[横歴通信7月]例会開催

7月の例会参加者は真夏日にもかかわらず、84名(会員68名・新入会4名・ゲスト12名)と多数の方にご来場いただきました。暑い中、参加者の減少が心配されましたが、さすがです。皆さんの熱意が伝わります。くれぐれも熱中症対策を忘れずにお願いします。
例会後の懇親会参加者は34名と相変わらず盛況です。第一回目のパワーポイント入門講座が開催されました。こちらも暑い中、パソコン持参で熱心に講習を受けられていました。

新入会員


武田憲一さん
高校卒業までは愛媛県新居浜市にいました。会員の橋本さんとはよく飲んでいました。(現在進行形で、呑み続けているようです)今日の発表の資料を見てレベルが高いなと感じています。磯田道史著書の「日本史を暴く」を読んで面白いと思いました。皆さんについていけるように頑張りたいと思います。

 

 
佐藤優昨さん
小さいころから 歴史は全般的に好きです。人類の歴史、人間の歩みというのを一から勉強したいと思い入会しました。よろしくお願いします。

 

 
細谷英敏さん
会員の木村さんにお世話になっています。江戸時代、日光東照宮に京都の朝廷から派遣された「日光例幣使(にっこうれいへいし)」について研究していますがなかなか進みません。こちらに入会して、もう少し頑張ってみようと思います。
 

 

  熊本会長

暑い中ご参加ありがとうございます。思い込みや気のゆるみなどは危険です。事前に水分など十分にとって熱中症対策をしてください。9月から例会会場が横浜市開港記念会館に変わります。横浜三塔のジャックの塔として大正時代に建てられ、国の重要文化財になっています。くれぐれも間違えないように気を付けてきてください。

横歴勉強会 パワーポイント入門講座 第一回 開催


6月29日(土)横歴勉強会のパソコン教室「パワーポイント入門講座」第一回目が開催されました。シニアSOHO横浜・神奈川の講師の方からパワーポイント講習(パワーポイントの基本とプレゼンテーション操作)を3回通しで学びます。初回はパワーポイントの概要からから始まりスライドのデザイン変更まで行いました。未経験の方から独学での経験者まで、パワポ経験が異なる参加者でしたが、少人数のためすぐに質問・確認ができて、講師の先生方が身近に感じられる講習となりました。

 

熊本修一さん・・・演題「幕末・維新に活躍した軍略家 大村益次郎の功績」

*医者でありながら、軍事天才である。村田蔵六とも呼ばれる。蔵六とは、四足と頭・尾の六つを隠すことで、転じて、亀をさす。亀のような中身のしれないの意味だろうか?
益次郎は維新後に暗殺されたが、以後の日本の発展にとっては大変惜しまれる人物である。シーボルトの娘イネが懸命に手当てしたが、敗血病で亡くなったという。足を切断したら助かっていたかもとのこと。医師なのに残念である。司馬遼太郎の『花神』及びNHK大河ドラマによって、維新戦争(長州征伐、上野戦争、戊辰戦争)で有名だが、生い立ちは私はよく知らなかったがよくわかった。不愛想で合理的思考で、対立が多い人物という。天才ゆえに一刀両断のことばで人に嫌われたのかも。彼が出現しなかったら、明治維新は叶わなかったと演者は言う。
*大村益次郎が彰義隊の討伐をわずか一日で終結させたことは有名な話ですが、今回の発表をお聴きして改めてこの人物が常人には及ばない「軍事の天才」だったことを知らされました。才能を認められて宇和島藩へ出仕、さらに幕府講武所を経て長州藩に引き抜かれ軍政改革を任されるという破竹の勢いの大出世は、聞いていて胸がすくような思いでした。「大村の出現がなかったら明治維新は叶わなかったのでは」と最後に言われた言葉に、大村の存在の大きさを感じました。
*九段の靖国神社の広い境内の中央に聳えるように立つ銅像が、大村益次郎であるということは知っていましたが、彼がどういう人物であったか、熊本さんの発表を聞いてよく分かりました。 靖国神社との関係、陸軍との関係(陸軍の長州閥、海軍の薩摩閥の発生も含め)をもってすれば、そこに彼の銅像が建てられたのも至極当然のように思いました。 猛暑の夏が過ぎ秋風が吹くようになったら、あらためて彼の銅像を見に行こうと思います。
*大村益次郎は医者の家に生まれ、頭脳明晰であり、26歳の時故郷で開業するが病人と向き合い、病人の身体の不調を共有する気持ちに乏しく、そして理解と同調もなく医者として不評で廃業する。その後兵学を学び各藩に仕え、長州藩では軍政改革を手掛け手腕発揮、藩の中枢となり明治維新での功績は大きいが冷徹な合理主義者で敵を作ることも多かったようだ。利他の精神が少しでもあればまた、違った局面に出会えたことだろう。
長尾正和さん・・・演題「『関ヶ原の戦い』とは… 最近の研究から」

*関ケ原の戦いは、1600年という覚えやすい数字だ。最近の新たな発見・見解から、最新の関ヶ原論を時間軸の流れからも紹介していただいた。そして、実際に戦闘したのは、意外と若く30歳台が主体だったという。天下分け目と言われるが、演者は、豊臣政権内の主導権争い・内紛であり、戦う前に勝敗は決まっていたという。西軍総大将毛利一族が大軍で出陣していながら、戦闘に参加しないと家康はわかっていたからだと。毛利家の分断に成功済で謀略戦の勝利である。結局は、総合力で老練な家康が三成に勝っていた。指揮官の力量・人望、戦闘能力、戦術、戦闘経験、やる気、調略・・・全てで。
*今回の発表で、近年関ヶ原の戦いについての研究が進み、様々な箇所がアップデートされていることを知ることができました。石田三成が加藤清正らに襲撃されて家康の屋敷に逃げ込んだ話も、実は「伏見城内の自邸に逃げ帰った」とか、前田利長の家康暗殺計画は「家康の陰謀だつた」など、これまでの認識が変えられる内容で、大変面白く拝聴させていただきました。
*今までに何回も本やTV、映画で読んだり見たりした関ケ原ですが、戦国大名の勢力図の変化、石高の増減、移封、改易等を時系列で具体的にお話いただきました。 頂いたレジメは今後の「関ケ原」独習の際の手元資料として活用したいと思います
*関ヶ原の戦いでは資料が項目・年代順にまとめられ、プリントを目で追いながら拝聴しました。各大名が家・命を懸けてこの戦に挑んだことが分かり、昨年伏見城血天井を、京都養源院、大原宝楽院で拝観し、戦の惨さを感じ取りました。
竹内章二さん・・・演題「行基 ~菩薩と呼ばれた異能の僧~」

*演者の東大寺・大仏・正倉院・聖武天皇シリーズである。行基(ぎょうき)は民衆から生き菩薩と崇められた。なのに政権からは弾圧された。しかし、76歳にやっと聖武天皇に呼ばれ東大寺大仏建立の勧進し、78歳にしての大僧正の称号を与えられたのである。行基は渡来系王仁氏(わに)の末裔という。『知識結』(ちしきゆい)という民間の信仰集団を率いて近畿各地で慈善で公共事業を行った。理想・信念だけでなく、技術力・実践力・組織力が凄い。橋・船着き場や灌漑・治水や炊き出し慈善(施薬院相当)である。
演者にとっては、理想の生き方をした尊敬・あこがれの人物に見えたと思う。淡々と静かな口調だったが、篤い思いが込められた発表だった。
*行基の素晴らしい功績について、資料に基づいて詳しくお話しいただき、その実像に触れられた感じがしました。また行基を知る手掛かりとして『大僧正舎利瓶記』という銀筒に刻まれた銘文が残っていたことには感銘を受けました。民衆に慕われ、多くの事業を成し遂げ、大仏建立にも多大な貢献をした行基の功績は、これからも後世に語り継がれるべきものと思いました。
*私は宗教的な事柄に疎く、行基についての予備知識もありませんでしたが、竹内さんの発表・・・現世に在る間に早くも菩薩と慕われたこと、東大寺盧舎那仏の勧進、畿内を中心として全国に広く残る事績など、大変興味深く聴くことができました。
*利他といえば菩薩と呼ばれた異能の僧、行基は正しく利他救済の人であり、民衆への布教と社会事業に一生を捧げた菩薩行実践の人であった。大仏造立のための勧進、貴族等上層部の知識であった仏典を学び広く民に仏法を広めた功績は偉大であった。

全体としての感想
*それぞれお三人の語り口はゆっくりと静かで一言一言が確りと聞き取れて気持ちの良い例会でした