北区衣笠鏡山町47  075-491-5101
13:30  大覚寺 史跡、名勝 右京区嵯峨大沢町4
真言宗大覚寺派の本山で正式には旧嵯峨御所大本山大覚寺と称し、嵯峨御所ともよばれる。中秋の名月に大沢池に船を浮かべる「観月の夕べ」が有名。
〇宸殿 入母屋造、檜皮葺 蔀戸(シトミド)を用いた寝殿造風の建物、
〇正寝殿 入母屋造、檜皮葺 桃山時代建立の書院造建築
15:05  嵯峨釈迦堂(清涼寺)  右京区釈迦堂藤ノ木町46
嵯峨釈迦堂の通称で親しまれている。本尊釈迦如来は国宝であり、日本三如来の一つとして昔
から広く信仰されている。◎木造釈迦如来立像および像内納入品◎木造阿弥陀如来及び両脇侍坐像
〇木造文殊菩薩騎獅像 〇木造帝釈天(伝普賢菩薩)騎象像 〇木造地蔵菩薩立像
〇木造毘沙門天立像 〇木造毘沙門天坐像 –
16:10  愛宕念仏寺(オタギネンブツジ) 右京区鳥居本深谷町2-5 西村公朝師が復興した寺
愛宕街道と清滝街道が合流する山すそにある古寺で、本堂(重文)は鎌倉時代の建築。1955年に
天台宗本山より住職に命じられた西村公朝師が復興し、1981年より素人の参拝者が自ら彫って奉納する「昭和の羅漢彫り」が始まった。〇本堂 鎌倉時代の建築。1200体の羅漢像
17:30 ホテルビナリオ嵯峨嵐山  JR嵯峨嵐山駅前  075-871-9711
シングルなし。ツインと和室(男性3~4名)。大浴場あり。
一人一部屋をご希望の場合は、参加費に加え5,000円必要です。
第2日目 3月20日(水) <徒歩、嵐電>
出発9:00  荷物はホテルに預ける。
9:30  二尊院  右京区嵯峨二尊院門前長神町27
「百人一首」で名高い小倉山のふもとにある。嵯峨天皇の勅願により、834年に開山した。
阿弥陀如来と釈迦如来の二尊(重文)を本尊とする。奥には百人一首ゆかりの藤原定家が営んだ
時雨亭跡と伝わる場所がある。〇木造釈迦如来立像 〇木造阿弥陀如来立像  阿弥陀像の施無畏与願印が通常とは逆になり、左右対称形となっている。
11:30  昼食 松ケ枝(豆腐料理) 右京区嵐山渡月橋北詰西入   075-872-0102
13:30  広隆寺  右京区太秦蜂岡町
渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都最古の寺院である。
国宝第一号弥勒菩薩半跏思惟像を霊宝殿で参拝。飛鳥、天平、貞観、藤原、鎌倉、それぞれの時代を代表する仏像が安置されている。
◎桂宮院本堂 〇講堂 ◎木造弥勒菩薩半跏像「宝冠弥勒」◎木造弥勒菩薩半跏像「泣き弥勒」
◎木造阿弥陀如来坐像 ◎木造不空羂索観音立像 ◎木造千手観音立像 ◎木造十二神将立像
14:30  車折神社 (クルマザキジンジャ)  右京区嵯峨朝日町23
金運、良縁、厄除け、祈願の神社であるが、境内社の芸能神社は天宇受売命を祀っており、芸能、
芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けている。例祭  三船祭(平安時代の舟遊びを再現)
富岡鉄斎が一時宮司を務め、鉄斎の作品が多数有り。
15:05  鹿王院(ロクオウイン)  右京区嵯峨北堀町24
美しい参道のある小さな古刹。臨済宗系の単立寺院で、山号は覚雄山。足利義満が春屋妙葩を開山と
して建立。本尊は釈迦如来。庭園 京都市名勝
16:30 JR嵯峨嵐山駅解散  ホテルビナリオにて荷物受け取り。JR嵯峨嵐山駅 → 京都駅着
一、参加費  ¥30,000円  ※一人一部屋をご希望の方は、35,000円です
一、締切 平成31年2月28日(木)指定申込み用紙でお振込み下さい。
当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
<往路・復路について>
JR東海(東海道新幹線)、JR西日本(京阪神在来線)とも、平成31年3月16日にダイヤ改正
が行われる予定です。往路および復路の列車の時刻については、各自でお調べください。 以上

平成31年1月例会レポート(日帰り)渋谷地区の文化財めぐり 
斎木敏夫
●恵比寿駅西口に10時 25名(後で2人参加)が集まり、都営バスに乗った。三つ目の停留所 東三丁目で下車して少し歩いた。
塙保己一(ハニワホキイチ)資料館
 温故学会会館は昭和2年に建築された鉄筋コンクリート造2階建で登録有形文化財だ。建物は「群書類従」版木(重文)の管理・保存の目的で昭和2年渋沢栄一、三井八郎右衛門らの努力により、完成した。階段を上り、二階の講堂に入った。外観とは打って変わって部屋は畳敷きで床の間も付いている。椅子が用意されており、そこに座って塙保己一について館長の話を聞いた。彼は1746年埼玉県本庄市に生まれ、1752年7歳の時に失明した。1760年江戸に出て雨富検校に入門するも針灸は上達せず、学問に打ち込むようになった。1763年に師匠の苗字をもらい塙姓を名乗った。その後 賀茂真淵に入門し、勾当に進んだ1775年に名も保己一と改めた。1779年「群書類従」の編纂を始め、完成までに40年の歳月を要した。その間の費用は大阪の豪商・鴻池などからの多額の借金により賄った。編纂の手順は塙が暗記した文章を読み上げ、それを弟子が書写し、更に版木にするため文字を刻むといった大変な作業であった。今まで盲目の人がどうやって成し遂げたのか不思議に思っていたが納得できた。1,819年に完成し、その二年後に亡くなったそうだ。関東大震災の時には倉庫が倒壊したが版木は消失を免れた。昭和20年の空襲に際し、周辺は焼き尽くされたが必死の消火活動により版木は守られたそうだ。原稿用紙の20字20行のスタイルはこの版木に始まるそうだ。昭和12年に来館した ヘレンケラーは「私は子どものころ、母から塙先生をお手本にしなさいと励まされて育ちました。今日先生の像に触れることができたことは日本訪問における最も有意義なことと思います。」と云ったそうだ。
話が終わり、一階に保管されている「群書類従」版木を見て館を出た。
国学院大学博物館
館内に入り、女性職員から大学や当博物館についての説明があった。神社本庁の神職の資格が取れるのは本学と皇學館大学のみであるとのことであった。企画展 「神に捧げられた刀」が開催されており、まず見学した。布都御魂剣(フツノミタマノツルギ)の複製の形状は珍しい内反り(通常の日本刀とは逆に刃の方に湾曲)でこのような剣は初めて見た。本物の布都御魂剣は石上神宮裏手の禁足地に埋められたが明治7年に当時の大宮司によって発掘され、本殿内陣に奉安され、御神体として祀られているそうだ。 その他北条氏綱が鶴岡八幡宮に奉納した太刀(重文)、源義経が箱根神社に奉納した「薄緑丸」が印象に残った。考古展示室で土器や青銅器、神道展示室では大嘗祭の模型等を見て館外へ出た。
最寄りのバス停でバスに乗り渋谷駅に向かった。
昼食 ビアーレストラン「ライオン」
京王井の頭線のターミナルビル4階のレストラン街にある。ピッチャーから生ビールをコップに注いで飲み、枝豆、ソーセージ、ピザ等を楽しくいただいた。 食後電車に乗り、駒場東大前で降りた。
旧前田家本邸 (重文)
明治時代当地には駒場農学校があった。同校は東大学農学部となり、本郷へ移転した。一方交換の形で前田家が当地に移ってきた。昭和初期に和館、洋館が造られ、終戦後は米軍に接収され、昭和32年までの連合国軍最高司令官官邸などとして使用されたそうだ。一帯は駒場公園となっている。平唐門形式の藥医門をくぐり、和館に入ってガイドの説明を聞いた。住居ではなく賓客を接待するために建てたとされ、床の間等の壁は金唐皮紙(キンカラカワシ)に似せて豪華である。違い棚や筬欄間(オサランマ)の花の透し彫り、橋本雅邦の描いた板戸等日本建築の粋を集めており、茶室もある。庭には兼六園に見られる徽軫(コトジ)灯籠や雪吊りがあり、金沢の殿様の家であったことがよく分かった。マッカーサー後任の連合国軍最高司令官リッジウエイが住んでいたそうでその頃洋風にした所もあったようだが現在は修復されている。次に洋館に行くと入り口には車寄せが付いており、建築はイギリスのチューダー様式だそうだ。1階は晩餐会を行なう重要な社交の場で2階は家族の生活の場であった。床は寄木細工で出来、絨毯は埋め込み式でバリアフリーとなっている。シャンデリアのデザインは各室ごと異なり、調度品の多くはイギリスから取り寄せたものだそうだ。華麗な侯爵家の生活を垣間見ることが出来た。
公園を通り抜け、日本民芸館に向かった。
日本民芸館 本館建物(収蔵庫、展示室)、西館(居館)いずれも登録有形文化財
この建物は柳宗悦(ヤナギムネヨシ)が民芸活動の中で収集した民芸品の保管場所として大原孫三郎の支援により建設されたものだ。館内に入り、スリッパに履き替えて中に入った。すぐに木喰作の地蔵菩薩像が目についた。この像は柳宗悦が山梨の小宮山邸で最初に見つけた像で木喰を世に広める契機となった。館内は特別展「柳宗悦好み」が開催されており、朝鮮王朝時代の白磁、民画、家具や日本各地の焼き物、染織、漆器、絵画、木竹工等を見た。2階には木喰自身像があり、足元に大きな瓢箪型の徳利を置き、にこにこ微笑んでいる姿を見て「いきなりに ころり丸まる そのよさは 寒さ忘るる 茶わん酒かな」という歌を思い出し、酒の好きそうな姿を思った。
一通り館内を見学した後学芸員から説明を聞いた。関東大震災のあと京都に転居し、陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らと共に「民芸運動」を展開するようになった。それまで正当に評価されずタダ同然の安価で購入できた実用品、日常雑器の類に民衆的美術工芸の美を直観で発掘し、世に紹介することに努め、民芸という言葉を広めた。所蔵品は17,000点に及ぶそうだ。兼学を終え駒場東大前駅で解散となった。
寒い一日であったが楽しく見学が出来、案内していただいた森岡さんに感謝します。

平成31年1月例会(日帰り)渋谷地区の文化財めぐり 
担当 森岡 璋
TEL  03-3717-2205
携帯 090 8113 0966
渋谷区の東側には教育機関や資料館、博物館が集まり、文化の集積地となっています。又目黒区の駒場地区には東京大学、日本民芸館、旧前田侯爵邸等があります。大正から昭和にかけて活躍した柳宗悦(ヤナギムネヨシ)は陶芸家の富本憲吉、濱田庄司、
河井寛次郎等と共鳴し、民芸の普及に努め、又当時無名であった木喰仏を世に知らせました。実業家の大原孫三郎の支援により、日本民藝館を開設し、収集品を収蔵しました。今回は渋谷東地区の国学院大学博物館、塙保己一資料館、駒場地区の旧前田侯爵邸と日本民芸館をご案内いたします。多数の皆様のご参加をお待ちしています。

実施日 平成31年1月23日(水)
<アクセス> ひかり506号 新大阪6:27 京 都6:42 品川9:33 山手線 外回りに乗換
集合場所・時間  JR恵比寿駅 西口(ロータリー前) 午前10時
行程 徒歩、鉄道及びバス(ICカード又は小銭をご用意ください)
10:20 塙保己一資料館 群書類従の版木(重文)は17,244枚に及ぶ。原稿用紙の20行20字詰はこの版木に始まる。
館長の説明予定
11:00 国学院大学博物館 考古展示室(地方、時代別に整理された資料を展示)、神道展示室(日本文化の基にある神道の資料)、企画展 「神に捧げられた刀」
12:15 昼食 ビアーレストラン「ライオン」京王井の頭線ターミナル4階レストラン街 Tel 03-5428-3612
13:40 旧前田家本邸 加賀前田家14代 前田利為侯爵が昭和5年に完成させた。
洋館(重文)は1年かけての改装が10月に完工したばかり、木造2階建の和館は庭園から見ると慈照寺銀閣に似ている。
15:00 日本民芸館 本館建物(収蔵庫、展示室)、西館(居館)いずれも登録有形文化財 柳宗悦(ヤナギムネヨシ)が民芸活動の中で収集した民芸品を保管場所として建設、所蔵品は17,000点に及ぶ。 特別展「柳宗悦好み」
一、解散 JR渋谷駅 17時30分
<帰路アクセス> ひかり525号  品 川18:10  京 都20:58 新大阪 21:13
一、会費 @5,000円
一、締切 平成30年12月28日(金)
指定申込み用紙でお振込み下さい。 当日付郵便局消印まで  口座番号00110-8-114212

平成30年11月例会のレポート 日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り 
斎木敏夫 ⇒日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り

平成30年11月例会のご案内 日光東照宮・輪王寺及び周辺の社寺巡り 

日本美術史同好会 担当 西澤 好直 携帯090―4066―7699

平成9年から始まった日光東照宮・輪王寺の「平成の大修理」は、現在も継続されていますが、今回は既に修理を終え、その華麗な姿が再現された陽明門やこの秋に修理を終える輪王寺など二社一寺を拝観します。二日目は大谷川(ダイヤガワ)河岸の「憾満ガ淵」(不動明王の真言の最後の言葉“カンマン”からこの名前がついたと言う)、中禅寺湖畔に建つ中禅寺の本尊「十一面観音立像」(通称「立木観音」)、皇太子時代の大正天皇の静養所として建てられた「旧田母沢御用邸」、そして大谷石凝灰岩層の洞窟内に堂宇のある日本屈指の洞窟寺院・大谷寺と大谷石を刻んだ磨崖仏の本尊「千手観音立像」(脇堂には「釈迦三尊像」、「薬師三尊像」、「阿弥陀三尊像」の9体の磨崖仏があります)などを見学します。また、初日の昼食は明治時代に日本に初めて蓄音機を紹介したアメリカの貿易商「FWホーン」の別荘として建造された石造りの洋館レストラン「明治の館」(登録有形文化財)で気品溢れる空間での食事を楽しんで頂きます。宿泊は奥日光の湯ノ湖湖畔「休暇村日光湯元」でゆったり名湯に浸って頂きます。日光には皆様既に何度もお出でになっていることと存じますが、修理を終え、華麗な姿が再現された陽明門や輪王寺と名残の紅葉が期待される今回の例会に皆様のご参加をお待ちしております。

一、 月 日 平成30年11月14日(水)~15日(木)
一、 集 合 11月14日(水) JR日光駅改札口12時30分
<往路 アクセス>
京都方面 京都7:32(ひかり508号)→ 東京10:10着
東京10:36(やまびこ47号)→ 宇都宮11:25着 日光線11:33 →JR日光着12:17着
コース1日目(貸切バス)   ◎国宝、○重文、△県指定、□市指定
13:00 明治の館(登録有形文化財) 昼食 日光市山内2339-1 TEL 0288―53―3751
13:50 輪王寺 日光市山内2300 TEL0288―54―0531
天台宗・門跡寺院、天平神護2年(766年)勝道上人が開創。◎大猷院霊廟本殿・相の間・拝殿、
○三仏堂、護法天堂、常行堂他○「木造阿弥陀如来及び四菩薩坐像」、○「五智宝冠阿弥陀如来像」
○「木造天海坐像」他 【注】常行堂及び大猷院内部の特別拝観ができます。
15:00 東照宮 日光市山内2301 TEL0288―54―0560
◎本殿・石の間・拝殿、陽明門、東西回廊など8棟 ○神楽殿、神輿舎、鐘楼など34棟、その他
18:00 ホテル 「休暇村日光湯元」 日光市湯元温泉 TEL 0288―62―2421
地元の食材を用いた会席料理、奈良時代に開湯した湯元温泉の源泉から引いた温泉をお楽しみ下さい。
2日目(貸切バス)
8:40 ホテル出発
9:00 中禅寺 日光市中宮祠2578 TEL0288―55―0013
天台宗寺院で輪王寺別院、勝道上人が創建、坂東観音霊場18番札所。○木造千手観音立像 延暦年間に「勝道上人」が立木にこの像を刻んだとの伝承から通称「立木観音」と称されます。
10:30 田母沢御用邸記念公園 日光市本町8-27 TEL 0288―53―6767
皇太子時代の大正天皇の夏の静養所として建てられた旧御用邸の建物と庭園。
○御座所・御食堂・皇后御座所・謁見所など10棟。
11:30 かんまんが淵 日光市匠町 TEL0288-22-1525(日光市観光協会)
並び地蔵(70体)石造不動明王像、対岸絶壁に「かんまん」の梵字が刻まれています。
12:30 報徳庵(昼食) 日光市瀬川383―1 TEL0288-21-4973
日光杉並木の例幣使街道沿い食事処で蕎麦を堪能して頂きます。
13:30 大谷寺 宇都宮市大谷町1198 TEL 028—652―0128
天台宗寺院、坂東三十三観音霊場19番札所 大谷凝灰岩層の洞窟内に堂宇のある洞窟寺院。
○千手観音立像(通称大谷観音)、釈迦三尊像、薬師三尊像、阿弥陀三尊像 いずれも凝灰岩の岸壁に刻まれた磨崖仏。凝灰岩の壁面に概形を彫り出し細部を塑土で造形された石心塑像。
<大谷岩陰遺跡> 大谷寺洞窟は古代人が生活した痕跡がある古代遺跡で、1万1千年前のほぼ完全な形の屈葬された縄文人の人骨が出土、境内の大谷寺収蔵庫に保管展示されています。
<平和観音像> 大谷寺門前の大谷石石切り場跡に6年かけて総手彫りで昭和29年に完成した石像(総高88尺8寸8分、26,93メートル)。
【注】大谷資料館  宇都宮市大谷町909 TEL028―652―1232
(時間に余裕があり見学希望がある場合は帰路に立寄ります。)
大谷石地下採石場跡で、大正8年から昭和61年までの約70年間大谷石を掘り出した約2万平方
メートルの巨大な地下空間。戦時中は「中島飛行機」の地下秘密軍需工場、戦後は政府米の貯蔵庫として利用、現在はコンサート、美術展、地下教会などに活用。
15:10 JR宇都宮駅解散
一、会費  32000円
宿泊はツイン及び和洋室(3人)のみとなりますので、部屋割りは幹事一任とさせて頂きます。ルームメイト希望の方はその旨申込用紙にご記入下さい。
一、締切  平成30年10月30日(火) 指定申込み用紙でお振込下さい。
当日付郵便局消印まで  口座番号 00110-8-114212
一、帰路アクセス
宇都宮15:20(やまびこ214号)→東京着 16:16
東 京16:33(ひかり521号)→京都着19:11 →大阪着19:26  以上

30年9月例会 京の庭めぐりと古建築・仏像「京都御苑と相国寺」のレポート 
2018.9.27~28 齋木 敏夫
●近衛家別邸 御花畑屋敷跡町 ●上御霊(かみごりょう)神社 ●相国寺 ●京都御苑 ●相国寺承天閣美術館 ●同志社構内 ●冷泉(れいぜい)家 ●御香宮神社 ●黄桜記念館(キザクラ カッパ カンパニー) ●寺田屋(史跡) ●長建寺 ●月桂冠大倉記念館
⇒京都御苑と相国寺

30年9月例会 「京の庭めぐりと古建築・仏像」   担当 川 口 皓 生.

7月から猛暑となり、京都は連日35度を超える「猛暑日」で生命に危険な気温となりました。
「五山の送り火」が過ぎれば徐々に涼しくなっていくものと思われます。それを期待して9月例会のご案内をお届けいたします。日帰り(2日連続)の旅ですのでお好みのコースにご参加できます。
多数の方のご参加をお待ちしています。なお京都市営地下鉄、近鉄を利用いたしますが運賃は個人払いとさせていただきます。「ICカード」をご持参いただくか小銭のご用意をお願いします。
(Aコース) 「京都御苑と相国寺」
<アクセス> ひかり503 東 京7:33  品 川7:40 新横浜7:52 小田原8:08 名古屋9:18
米 原9:52 京 都10:11
在来線(新快速) 近江八幡9:08 野洲9:14 草 津9:21 京 都9:43
(新快速)芦屋9:15  大 阪9:30 新大阪9:35 高 槻9:46京 都9:58
一、集合場所   JR京都駅(在来線)中央口(烏丸口)10時30分
一、実施日  平成30年9月27日(木)   市営地下鉄烏丸線 京都⇒鞍馬口
11:00 近衛家別邸 御花畑屋敷跡 上京区森乃木町
薩長同盟ゆかりの地で平成28年5月に発見されました。近衛家と姻戚関係にあった薩摩藩家老小松
帯刀(たてわき)居住の屋敷で慶応2年当時朝敵となっていた木戸孝允(たかよし)一行が約10日間滞在し、西郷隆盛と会談し、坂本龍馬立ち合いの下、薩摩が長州の復権に尽力すること等が合意された場所です。
11:10 上御霊(かみごりょう)神社  上京区上御霊前通 応仁元(1407)年 応仁の乱発祥地
11:30 相国寺承天閣(じょうてんかく)美術館 今出川通烏丸東入 Tel 075-241-0423
「サンタフェリー・ダークスコレクション浮世絵最強列伝」の京都展、「臨済宗相国寺派の文化財」常設展
9月30日まで。* 65歳以上の方は200円の割引があります。健康保険証等年齢を証明できるものをご持参
ください。
12:30 昼食 京都ガーデンパレスホテル「京料理 花ごよみ」料理 「花投扇」上京区烏丸通下長者町
Tel 075-411-0404
13:30 蛤御門⇒猿ケ辻(京都御所鬼門の方角)⇒近衛邸跡
14:00  冷泉(れいぜい)家
明治維新で多くの公家が東京に移り住んだ中で京都に留まりましたが広い土地(750坪)の固定資産税の支払いにも窮しました。1970年代の学術調査で藤原定家の筆写した古今和歌集が見つかり、財界の支援で財団法人として「冷泉家時雨亭文庫」が1981年に発足の運びとなりました。
* 秋に数日間開放されるだけですので同志社大学徳照館の裏側から塀越しに時雨亭文庫を拝見します。
ハリス理化学館同志社ギャラリー 上京区烏丸今出川
(1) 有終(ゆうしゅう)館(2)独逸(ドイツ)人R.ゼール設計のクラーク記念館(3)英国人A・N ハンセル
設計の「ハリス理化学館」(4)チャペル(礼拝堂)(5)中学校校舎であった「彰栄館」はいずれも国指定の重文です。この地は新島 襄夫人八重の兄山本覚馬(かくま)が提供しました。
彼は会津藩士で京都に駐在し、西郷隆盛とも親交があり、薩摩藩邸跡を譲り受けました。「白そこひ」を患い、会津軍の京都撤退から取り残され、薩摩軍に拿捕されました。「建白書」を西郷隆盛に提出、それが認められて明治維新後も京都に在住し、京都市顧問、県会議員となりました。
15:50 地下鉄今出川駅で解散 二日間のご参加で宿泊ご希望の方は下記にホテルの電話番号を記しましたので各自予約して頂くようお願いします。
(京都駅近く)エルイン京都 Tel 075-672-1100、アパホテル京都駅前 Tel 075-365-4111
(Bコース)「伏見、桃山御陵前あたり」
一、実施日 平成30年9月28日(金)
一、集合場所・時刻 JR京都駅南北自由通路「新幹線中央口、近鉄八条口」 10時30分
集合場所は前日と異なっております。
近鉄京都駅⇒桃山御陵前(個人負担でICカード利用又は乗車券購入)
11:00 御香宮(ごこうのみや)神社  伏見区御香宮門前町 Tel 075-754-0120
(祭神)神功皇后.仲哀天皇.応神天皇他6柱小堀遠州所縁の庭園を作庭家 中根金作氏が想定復元
11:40 源空(げんくう)寺伏見区瀬戸物町 浄土宗の開祖の霊場.法然上人の名、源空が寺名の由来
12:00 昼食「神聖(しんせい)山本本家直営 鳥せい」伏見区上油掛町 Tel 075-622-5533
山本本家は日本酒「神聖」の醸造.養鶏をしており、「鶏肉弁当」とビール.お酒等を頂きます。
13:30 寺田屋(てらだや)伏見区南浜町
薩摩藩士の風体で宿泊していた坂本龍馬等が幕吏に逮捕されそうになった時、後に妻となった女中お龍の
機転で薩摩藩邸に逃げ込んだ。
14:30 長建寺(ちょうけんじ) 真言宗醍醐派  伏見区東柳町 本尊 八臂弁財天
15:00 黄桜記念館(キザクラ カッパ カンパニー) Tel 075-611-9921
伏見酒.黄桜酒造の醸造所 カッパの原画と地ビール
15:50 解散 近鉄桃山御陵前駅
一、参 加 費  Aコース  7,500円、 Bコース  8,000円、 両方  15,500円
一、申し込み締切 9月13日(木)指定申込み用紙にコース名ご記入のうえお振込み下さい。
当日付郵便局消印まで 口座番号00110-8-114212
<帰路アクセス> ひかり528 京 都16:32 名古屋17:25 小田原18:36 新横浜18:51
品川19:03 東 京19:10
在来線(新快速)京 都16:29 高 槻16:42 新大阪16:53 大 阪16:57 芦屋17:14
(新快速)京 都16:31草 津16:52 野洲16:59 近江八幡17:05 彦根17:20   以上

7月例会 ■「狛江の遺跡散歩」レポート
⇒狛江散策

7月例会 ■狛江の遺跡散歩
担当 渋谷とめ子 TEL 044-877-9633 携帯 090-7425-9289
狛江の遺跡散歩(日帰り)
狛江は狛人(高麗人)の拓いた土地と云われています。摂津国に本拠を持つ高麗人が狛江に上陸し、その集団の一派・壬生吉志氏が更に北武蔵や埼玉県比企地方に移住し、
屯倉(ミヤケ)の監督に当たったと伝えられています。壬生吉志氏は7世紀には吉見百穴等のように横穴墳の埋葬の仕方を考案しましたが先住した狛江には5~6世紀の首長の帆立貝式古墳があります。
万葉集に載る多摩川の麻布晒しの句碑等を見て多摩川流域を歩きます。暑い最中です。歴史散歩には物足りない距離ですが木陰で休みながらみんなで思い描くのも一興かなと思っています。
多数の皆様のご参加をお待ちしています。

一、 実施日 平成30年7月8日(日)
一、集合場所・時間 小田急線狛江駅 改札口 午前10時
一、行程 徒歩(約2km弱)及び バス
10:10 曹洞宗 雲松山龍禅寺 天平勝宝元年(765)良弁僧都の創建と伝える。法相宗、華厳宗兼学の寺で
あったが戦国時代に曹洞宗寺院となり、禅の修行道場として龍禅寺衆寮と呼ばれた。家康の入府時この地に知行地を与えられた石谷氏の菩提寺、彦根の井伊家の墓所もある。本堂、鐘楼、山門は市指定文化財。
10:30 亀塚古墳 狛江百塚の内18基が現存。帆立貝式古墳で首長クラスの墳墓、副葬品 鏡「神人歌舞画像鏡」(BC200年後漢時代)他10面、正装の男子人物埴輪等(5世紀末~6世紀初頭)
11:00 兜(甲)塚古墳 宮山と呼ばれていた。円墳と思われていたが昭和62年の調査により、帆立貝式古墳の可能性が指摘された。被葬者は亀塚古墳の次の世代 か?
11:20 伊豆美神社 祭神は国常立尊 江戸時代まで六所神社と呼ばれていた。天文19年(1550)の多摩川の洪水に遭い、御霊神社のあった現在地に移転。
11:40 多摩川碑(万葉歌碑)都指定旧跡玉川碑跡
「多摩川に晒す手作りさらさらに 何ぞこの子のここだ愛しき」万葉集 巻14-3373
11:50 水神社 六所神社の在った所、六郷用水取り入れ口、
12:28 水神社 バス停 バスで狛江駅へ
12:40 昼食 大庄水産 狛江店 Tel 03-5761-5848
食後 時間に余裕があれば 「駄蔵塚古墳」等見学
一、解散14:00 後上野での暑気払いに参加する方は上野へ参ります。
一、会費 @1,500円
一、締切 平成30年6月28日(木)
指定申込み用紙でお振込み下さい。 当日付郵便局消印まで  口座番号00110-8-114212   以上

5月例会レポート ■博多周辺の寺社と史跡めぐり
日本美術史同好会 会長 齋木 敏夫
⇒博多周辺の寺社と史跡めぐり

5月例会 ■博多周辺の寺社と史跡めぐり
日本美術史同好会 担当 大岩泰
⇒日美5月例会案内

■津市の文化財めぐり催行
*斎木の「旅日記」ご覧ください。
⇒津市の文化財めぐり

■津市の文化財めぐり
平成30年3月15日(木)~16日(金)
津市は安濃(アノウ)川と岩田川河口の湿地帯に形成された三角州で古代には安濃津という港が築かれました。聖徳太子の創建と伝わる古刹四天王寺があり、平安時代には東国方面への都の重要な外港として琵琶湖畔の「大津」に対し安濃津を単に「津」と呼び習わしました。15世紀の終わり頃から16世紀の中頃にかけて浄土真宗の専修寺を中心として環濠に囲まれた自治都市が造られました。専修寺は昨年訪れた栃木の専修寺の後を継ぎ、浄土真宗高田派の総本山となり、如来堂、御影堂は最近 国宝に指定されました。戦国時代末期には織田信長の弟信包(ノブカネ)が津城を築き、織田信長生母と伝わる花屋寿栄禅尼の墓も残されています。江戸時代になると藤堂高虎が領主となり、現在につながる街づくりが行われました皆様のご参加をお待ちしています。
⇒平成30年3月例会

■目黒区の文化財めぐり
平成30年1月8日(月)
目黒は江戸時代幕府の朱引内図(江戸の範囲)の外に位置していたが、目黒不動尊が市民が日帰りで参詣できる景勝地だったことから町奉行の管轄内に含まれていた。七福神めぐりを行える寺町で平成30年新年の例会が行われました。
⇒目黒区の文化財めぐり

■仙台周辺の古刹めぐり
平成29年11月28日(火)~29日(水)
白石蔵王駅をスタートして片倉家中・旧小関家-白石城-当信寺を経て秋保温泉に宿泊。二日目は大崎八幡宮-龍宝寺-陸奥総社宮-多賀城碑-鹽竈神社等をまわり最後は松島瑞巌寺へ。陸奥伊達領の名跡を訪ねる旅が行われました。
⇒仙台周辺の古刹めぐり