

「横浜:港の見える丘公園にて」
4月の例会参加者は91名(会員71名 新会員 2名 ゲスト 18名)でした。
ゲスト参加も多く、室内は満席状態でした。終了後は風が冷たく、寒くなりましたが、二次会参加者33名 とこちらもいつものように大盛況。月に一度の(人によっては数回)のリラックスタイムですね。
新入会員

市川 英(イチカワ ヒデ)さん
戸塚在住、横浜および神奈川の歴史 地域、風土特に中世以降について興味があり調べることが子供の頃から好きです。周りの寺社仏閣を観て、中学の時の恩師が自由研究させてくれてからです。この会のことを知って勉強していきたいと思います。
東 雄輔(ヒガシ ユウスケ)
港南区在住、歴史が好きで特に昭和史関係が好きです。今日の武藤章の発表を楽しみにしています。

熊本会長
雨で足元の悪い中、たくさんの方にお越しいただきましてありがとうございます。昨日はいいお天気で花見に行ってきました。今日は花びらも散っているようで一日違いでこうも違うのかと感じました。暖かくなり、いい季節になりました。4月25日には歴史散歩、5月24日にはバスツアーが計画されています。後程それぞれの担当者から説明がありますのでよろしくお願いします。たくさんの方にご参加いただきたいと思います。
知人から家族の方がマッチングアプリで知り合った方と結婚すると聞きました。今年の新聞ニュースでは25%の人がマッチングアプリ、会社や仕事関係は21%、学校関係は10%と4人に一人がマッチングアプリで相手を見つけているそうです。これを聞いて自分は時代遅れなのかと・・。皆さんの中にも同じような意識で考えている方もいられると思うので、頭を柔らかく切り替えたほうがいいのではないでしょうか。大リーグもよく見ていますが、日本のプロ野球も応援していきたいと思っています。
令和8年度春の歴史散歩
***春たけなわ! 芭蕉ゆかりの深川に江戸下町文化を訪ねて***
ー深川江戸資料館・清澄庭園・富岡八幡宮などをめぐる旅ー
日 時 4月25日(土)雨天中止(中止の場合は当日朝8時にHPに掲示)
集 合 12時30分 都営新宿線/都営大江戸線 森下駅 A7出口階段上
アクセス
・横浜駅から京浜急行特急青砥行で大門→都営大江戸線で森下駅下車(乗車時間50分)
・渋谷駅から半蔵門線で九段下→都営新宿線で森下駅下車(乗車時間30分)
参加費 1,000円 (拝観料、入館料、団体保険料等)
コース ご案内裏面のイラストマップをご参照ください。
解 散 16時半頃 富岡八幡宮参拝後、現地解散
懇親会 17時頃~
*事前の申し込みは不要です。
*各自昼食を済ませてきてください。
*当日はご案内裏面のイラストマップ(下記)をご持参ください。


丸山雅子さん・・・・演題「悲劇の勇将 木曽義仲」
興味・研究の対象を見つけると文献資料だけではなく、かかわりのある地に赴いて、自分の足で歩き、目で確かめ、現地の方の声を聴いて調べるということを横歴会員の多くがしている。特に発表される方は自身で撮影した写真の解説もされることが多い。
丸山さんもよく歩く方で、木曽・宮ノ越、大津・京都、倶利伽羅峠・篠原古戦場、武蔵嵐山と数回に分けて訪れ、小矢部市観光課の方の助けも借りて、入念な準備をして発表に臨んだ。一時間の発表では到底足りず残念なので、前編・後編に分けてもよかったかもしれない。義仲の生涯について資料と実際に巡った地での感想を交えながら詳細に語った後、敗北の原因や義仲を評価した人物について話した。また、義仲の人物像では武士の時代を切り開いた先駆者であり、知略に優れ,
勇猛果断の猛将、義理人情に厚い平和主義者であるとした。
義仲の人格形成に影響を与えた所縁の地に立ち、同じ空気に触れ、最後に旭将軍と呼ばれた義仲に対してあまりにも小さな墓石に哀れと感じ、義仲の真の姿は勝者の歴史観によって不当にゆがめられているので日本史における再評価と新たな史料の発見を期待したいとまとめた。
(質)丁寧なご説明でよくわかりました。自分の理解としては頼朝と比較して政治力が弱いのではと思いますが、不当にゆがめられたというのはどういうことでしょうか。
(応)乱暴者と思われている方が多いのかと思います。そうでない方がいてくれればうれしいです。良い参謀に恵まれなかったのではと思う。

発表にあたって現地を訪れ倶利伽羅峠など色々行かれているので、50分では無理があったかと思います。芭蕉の話で、義仲のそばにお墓がありますが、時代が違うので付き合いはないはずで、遺言にも出てこない。弟子を集めた話の中にも出てこないが、「骸(から)は木曽塚に送るべし」と残している。無名庵を気に入って義仲寺に8回も泊っていたようで、弟子の島崎又玄が「木曽殿と背中合わせの寒さかな」と詠んでいる。評価もいろいろあって、芥川は義仲を中3の時に評価をしている。現場を訪ね歩いて、写真もいっぱい見せていただきました。
(発表者)小矢部市からいただいたポスターや義仲奉納の斎藤実盛の甲冑の写真も前に掲示したので見てください。
大瀬 克博さん・・・ 演題「軍務局長 武藤章の人物像」
大瀬さんは熊本出身であり、今までの発表も熊本出身者が半数以上を占めていると”くまモン”をお守りにしての発表である。
日本陸軍の軍務局長の武藤章は陸軍の悪玉というのがかつての通説であった。近年の功罪を客観的に見直す動きにともない軍人として武藤章の人物像を再認識する場として今回の発表となった。
東京裁判で「敗軍の将が責任を負って死ぬことは歴史的必然であり武人の宿命である」と亡き軍人への思いや肥後モッコスとしての不器用さで運命を受け入れた武藤。
開戦への共同謀議実行者としてのA級戦犯、スマトラフィリピンでの捕虜虐待行為でのB級戦犯としての死刑判決を受けた武藤だが、第一次世界大戦でのドイツ敗因の研究目的で留学し、米国経由で帰国した。米国の近代化に対米戦争をすべきでないと戦争回避を進言するもかなわず、日米開戦に至る。
通説として言われてきたことがそのまま実際の人物を現わすものだとはかぎらないのである。多角的な視点を持って探求することが求められている。
(質)私は海軍派です。今まで武藤章は陸軍の悪の権化と思っていたが陸軍にも良識があると再認識した。東京裁判における武藤章の罪状のA級とB級について、海軍では時の海軍大臣と軍務局長は禁錮で済んでいる。ところが武藤は陸軍の軍務局長での死刑判決ということはA級よりも捕虜に対する残虐のほうが重かったのでは。
(応)私も海軍派です。東條(英機)のパートナーとして選ばれ、平和に対する罪、共同謀議のA級での死刑は困難です。B級、C級を入れないと死刑にはできないので、もともと死刑にするつもりがあったのではと思っている。南京事件では無罪、フィリピンでは虐殺が多かった。

自分の認識では武藤は統制派の中心人物。イギリスと戦うのは東南アジアの資源確保のために必要だと思われるが、ドイツに行った後アメリカに行って現実(現地)を見てきて、アメリカとの戦争には反対していたのになぜ死刑になったのか、裁判での検察側証人の田中 隆吉はどうなったでしょうか。
(発表者)田中は7年後に自殺未遂を起こし、晩年は精神状態が悪く病気で苦労しました。心の負担になったのでは。
*大瀬さんの前回発表された『日本人になったユダヤ人』がユーチューブで視聴できます。
アーロン山川氏動画 https://youtu.be/Xei0R50S35c
高津 正治さん・・・ 演題「太平の世のお家騒動―大名家のコンプライアンスとガバナンス」

高津さんは神奈川大学の生涯学習講座で江戸町人文化を10年ほど勉強されているそうです。大名家の家督相続に興味をもち、あまり公表されていない例を中心に勉強されていて、今回このテーマでの発表となった。
江戸時代の法整備の状況やその伝達方法、家督相続のシステムなどの他、使用される用語の意味を説明。相続で苦労した岡山池田家とその分家、大名間の婚礼における年齢詐称、君主押し込めの具体例をあげながら面白おかしく、丁寧に解説された。
平和な江戸時代と言われているが日本人特有の「本音と建前」「談合」「根回し」「隠蔽」など時代が変わっても、いつの世でも同じことが繰り返される。法体制は最低限だがあり、幕府のガバナンスも効いて、大名家のコンプライアンス精神もあったが、権力闘争が絡むと大騒動となり、お家の存続にも影響していった。明快にユーモアを交えながらの非常に興味深いテーマでの発表であった。

「押し込め」はいいですね。下剋上と違い、上下関係を保ったまま、権力を取ってしまう。ダメな藩主の押し込めは分かるが、非常に優秀なのに押し込められそうになったのは、出羽の国の上杉家。上杉治憲は藩政改革を家老や重役に反対され、押し込めになりそうになるが、自発的に隠居して35歳で家督を養子に譲った。隠居の立場で改革した。形の上では隠居だが、実際の権力は離さなかった。これが有名な上杉鷹山です。
日本では形にこだわらないことが多い、抜け道とかでうまくいっていた。押し込めをすごく気に入って楽しかった。