

「法隆寺・伽藍」 撮影:長尾正和
「斑鳩の道~」に寄せて 竹内章二
毎朝9時頃にJR大和路線の法隆寺駅を降りる。駅前から数曲がりすると、斑鳩の里を南北に延びる直線道路に出る。そこを北上すること約20分、左前方に黄土色の土塀が見えてくる。法隆寺の伽藍を囲む土塀だ。まだ朝なのに、真夏の太陽は容赦なく道を照らす。白く眩しい。少し汗ばむ。だが気分は爽やかだ。
法隆寺では毎年「法隆寺夏季大学」が開かれるが、以前、ここに5年程続けて通った。夏季大学の中身は、法隆寺など大寺の管長らの講話や、大学・研究所の歴史・考古学の学者たちの講演だ。午後には、年に数回公開の秘仏も含め一挙に拝観をしたり、金堂焼損壁画の特別見学(収蔵庫に入ると焦げ臭い匂いも嗅げたが、今は非公開)もあった。
なお、643年、上宮王家の絶滅を図る蘇我入鹿の軍勢が、斑鳩の道を攻め来るのを、山背大兄王(聖徳太子の長男)らは、境内の小高い丘から見詰めていた…という話もある。
7月1日の例会参加者は77名(会員69名 ゲスト8名)でした。平日にもかかわらず多数のゲストの方にご参加いただきました。ありがとうございました。
・3月に入会された加藤国男さんが同月にご逝去された旨、ご家族から連絡がありました。
黙とうを捧げ、ご冥福をお祈りいたします。
・本日第三発表者の高橋正一さんが体調不良のため、
急遽、真野信治さんの発表に変更となりました。
・本日熊本会長はお休みのため、代わって竹内副会長の挨拶となります。

昨日はFIFAワールドカップで日本とブラジルが対戦しました。寝不足の方も多いのではないでしょうか。あわよくば勝てるかもという試合でそれなりに力をもらいました。39歳の長友選手は5回連続出場で年寄りには元気になる話です。昨日は夏越の大祓で6月30日と12月31日、年二回の区切りの日で、この半年にたまった汚れを落として残りの半年の無病息災を祈ります。茅の輪くぐりで8の字に3回、人形で氏名を書いてのお焚き上げが全国の神社で行われます。奈良の東大寺では手向山八幡などの神社もあるので7月28日に夏越の大祓に相当する茅の輪くぐりを管長などの僧が行い、大仏殿で法要をします。その後一般人も参加します。半年の汚れをさっぱり落として、元気にいきましょう。
お知らせです。伝統芸能の公演などでお世話になっている講談師の宝井琴鶴さんは2019年に真打となり、いろいろご協力いただき、我々も応援しています。この度幟を贈り、先日、にぎわい座で公演された折、お披露目されました。今後も宝井さんのご活躍とともに、横歴の名前も売れていくことでしょう。
仏像の勉強会の一回目が台風の影響があり、会場や講師の都合で7月12日(日)に変更になりました。申し込みされていなくても当日の参加はできます。
後半も無病息災で行きましょう!

遠田千代吉さん・・・・・演題「葛城の豪族 葛城氏・当麻氏」

「大伯皇女の墓は見つかっていないが当麻氏がかかわっていると確信している」と話す遠田さんは大伯皇女の研究を長年続けている。会報誌「歴研よこはま No.78」への投稿「海上で生を受けた大伯皇女の誕生」から始まり、現在まで毎号に投稿されて、例会での研究発表は令和3年から毎年行われている。 当麻氏 鳥谷口古墳(奈良県葛城市)と大津皇子の移葬に関する歴史研究では大津皇子の二上山への移葬に当麻氏が関わっていると推定された。今回は葛城の豪族である葛城氏と当麻氏の実像の解明、葛城氏衰退後の蘇我氏の勃興、その中での当麻氏の生き残り策、当麻氏と皇族との関わりを明確にし、当麻氏の職掌である葬礼や石工集団の掌握、斎宮とのつながりを明らかにして、いよいよ次回は大伯皇女の墓所について語られるのであろう。大伯皇女については少ない文献資料を読み解き、現地を訪ね歩いてその地での想いも併せての発表には時を超えての存在を我々聴衆にも強く語りかけてくるのである。

遠田さんは、大伯皇女について天武天皇の皇女として瀬戸内海にある大伯海(おおくのうみ)に至る船上で生まれたこと、名前はここからきている(日本書紀)ことを8年ぐらい前の会報で紹介しました。それ以来、皇女ゆかりの
夏見廃寺など生涯について触れてきて、今回は皇女がどこに埋葬されたか。それを解き明かすために当時の豪族葛城氏と当麻氏について発表されました。
いよいよ次回は皇女の埋葬地についての話になりますが本日はそのヒントを得たような気がしました。
大墨 伸明さん・・・・・演題「倭国から日本国へ ―――文献史料から何が起きたのかを探る――― 」
初めての発表で緊張していると話していたが、古代史セミナーのパンフを片手に説明から入り、通説に対する突込みとかいろいろやりたいと・・。国内の文献資料は掘り下げても何も出てこないので日本書紀と対応する中国の文献資料を参考に、今まで聞いたことのないような大胆な話なので皆さんの意見を伺いたいと話し始めた。『旧唐書』東夷伝では「倭国」と「日本」とは別扱いされているという。665年の白村江まで「倭国」が出てくるが702年以降は「日本」と歴史・地理すべて含めて別口と扱っている。『新唐書』でも「倭」が併合し、日本国名を名乗っている。『善隣国宝記』では郭務悰についての記載から畿内には入らず九州にとどまっていたこと、東・近江の「日本国天皇」と筑紫の「倭王」の二つの宛名もあったことがわかる。外交の実態から国内の「日本国天皇」(新羅)と「倭王」(唐)の対立が壬申の乱に重なる。「倭」から「日本」と単に国号を変えたというわけではなく、実際のところは史料に書かれた二つの国の存在があるのだろうか。
(質)興味深いお話しありがとうございました。自分は朝鮮通信使の勉強をしているので、国書のやり取りは非常に重要です。郭務悰は公使ですか外務大臣ですか、位置づけは何でしょう。
(応)唐の官吏です。素性はよくわからないが中国系の人で人物は確かです。百済が滅亡した時に連れてこられた官人だったのでは・・。トップレベルの人ではありません。

東アジアの視点から文献資料により国号が倭国から日本国へとなった経緯について、かなり専門的な発表をされました。隋・唐は当初九州勢力を倭国として認識していたが、7C後半に唐側史書に日本国が登場し、倭国とは別勢力として扱われます。国号変更の本質は律令制により豪族連合政権から官僚国家への転換したことにあります。
先ほどの遠田さんの発表にあった葛城氏は、渡来系の技術を伴ったまま制度的に国家に吸収された一事例と言えるでしょう。
真野信治さん・・・・・演題「本能寺の変から山崎の合戦まで」~研究の最前線~
不測の事態にもいつでも応えられる真野さん。急遽高橋さんの代わりに受けていただき、旬の話題「本能寺の変から山崎の合戦」となった。2020年に発見された新しい文書『乙夜之書物』は核心情報を知り得る人物が情報源で構成に加筆された形跡がなく、極めて信ぴょう性が高いという。明智光秀は本能寺襲撃の場にはいなく鳥羽に本陣を置いて待機していた。また、斎藤俊三の存在が光秀の謀反の引き金となったという説が有力視されているという。『石谷家文書』からは信長の長宗我部氏に対する政策転換の詳細がわかり、当時の信長に対する光秀の状況が見えてくる。本能寺の変は偶発的・突発的・刹那的な単独犯行であり黒幕の存在は考えにくいと。また、本能寺襲撃に加わった明智方の人物が描いた『本城惣右衛門覚書』は『乙夜之書物』と一致する点が多々あるという。光秀が鳥羽にいた理由も検証している。2024年の新史料『羽柴秀吉書状』から秀吉が山崎の合戦に間に合っていないことがわかる。これはルイスフロイスが書いた報告書と合致する。中国大返しも秀吉は二万の全軍ではなく少数の騎馬による移動であろう。本能寺の変に関する一次史料は非常に少なく、光秀自身がその場にいなかった、あるいはいたことの証明はできないが、大将が前線に赴くことはまずありえないと考えるのが自然である、とまとめた。
(質)最後の項の二日間では行けないというのは、赤穂事件では600数十キロを4日半で行っているので不可能ではないのかと思う。
(応)赤穂事件では駕籠を使っています。

本能寺の変を起こした明智光秀の動機については、一次資料が少なく光秀側の公式記録もありません。
また、当事者に近い人たちの証言も後年の回想や伝聞が多くあてになりません。従って確定的なものは無いのが現実です。よく黒幕はという話がありますが、話として面白いが殆どは創作です。しかし今日の真野さんの話はひょっとしたら、そうかなと思わせるものでした。いつもながらのストーリーの組み立てに感心させられました。
【横歴勉強会】
『仏像の見方』入門講座

花澤 明優美学芸員
第一回 「仏像の種類」が7月12日に開催されました。
講師:横浜市歴史博物館 学芸員 花澤 明優美氏
会場:横浜市歴史博物館 研修室 横浜市都筑区中川中央1-18-1 横浜市営地下鉄「センター北」駅から徒歩5分
日程 全4回 毎回 14時~16時(開場 13時30分)
費用:各回1,000円(当日徴収)
*『仏像の見方』入門講座第一回目の参加者は30名でした。

森さんが制作した仏像の写真で花澤学芸員と談笑
日本の仏像史は飛鳥時代から江戸時代、仏教と仏教伝播などの説明後、仏像の種類(如来・菩薩・明王・天・人・神・動物)について形の特徴や種類など代表的な仏像の写真を見ながら解説頂いた。最後に写真を見て、今日習った仏像のどの種類に当てはまるかと問題があった。簡単のようで、なかなか難しく・・・。基礎から丁寧にわかりやすい授業で楽しい講座になりました。次回が楽しみです。
第2回 7月20日(月・祝日)・時代ごとの特徴
第3回 9月27日(日) ・仏像の構造技法
第4回 11月(日程調整中) ・平安仏解説 特別展「南武蔵の平安仏」
*8月の例会はありません。次回の例会は9月2日(水)です。