横歴 編集室


皆さまのご協力で会報76号が無事発刊でき、ただいまホットしているところですが、HPサイドから編集の裏話的なものをHPに載せませんかとお誘いがあり、当初は戸惑いましたが、意を決して拙文をしたためました。このコーナーを通して、編集部と皆様のコミュニケーションが図れることを願っています。
(山本修司)2018.06.08

横歴編集室のつぶやき その2

4)76号表紙写真
山口誠司理事に撮影していただいた表紙の二重橋の写真についてのエピソードはすでに6月例会時に口頭で話をさせていただいたが、話不足の点もあり、改めて紹介したい。口頭で話をした概要は以下である。
「来年春のご譲位が決まった今上天皇への心からの感謝を込めて二重橋の写真を表紙に使うことにした山口氏はご多忙中、天気のよい日をえらび、休暇をとり、朝、身を清めてから家を出て、まず東京駅で弁当を購入、皇居前広場で心静かに昼食をとり、日差しのよいころ合いを見計らって、渾身の思いでシャッターを切られたのである。このいきさつを牛尾印刷さんに伝え、できるだけ良い仕上がりになるようお願いした。牛尾印刷の奧さんもいろいろ努力され、『この紙質ではこれが限界です』といわれて出来上がったのが76号の表紙です」
ところで、初校でのこの写真の刷り上がり状態は山口氏の思いとはかなり遠いものであると私は感じた。そこで「この際、紙質を写真用のものに変えてみましょう」と提案、紙質を従来の紙、白黒写真用、カラー写真用、の3種類のサンプルを作成してもらうことにした。勿論、写真用紙を使うと印刷代はアップする。後日牛尾印刷さんを訪問し3種類のサンプルを比較してみると、従来の紙での刷り上がりがどういう訳か飛躍的によくなり、わざわざ写真用紙に変更する必要を感じなくなり、「申し訳ないですが従来の紙でお願いします」という結論に至った。どうも奥さんの職人魂に火をつけてしまったようだ。76号表紙を見るたびに今上天皇への心からの感謝と同時に、山口氏、牛尾印刷さんに深く感謝する気持ちが自然と湧き上がってくるのである。

5)76号最初の投稿原稿
今年、1月9日の横浜歴研総会において編集長役に任命された私は、未経験の役割に何をしてよいのか呆然としていたのが正直なところであった。同日開催された懇親会で近くに座られていた方々に色々と聞いて回ったところ、どうやら「編集長役として最も重要なのは原稿を集めることである」との結論に至った。その時点で改めて3月末日締め切りの76号への投稿原稿のあてが全くないことに気づいたのである。しかし、同時に前任の木村氏から1通の投稿原稿を預かっていることを思い出した。「これはA氏が数年前に投稿したシリーズものの原稿の最終回分です」と手渡されたものである。しかし調べてみると、A氏は昨年2月の例会に1度だけご出席しただけで、その後は全て欠席である。また今年度の年会費も未納となっている。翌日、さっそくご本人の会報投稿の意志確認のため、ご自宅に電話した。たまたまお嬢さんに対応していただけた。そして「父の健康状態はもう横歴に出席できるような状態ではありません」とのこと。当方からは、「かつて投稿されたシリーズものの最後の投稿原稿を預かっています。会則では会員に会報投稿の権利があり、そのためには年会費4000円を納めていただかなければなりません。」など事務的な説明をした。しばらくの間(マ)の後、お嬢さんは「では4000円払います。本人もきっと喜ぶと思いますから」との返事であった。2,3日後、会計担当に4000円が振り込まれたことを知ったのである。電話の様子ではA氏の病態はかなり深刻な様子であった。電話した時、お見舞いの言葉の一言も発することもできず、投稿原稿ほしさ一筋であった自分の気持ちを今ではチョット恥じている。「年会費払え」と言った時のお嬢さんのしばらくの間(マ)は「新手の振り込め詐欺?」と思わせてしまったのかな~と反省もしている。A氏の現在の健康状態は不明である。場合によってはA氏にとっては最後の投稿原稿となるのかもしれない。そんな心構えで自分としては丁寧に校正作業を進めた。A氏の回復を祈るのみである。そしてこれが76号最初の投稿原稿となった。

6)初めての電子メール
 B氏は電子メールが不得手である。当方が76号への投稿を依頼したときの会話は以下である(「…」は当方、『…』はB氏の発言)。「原稿はワードで作成していただけますか?」『了解。完成したら電話連絡するよ』暫くして電話があり、『原稿が出来たが、どのようにして送ったらいいの?』「電子メールとかUSBとかCDとかで送っていただけませんか?」『なに言ってんだかわからない』「では電子メールができる方に送付を依頼するわけにいきませんか?」暫く後に電話、『知り合いの女の子に頼んで送ってもらったが着いた?』「いや…届いていません」『彼女のパソコンは壊れていないと言っている。お宅のが故障してるんじゃないの?』「いや、当方のパソコンも壊れていません。他の人からのメールは無事着いていますから。メルアドの入力にでも問題があるんじゃないですか?」『メルアド?何言ってんだかわからない』「ご家族で電子メールをやっている人いませんか?」『息子がやっているようなので聞いてみるよ』暫くして電話、『息子に依頼した。2日後の10時~11時に時間が空くので送れると言っているので、お宅はパソコンの前で待機していてくれませんか?』私はその時間、美術館行を予定していたが事の重大さを考慮して予定変更、「承知しました。パソコンの前で待機します。無事届いたら電話します」そしてその瞬間を迎えたのである。「無事に届きました!!」『やったね~。よかった、よかった』B氏と私のその時の感動は極めて大きいものがあった。おそらく近くにいたら、2人は抱き合って喜んだのではなかろうか。メールが届いたというだけでなぜあんなに大喜びしたのか、今となってはよく理解できないが、あの時、ある種の達成感を二人で共有できたことは確かである。Bさん、さらなるご投稿、お待ちします。またあの感動(多分、ちょっと薄れているかもしれませんが)を味わいたいなと思っています。

横歴編集室のつぶやき その1

1)牛尾印刷さんの件
「歴研よこはま」の印刷は昔から鶴見にある牛尾印刷さんのお世話になっている。ここはご家族だけでやっている小さな印刷屋であるが、ご主人は最近あまり顔を見なくなり、自分と同年代と思える奥さんが一人で切り盛りしている感がある裏町の印刷屋さんである。この奧さんは寡黙で常に黙々とパソコンの前で作業されていてまさにこの道一筋の職人さんという雰囲気を漂わせている方で編者が訪問しても用件のみの会話でごく短時間の滞在しか許されないことが多かった。4月初旬に編者が「歴研よこはま」の原稿を持ち込んだ時のことである。
加藤会長の「八城東郷さんを偲んで」(76号6頁)に目をとめた奧さんは突然饒舌になり、若かった頃の想い出に浸るように「そうですか…お亡くなりになりましたか。八城さんには大変にお世話になったんです。あの頃は和文タイプライターの時代で、一文字間違えると1頁分打ち直さなければならなくなり、生まれて間もない息子をおんぶしながらの作業で結構きつい仕事でした。それにくらべりゃパソコン時代になった今の作業は楽ちん楽ちん。なんせ歴史研究会さんとは30年以上の付き合いですので…。息子も家業を継いでくれることになりましたし、その嫁も最近、パートをやめて家業見習いを始めてくれているんです」等々急に打ち解けた会話が成立し、「歴研よこはま」の今後の出版に一抹の不安を抱いていた編者も胸をなでおろしたのである。
最終稿が出来上がった時、奥さんは「八城さん追悼の辞の標題の枠(左上、右下に追悼花をあしらったもの)はこれにしました」と言われた。心温まる加藤会長の八城名誉会長への追悼文にさらに印刷屋さんからの心からの弔意が加わった追悼の辞に仕上がったのではないかと心密かに思うのである。

2)俳画の件
「歴研よこはま」に挿入されている俳画にご注目いただきたい。76号には13枚もの俳画が描かれている。いずれも藤盛詔子理事に描いていただいたものである。この俳画が読み手に安らぎを与え、一幅の清涼感をも与えてくれていることはこれが無いことを想定すると容易に想像できるのである。この俳画を藤盛氏は10数年にわたって投稿し続けられおり、氏には深く感謝する次第である。ある時、この俳画作成の苦労話を藤盛氏にお聞きしたのだが、彼女が照れながらも淡々と述べられたのは「油絵などとちがい、一発勝負なので満足がいくまで何枚も何枚も練習し、そして最後の精神統一が必要。日本紙は高価なので失敗したくない。墨をピタリと90回すり、濃さの統一が必要。しかもボカシを入れる処がこれまた難しい」とのことで、画ゴコロなど全くない編者であるが、会報出版の度に藤盛氏は大変な努力をされていることがわかった。
藤盛氏には感謝、感謝である。

3)締切日過ぎての最後の投稿
63頁の「会員活動報告」の項目で、4月22日前橋での長尾氏の講演の話である。3月3日の例会後、編者は長尾氏と雑談しながら懇親会会場へと向かっていた。まだ寒い風の吹く時期であった。普通に会話していた氏は懇親会会場近くにきてから「急に寒気を感じました」といいながら地下鉄関内駅の階段をおりていかれた。後に聞いたところでは氏はその夜半、40℃近くの発熱、翌日医者に行ったら当時はやりのインフルエンザに感染され、いったん回復されたが、こじらせてしまい3月末まで入院されたとのことであった。氏の体調の心配もさることながら、編者としては4月22日の前橋での氏の講演が無事行われるかも心配であった。というのも講演が行われたという前提で若干の不安を抱えながらも、4月上旬に記事を書き上げ、印刷屋に出してしまったのである。5月6日の例会時、お元気になられた氏にお会いし、講演会も盛大だったことをお聞きしたときはホットし、その結果をふまえて原稿を改定し直ちに印刷屋さんに送付した。これが76号最後の投稿となったのである。
皆様、くれぐれもご自愛ください。

会報第76号発刊しました。

  2018.05.31

今号より編集者が交代しました。皆さまの会報投稿へのお手伝いを従来同様、一生懸命させていただく所存ですのでどうかよろしくお願いいたします。
日本選手が大活躍の韓国・平昌での冬季五輪が無事終り、金メダルが男子フィギュアスケートの羽生弓弦、女子500mの小平奈緒、スピードスケート女子団体追い抜き(高木美帆、高木菜那、佐藤綾乃、菊池彩花)、そして新種目の女子マススタートの高木菜那の四個であり、大いに沸きました.
◆試合後、数々のエピソードが明らかになりました。羽生選手は右足首の大怪我を抱えた状態での出場であったことや、小平選手が自国開催の大変な重圧の中、結局銀メダルに終わり大泣きの韓国選手に駆け寄り両者は抱き合ってお互いをほめ讃える姿とか、姉妹で合わせて五個のメダルを獲得するという偉業をなしとげた高木姉妹が実は性格がかなり異なりお互いに相当な葛藤があったこと等々、金メダルという結果のみならず、これらの人間ドラマがさらに感動を呼びました.
◆ところで日本ではいずれ労働人口の約半数がAI(人工知能)やAI搭載ロボットで代替できるようになるといわれています。AIは、ビックデータとよばれる膨大な情報を分析、学習し、さらに賢くなっていくとのことで、すでに一部のコンビニ、スーパー、空港等の接客にその導入が始まっています。また将棋や囲碁の名人を打ち負かし、さらには小説や新聞の記事も書いてしまうそうです.
◆現在、国宝や重要文化財の公開は劣化防止のため原則、年六十日までと制限されていますが、AI搭載ロボットで3Dプリンターのデジタル技術を駆使すると、「高性能レプリカ」が簡単にでき、複数の場所で同時に国宝と全く同じ外観のものが拝観できるようになるのです.
◆伊勢神宮での二十年ごとの式年遷宮の行事での宝物復元にもこの技術を応用するようになると古代から営々と受け継がれてきた技がいとも簡単に再現できるようになってしまうのです.
◆こうなると、魂の継承はどうなっていくのか、単なるレプリカに、崇拝の念がいだけるのか等々考えると寂しくなり、歴史の重みや有難みが薄れてしまうのを感じてしまうのは編者だけでしようか.
◆歴史研究はものすごく人間ドラマ的であるところが魅力だと思いますが、我々の子孫が歴史上の「敗者の言い分」それに伴う様々な「伝説」「悲話」を調査し、自説を唱えるのも難しくなっていくのではないかと危惧してしまうのです.
◆人間臭さ満載の古事記、万葉集、源氏物語、太平記等々の読み物が今後現れるのかも心配です.
◆AIを駆使した政治が行われるようになり、TVドラマの名セリフ「私、失敗しないので」ということになると、将来は歴史を語る面白さが薄れてしまい、この「歴研よこはま」も味気ないものになっていくのかなあと思ったりもしております.
◆しかし、当面は大変に内容豊かな会報誌として存在し続けることができるのです.
◆今後とも研究論文、エッセイ、俳壇、歌壇、詩壇、写真、俳画等への会員の皆様からの積極的なご投稿をお待ちします.
◆味のある「歴研よこはま」を残しましょう…
〈会報No.76 編集後記〉

 

 

35周年記念誌「壮志」発刊しました。


明暦2年(1656)7月、江戸の木材・石材業吉田勘兵衛などは現在の横浜市中区・南区に広がる入海の干拓工事を始めました。一時洪水により頓挫するも勘兵衛は、これでよした(吉田)らかんべい(勘兵衛)ならぬと自身を叱咤し再度着工。寛文7年(1667)に完成したのです。これが吉田新田で、本年で完成350周年の佳節を迎えました。この完成が、後年に横浜開港の基盤となり、そして現在の国際港湾都市横浜の礎となったのです。創る人がいて、引き継ぐ人がいて後世に大輪の花が咲きます。
奇しくも横浜歴史研究会も本年で創立35周年の節目となりました。創立時からの来歴は、小誌の「横歴回顧録」や「菅原啓一郎顧問と石関貞治顧問の対談」及び「横浜歴研25年~時のかたみ」を一読され、さらに高尾隆常任理事のご尽力により完成したDVD「横歴150の夢~星空の旅~」の映像をご覧いただければ、当時の様子が彷彿とさせられ、十分ご理解いただけると思います。なお余談ですが、映像については「エイゾー、エイゾー」との称賛の声が多く寄せられています。いずれにしても今日の横歴の興隆は、先輩方の苦闘に感謝し敬意を表するものです。
またDVDで会員お一人おひとりのメッセージが披露されるところは特筆に値します。小学3年生から97歳までの会員間の年齢差もさることながら錚々たるメンバーばかりで、まさに横歴は人材の宝庫と実感し感動いたしました。
さて、会報の役割は、会員の研究成果の発表の場ですが、併せて先輩たちの精神を引き継ぐ場であり、また会員同士の絆を強める場でもあります。編集者として忘れないよう心掛けてまいります。
さあ、私たちは今日から創立40周年に向けて前進しましょう。レッツラ・ゴー。
(会報「壮志」編集後記)