

「熱海・伊豆山より相模湾を望む」
女性会員が増えてきた影響でしょうか、研究発表にも女性の参加が多くなりました。バラエティーに富んだ内容でますます例会が楽しみになってきました。
11月1日の例会参加者は76名(会員69名、新会員3名、ゲスト4名)、二次会も34名の参加で新会員の方も参加され、また今日の3名の女性の発表が上手すぎるという話題ものぼったそうです。
新入会員
中川 力(ナカガワ ツトム)さん
東京の練馬から一時間くらいかかりますが、歴史が好きなのでいろいろやりたいと思います。
松吉孝子(マツヨシ タカコ)さん
歴史に興味があり、家も近いので入会いたしました。関心がある時代は古代、戦国時代
田中淳(タナカ アツシ)さん 
歴史全般が大好きです。気が付いたらいつも読んでいるのは歴史の本です。小さいときから歴史が大好きでNHKの大河ドラマも長谷川一夫の赤穂浪士や緒形拳の太閤記など観ていました。

熊本会長
先週から急に寒くなりました。テレビでは春と秋がなく四季ではなく二季になると言われています。俳句で春と秋の季語がなくなってしまうのではと。髙島さんどうでしょう。(髙島顧問→なくなりません。)急に寒くなりインフルエンザにかかる人が多いようで学級閉鎖もあるようです。お身体には十分気を付けてください。羽田のフライトレーダー24(飛行機の離着陸がみられるアプリ)を見ていましたが、トランプ大統領の時は映りませんでした。日本での政府の代表が一新されたことで住みやすい穏やかな世の中になってほしいなと思います。
今月の行事として11月22日(土)に鎌倉の歴史散歩を予定しています。ぜひとも皆さんのご参加をよろしくお願いいたします。

森 彩子さん・・・演題「「黒船が来た!」ー西洋との出会いー」
ペリー来航以前の日本では入ってくる海外の情報は限定的で、庶民が情報を手にすることは困難であったが、ペリー来航をきっかけに日本の情報化が一気に始まり、西洋の文化に対する驚きと衝撃があった。当初は恐怖も覚えたであろうが、当時の資料(日記・手紙・絵)から庶民や下級武士たちが黒船見物を楽しんでいたことがわかる。下級武士が警備範囲を超えての見物や物見遊山気分で浦賀や横浜にやってきて見物する庶民、瓦版などで身分や階層を超えて多くの人にペリー情報が共有されていたことがわかる。また、当時の艦隊の乗組員は刺身に手を付けず、焼酎・日本酒・みりんが用意された中でみりんばかり飲んでいたという事実は今のインバウンドの海外の方たちとは雲泥の差がある。時代が変われば嗜好も変わるということがわかって面白い。森さんの用意される資料は絵や写真が多用され、わかりやすく面白いものが多い。楽しめる発表であった。
最後に森さんより『亞墨理駕船渡来日記』という本の紹介があった。明治の中頃に本牧の旧家から発見され、横浜貿易新聞に23回掲載され、神奈川新聞にも連載された。当時の様子を知ることができる貴重な史料でアマゾン等で入手可能とのこと。
(質)私も幕末に興味があり、庶民の目線に立った興味深いお話でした。日本人とは何でしょうか。日本人とはどういう風に思われますか。
(応)日本人は昔から好奇心が強く海外のものも取り入れて日本化してしまう、日本人の好奇心の強さは海外からも言われています。
(質)日本人がアメリカの技術や文化に触れたことを聞きましたがペリー艦隊についていた通訳など随行者は町や日本人の様子についてどういう感想を持ったのか。
(応)随行記というのがあり、西洋人から見ると見慣れない人種で東洋の島国ということで警戒もし、また自分たちが先進国であり、技術も進んでいて見下すような面もあったが、交渉していくうちに識字率が高く理解力もあり、対応した武士を侮れない、知識も豊富でおどろいた。

好奇心という話があったが、日本人は確かに好奇心が強いようで時代が違うが、応仁の乱を三条大橋の上から見学したとか、戊辰戦争も屋根の上からお弁当を食べながら見ていたという話もあり、森さんの言われた通りと思う。ペリーが来て対策を考えたときの案では・東京湾に柵を作って出れないようにしよう。・船に遊女を送り込んで骨抜きにしよう。・外輪を荒縄で絡めて動けないようにしよう。などという策が出たがどれも採用されなかった。黒船という言葉は秀吉の時代からあった。ポルトガルの帆船が入ったとき黒かったので黒船と言われた。
青柳 文子さん・・・演題「商人の町 博多」
NHKの歴史探偵という番組が大好きという青柳さん。その中に出てきた言葉「交渉交易は人を集め、富を集め、そして文化を集め町を大きくする」という言葉が今回の発表にピタリとはまったそうだ。立て板に水の話し方で博多に対する熱い思いが伝わってきた。知名度は抜群だが都市としては地図上に載っていない博多という町についての通史と言える今回の発表。博多が拓けた理由として地理的要因と地形的要因を挙げ、古代から近代にいたるまでの事象を絡めて、交易や商人、地形に焦点を当てながら解説された。大陸との交易による博多の盛衰、応仁の乱以降の「博多の三傑」と呼ばれる豪商の出現、時代を追うごとに博多商人の町として繁栄していったが、近世になり黒田長政がやってくると福岡城が築かれて城下は福岡と博多の反目しあう2つの町となった。近代となり2つの町は一つとなるが、福岡が福岡市という政令都市となり博多は博多区として地名を残すこととなった。博多の人にとっては残念な気持ちが残ることであろう。博多の歴史が良くわかり、博多を愛する気持ちが伝わってくる内容であった。
(質)自分の生まれたところの話です。博多のことを考えると昔は文化などは玄海灘から入って来ると思っていましたが有明海側からも文化や物が入ってきた。俊寛が鬼海ヶ島(硫黄島)に流された時も文化や経済は南の方からつながっていた。博多商人が商売をし、最澄も有明海側から入って延暦寺にかかわった。

福岡に出張で行っても福岡で飲むとは言わず、博多で飲むと言いました。博多は日本書紀から続いている名前ですね。とても初めての発表とは思えない、言葉もすらすら出てぜひ自信を持ってください。
鈴木 美恵子さん・・・演題「紫草(ムラサキ)をたずねて<吉野ヶ里と金印から見えてきたもの>」
久しぶりの発表ながら、さすがの話術で不思議に思った近況の話を聞かせてくれた。電車で席を譲られる際に「どうぞ」ではなく、まず「座りたいですか」と二人の方に続けて聞かれたとのこと。また、帰り際にお気をつけてと言われてとても気分がよくなり、言葉一つ、とても大事と実感したとのこと。
染色で草木染めをしていた鈴木さんですが紫草は難しくて、いろいろ工房を訪ねて聞いたそうです。紫草の花は白く、花ではなく紫根が大事ということで硬紫根と軟紫根の実物を会場で回して見せていただいた。薬局の方が参考にと分けてくれたそうだ。また、紫草の栽培されている森林公園や植物園を訪ねていろいろな方にご協力いただいたとのこと、調査は大変であったろう、熱心さに頭が下がる。吉野ケ里遺跡の遺物では貝紫染めの絹織物が確認され動物性の紫染めが認識された。魏志倭人伝の「金印紫綬」という記述からみられる紫綬についての研究が進めば、金印についての新たな可能性が広がるかもしれない。「紫草を訪ねて」は奥深い研究となったようだ。
(質)紫雲膏についての豆知識を披露します。紫雲膏が200年続いているのは切り傷ややけどに効果があり肉芽作用にすぐれているからです。また作りやすいということもあります。
冠位十二階で聖徳太子と蘇我馬子の冠位は何だったかというと与える側だったので冠位は無かったということです。
(応)紫雲膏は今でも作られています、大学の薬学部に入学された人は紫雲膏を最初に作らされるそうです。実験などでやけどをしたときに使うという話を薬剤師さんに聞きました。

紫色についてかんがえたことはなかった、そういえばお坊さんの法衣も紫色が上ですね、大僧正は緋色です。葬儀で紫色の法衣はあまり見かけない。外壁を塗り直した時に聞いた話では紫色の塗料は高価ということです。
令和7年度秋の歴史散歩
***晩秋の鎌倉 悲運の一族に思いを馳せて***
~妙本寺などに有為転変の人世を偲び、鎌倉最古の杉本寺も訪ねる~
日 時 11月22日(土) 雨天中止(中止の場合は当日8時にHPに掲示)
*事前の申し込みは不要です。
集 合 12時30分
JR鎌倉駅・東口改札を出て右の交番脇
費 用 1,000円
(拝観料、入館料、団体保険料等)
コース ご案内裏面のイラストマップをご参照ください。
解 散 16時15分頃 報国寺見学後に現地解散
懇親会 17時~ くいもの屋「わん」 会費3,500円
*各自昼食を済ませてきてください。
*当日はご案内裏面のイラストマップ(下記)をご持参ください。

【横歴勉強会】
***古文書講座のご案内***
会員の方に向けて古文書の勉強会を毎月1回、開催中です。
*新規参加希望者は、各班長へお申し込みください*
*第8回古文書講座は11月24日(月・祝)午後2時~4時 横浜市歴史博物館
*第9回古文書講座は12月17日(水)午後2時~4時 横浜市歴史博物館