[レポート]平成30年度 横歴研修バスツアー

◎水戸徳川家 ゆかりの地を訪ねる

5月24日(木)~25日(金)常陸地方を訪ねる研修旅行が開催されました。
参加者38名 ツアーコンダクター上野隆千事務局長

予報では雨が心配される中、日差しがみえるすがすがしい朝を迎え、参加者は横浜駅西口に集合しました。納車からまだ1週間というピカピカのツアーバスが快適な旅を約束してくれるような旅立ちです。バスは横浜から東京を横切り常磐道へと向かいます。

JAXA~予科練平和記念館

最初の訪問地は、JAXAの筑波宇宙センター。知っているようで知らない宇宙科学のこと、巧妙な解説員の話を聞きながら感心することしきり、あっという間に予定時間が過ぎました。模型で示された巨大な太陽光発電の羽の中心部(○枠部)に宇宙ステーション(会員3人が写る写真)があることでスケールの大きさを知ることができます。孫を連れてもう一度来たいという声が聞かれました。
「来てよかった。自分の思考のレベルを超えていますが、このような宇宙科学の研究はすばらしいことですね」(森田紀雄さん談)
昼食をはさんでの見学は予科練平和記念館。第二次大戦前14~5歳くらいからの少年が胸躍らせて入校した海軍航空隊の練習生を育てる学校でした。彼らの多くはその大志とはうらはらに、特攻隊で知られるように空しく戦場に散りました。観終わった後、皆さん目を潤ませ寡黙になり、改めて戦争とは何かを考えることになりました。
「練習生のお母さんへの手紙を読み、改めて平和を守らなくてはいけないと思いました。」(佐々木文江さん談)
「国民学校世代には胸に来るものがありますね。」(瀬谷俊二郎さん談)

西山荘~佐竹寺

再び常磐道に戻り、北上し今回の旅のメインテーマ「水戸徳川家」の中心人物水戸光圀が晩年を過ごした「西山荘」に向かいます。屋敷は水戸からは20km程離れた常陸太田の山間にあります。夏の天気特有の激しい雨がバス到着と同時にあがり、日差しの中に水蒸気が浮かび上がるという幻想的な山道を進むと別名「西山御殿」とも呼ばれるには似つかわしくない茅葺屋根の館がありました。そこは家屋の釘隠しに牡蠣殻を用いるといった質素な佇まいながら気品に満ちた清廉な暮らしがうかがえる場所でした。この場所で近隣の住民の訪問を気さくに受け入れたという解説に、なるほどこんな所から漫遊記で知られる光圀公の寓話は生まれたのだと一同納得でした。
「家屋を見るだけで水戸光圀の人柄が感じられる屋敷ですね。」(大岩泰さん談)

引き続き訪れたのが常陸の名門佐竹氏の祈願所だった「佐竹寺」です。西山荘に来てもなかなか立ち寄る人が少ないお寺ですが、一時は国宝の建造物となっていた古刹です。めったにない熱心な団体の喰いつきにガイドさんも予定時間を大幅に超える熱弁になりました。横歴恐るべし。
1日目の行程終了。水戸市内泊。

偕楽園・好文亭~弘道館

2日目は義公と呼ばれた2代藩主光圀を敬愛した9代藩主烈公こと斉昭が残した歴史的史跡をめぐる観光からスタート。まずは日本三大名園の一つ「偕楽園」。梅のシーズンではないので、昔のままの姿で残る好文亭表門から入り孟宗竹の林を抜け、好文亭を訪れる。斉昭が自ら設計したという木造2層3階建ての屋敷はさすが御三家のお殿様の御殿にふさわしい建造物です。けっして華麗というものではないが、随所に人をもてなすための創意工夫と洒脱な造作が尽くされ、館から偕楽園、南方の千波湖を望む眺望は斉昭の文化的資質の高さも感じされるものでした。
「竹林の美しさ、好文亭の東塗縁に入る華燈口の風雅なつくりに感動しました。」(桑原代津子さん談)
続いて訪れたのが、幕末に斉昭によって創建された藩校「弘道館」です。当時日本最大の藩校であったという屋敷には、「尊攘」の掛け軸が架かる控の間に見るように日本回天の礎となった武士の精神が息づいていました。

香取神宮~伊能忠敬記念館・佐原

旅行のメインが終了した所で昼食をすませ、帰路を利用した史跡を回ります。常磐から利根川を渡った所にあるのが香取神社です。その昔、利根川河口は香取海と呼ばれ大和政権の東征の拠点となり、その武運を祈り、香取神宮と対岸に鹿島神宮が創建されました。そして香取神社の参道にあたる街、佐原は江戸時代利根川の水運を利用して栄えました。シーボルトが驚愕した「大日本沿海輿地全図」を作り上げた伊能忠敬もこの街で財をなし、隠居後の偉業を成し遂げるための莫大な資金を蓄えました。
「普段神社では、健康や安全など身近なお願いをすることが多いのですが、さすがにここでは国の安寧を願うという気持ちになりますね。」(小林道子さん談)

佐原の街を買い物などで散策した後、予定より早めの帰路となった旅は無事に横浜へ戻る事ができました。一見バラエティな内容の旅でしたが、色々な感慨が生まれる有意義な2日間でした。お疲れ様でした。
「旅の始めに未来と重い過去(戦争)というテーマを与えられ、いろいろ考えさせられた旅でした。」(谷川操一さん談)
(レポート 高尾隆)