

「天の川」 出典Wikipedia
令和7年度最終月の師走となりました。さすがに朝晩の冷え込みが厳しいです。外出の際は暖かい服装でお出かけください。また、空気も乾燥していますので火の用心を。
12月4日の例会参加者は85名(会員78名、新会員2名、ゲスト5名)でした。二次会も36名の参加で新会員の方も参加され、また二次会のみ参加された会員さんもいて年内最終の懇親会もにぎやかに無事終えることができました。
新入会員
鈴木 健大(スズキタケヒロ)さん
歴史が好きで入会しました。古代から昭和史、日本史全般に興味あり。
松尾 史朗(マツオフミロウ)さん
母が中区尾上町、曽祖父が神奈川で30年間役人をしていて、神奈川には非常に興味があった。川越にある松井松平周防の守の子孫の家臣の会で活動をしている(上野副会長ー埼玉城郭研究会でご一緒された縁でお声かけしました)

熊本会長
今年も残すところあと一か月を切りました。これで今年の横浜歴史研究会の行事は古文書の勉強会一つを最後に終わります。無事に終われたのは皆様のご協力あってのことです、御礼申し上げます。今年を振り返ると正月の能登地震から始まり、今年はどんなことになるかと思いましたが、めでたいニュースもあり、スポーツ界では野球の大谷や山本選手、大相撲では大の里の活躍があり、テレビにくぎづけとなりました。また、熊が人里におりてきて社会問題となりましたが、自然と人とのつながりについてしみじみと考えさせられる問題だったのではないかと思います。初の女性の総理大臣や財務大臣も活躍して、やることが早くどんどん改革していくのではないかと思います。総理の新任挨拶での「働いて働いて・・・・」という言葉が流行語になりましたが、私も少し見習わなくてはと思い、反省して来年を迎えたいと思います。来年も古代・近・現代史を問わず様々なテーマの出来事を通じて、皆様と歴史を語り合いながらやっていきたいと思います。少し早いですが来年もよいお年をお迎えください。

竹内秀一さん・・・・・演題「神奈川県道63号線の謎」
県道63号線とは大磯の国道一号線国府新宿交差点から北に向かい平塚の吉沢(きさわ)を通り、伊勢原を経て相模原市橋本まで続く道です。大磯丘陵地から平塚の西部一部分までの考察発表です。大磯町の国府本郷、国府新宿地区は地名の残存と文献資料から12世紀に相模国府があったことや国府祭(こうのまち)が行われること。寺坂地区は平安初期の重文薬師如来坐像。平塚市吉沢地区は平安後期の不動明王立像と3地区について古代に文化が色濃く残ることを確認。発掘された遺物や文献から国府の所在変遷を、古代の相模国東海道についてもルートを検討し、実は田園地帯を通る地方道が奈良・平安時代の重要官道である古代東海道を踏襲した可能性があると至った。奈良時代にさかのぼれば巨大直線街道が近くにあるかもしれないと。発掘がされればドキドキの結末を迎えることができるのかもしれない。
(質)大変興味ある話でしっかり聞きました。「皆さんワクワクしませんか、ゾクゾクしませんか」と言っていたがゾクゾクやワクワクするコツ、ノウハウを知りたい。また、古代街道を歩いての意義、学ぶ点とは。
(応)ワクワク・ゾクゾクは個人の嗜好の問題で説得するわけにはいかない。一つにはナスカの地上絵が宇宙の衛星写真からいろいろ発見されたのと同じように航空写真や衛星写真、古地図を見て変な直線があるのを見つける、ナスカの地上絵を探すのと同じように。現代の地形から古代にさかのぼれるのが無上の喜びです。
将来に役立つかということでは歴史を学ぶことが将来に役立つのか、奥さんから「私たちは明日に向かって生きているのよ!」と言われるが過去に経験したことを学んでから次に行くほうが未来に役立つ。土台を学んで、古いことを知っておいたほうが楽ではないでしょうか。
(質)東海道線の国府津(こうづ)駅は国府と関係あるのか。
(応)国府の津という湊とセット、小田原あるいは平塚の湊で結論は出ていないが、国府津は由緒正しき名の痕跡の名前。
(質)静岡の古道を一人の民間人が個人で手作業で、のちに近所の方々も協力して発掘したという新聞記事があったが、相模の古代の古道が発掘される予定はないと聞いたが氏は発掘される予定はないのか。中世の古道に関心はあるのか。
(応)古代道の直線官道に興味がある。秦の始皇帝が作ったのが直線なので。発掘は民間のグループが色々あり、時々参加するが学者ではなくお金がないので行政がちゃんとやらないと。

横浜もそうだが神奈川は律令時代はほとんどが相模の国。今日の話で千年続く国府祭(こうのまち)と地名も残っているので、昔から国府の移転説はあるが大磯は中心、有力です。国司が最初にお参りするのは一之宮(寒川神社)だが記録があればわかるのでしょうが、残っていないのでしょうね。感動という視点から解き明かすという話で勉強になりました。
高尾 隆さん・・・・・演題「広告宣伝の日本史」
父親が新聞社の支局長をしていて広告の原稿を作っているのを見ていたという環境に育ち、高校生の頃から絵に携わる仕事に就きたい、先生からもデザインの仕事を薦められ、今日まで広告デザインの仕事をやってきたという氏の人生の一部ともいえる発表です。社会経済として商品が流通し始めたのは古代からだが先進的な商売が発展したのは江戸時代に入ってから。商品ブランドとして長く続いているのは和菓子や酒で”とらや”は室町時代後期、”塩瀬総本家”も室町時代にまで遡る。広告宣伝のルーツとしては平安初期あるいは奈良時代ごろには存在していたとされる「のれん」、時代を経て家紋や文字が入ってくる。江戸時代には文字看板や絵看板、紙媒体のポスターやチラシ。歌舞伎役者が幕間に商品宣伝を行ったり、チンドン屋、パフォーマンスの飴売り、CMソングのはやり歌などの宣伝が行われた。山東京伝も商人京屋伝蔵として斬新な手法を取り入れた広告の実例が残されており、おまけ付き商品も現れる。現在の日本の宣伝広告費はインターネット関連が45%を占め、いずれ半数を占めるようになる。文化であった広告宣伝が質の悪い、意味のないものになっているような気がして仕方ない。売れればいいという即物的になっているのが非常に悲しいと思ってまとめたものですと語った。日本文化の一端を担っていると自信と誇りをもってやってきた氏にとって見過ごすことのできない現状であろう。改めて広告宣伝の伝統文化と意義を訴えていきたいという強い思いを感じた。

宣伝広告の内訳はビックリします。昔はアドバルーンとかセスナ機で広告のビラをまいたりという宣伝がありましたが、もし束でドスンと落ちたら・・・、今では問題になると思う。宣伝の半分がインターネットとなって何か買ったときは口コミを見たりします、面白いです。テレビもだんだんすたれてくるのでしょう。面白い資料を見せてもらいました。
加藤導男さん・・・・・演題「苗字の歴史」
今年最後の発表は長く当会会長を務め、現在は顧問である加藤氏。横歴会員の中でも一番古くなってしまったと語る氏が入会当初女性の発表者は年間二人だったが、先月は三人の女性が発表されたと驚いている。今回の苗字の歴史の他に家紋も考えて龍角散の袋に家紋があるので電話で会社に聞いてみると”下り藤”と教えてもらった。加藤家は”下り散ら藤(さがりばらふじ)”で非常に珍しい家紋だそうです。最近はキラキラネームで読めない字がたくさんあるということで、いくつかボードに書かれたが確かに読めない。わかるような優しい名前が良いのではと言われたが同感で、学校の先生も出席を取るのは一苦労だろうと思う。日本には30万種類の苗字があり人口に対して膨大な数である。代表的な姓についてはその由来を説明(官職や国名・地名、他族との結合)苗字の歴史と変遷についての解説をされた。また、当会会員全員の苗字ランキングを作成してくれた。同じ読み方でも字の作りが少しでも違えば順位はずいぶんと変わるものである。難姓・珍姓のクイズ問題など難しかったが面白く、改めて漢字の読み方や意味の不思議を振り返り、これも日本の文化だなと感じた。
(質)フジという字が変わっていて戸籍謄本は普通の「藤」という字だが、婚姻届けを出すときに区役所での登録で変わっていました。データ入力の際、違ったようです。そういう例は何かありますか。
(応)そういう例は知らないが、自分の名前も難しいので区役所でもよくわかったなと思う。以前は字数が多く嫌だなと思っていたが、今では親に感謝しています。

氏・姓の氏は同じ血族のグループ、姓は朝廷からもらったもので、(臣・連など)昔は氏に姓を付けてランク付けしているものが多い。地名で足利・新田・佐竹・千葉・上総・三浦などは武士がその地に根を下ろして名乗る。土地名は自己主張です。
たどっていくと皆一緒、どこかでつながっていて親戚になるのでは、ということで来年もみな仲良くいきましょう!
演者ー平家や源氏はもともと皇室で、子が多く賄えなくなったので皇室から出された。源氏も地方に行って地名から名をもらっているので、ずーと辿っていくと皇室にあたるかも。来年も元気で病気しないようにお願いします。*レジメを一部加筆・修正しました。
【横歴勉強会】
***古文書講座のご案内***
会員の方に向けて古文書の勉強会を毎月1回、開催中です。
*新規参加希望者は、各班長へお申し込みください*
*第9回古文書講座は12月17日(水)午後2時~4時 横浜市歴史博物館
*後半に展示見学も行う予定です。