[横歴通信4月]例会開催


(写真)北鎌倉の浄智寺惣門。長閑さ=のどかさ
炭太祇(たんたいぎ)/江戸中期の俳人。江戸の判者を務めていたが九州島原遊郭に不夜庵を構え手習い師匠兼業の宗匠となる。明和年間、江戸へ戻り芭蕉の顕彰と俳風の革新を始めた与謝蕪村と交流を深める。

巣ごもりからの解放、再開、再会の喜びひとしお

4月10日。3カ月ぶりの例会は気温26℃の夏日となりました。会場では久々の再会に参加者のみなさんがお互いの無事を喜び合うシーンが見られました。歴史好きの会員にとって例会は月に1度の学びのルーティンです。今回も三者三様の充実した内容の発表が行われ、「これこそ横歴の魅力」との思いを強くする一日となりました。
まだまだ全開とまではいきませんが、76名の参加者(会員73名 新入会員1名 ゲスト2名)を数えました。

新入会員

加藤英雄さん(東京都大田区)
私の歴史との出会いは高校時代の日本史の教科書に載っていた三輪山の写真が大変印象的で大変感動したのがきっかけです。それから10年程前、大阪に単身赴任していた時、明日香村の「景観を守る」ボランティアに加わりました。三輪山や橿原神宮などに訪れ歴史的背景を知ることも多く、その折に事務局長の村島さんのペンネームと同じ、同地にゆかりのある忌部姓を知りましたので、この入会に際して非常に因縁を感じた次第です。
私の出身は三島市です。いま話題の頼朝の蛭が小島などは遠足の場所でした。我家は三島大社ともつながりがあり、三島に関することでしたら私が一番詳しいのではないかと思っています。
注)忌部氏(いんべうじ)…古代朝廷における祭祀を担った氏族

開催にあたり

木村髙久会長
3カ月ぶりの開催を大変嬉しく思います。新型コロナの第7波が到来するのではと心配されていますが、当会ではこのように入場扉を全面開放し、座席間隔をとって実施させていただいています。
さて当会では今日における政治問題は扱わないことになっていますが、いまのウクライナ問題に関しては、後世の世界史に残る負の出来事であり、早く戦いが収まり平和が訪れることを願っています。
今年は当会の創立40周年の年ですが、遡ること50年前、奈良明日香村の高松塚古墳が発見されました。天武天皇の皇子の墓とされる説が有力なのですが、この時円墳の中から、極彩色の壁画(西壁女子群像)が発見されました。そして今年、この埋蔵品として見つかった中の木片や金属の飾り物から、実際はどのような物であったかという専門家によるCGによる復元がなされました。それが黒漆の木棺(長さ199.5×幅58cm)でした。歴史というものは時間の経過とともに新たな発見が生まれてくるものだなと感じている次第です。
本日は新しい会員、ゲストの皆さんが参加しています。会員による発表をどうぞお楽しみいただければ幸いです。


4月例会発表のポイント

演題 『聖徳太子の謎と法隆寺修学旅行ツアー』忌部 守さん(村島秀次事務局長)
当会きっての古代史研究者である忌部さんの発表のポイントは、聖徳太子にまつわる“建物”を時代的に検証することと日本書紀に書かれた太子死亡の記述の真偽を解明したいということである。 前者に関することは、法隆寺が大火にあっていることなどから現存するものが創建時と思われない点があるということは聴者にも納得がいく。むしろいまの五重塔や金堂や講堂が伽藍の中に配置されていることが時代的におかしいとの教示いただけたのは歴史をかじる者としては興味深いものだった。
建造物に関心の高い向きには法隆寺の建築様式の不思議がネット上にも掲載されているのでご覧いただくと良い。問題は太子暗殺説?の件である。聖徳太子の死に対する謎は法隆寺金堂の釈迦三尊像の光背に刻まれた記述であり、そこにある年号によって日本書紀とは死亡年に1年の誤差があるということだ。わずか1年の違いではないか?否、これだけの大人物だ。天皇になる人ではなかったのか?何かあったのではないか?そこから推理を巡らせたのが後者の話である。
釈迦像の「愁毒をいただき」という記述や斑鳩宮の造営など氏の説には同意の感を持つ。氏は史学博士を目指す身であるが、いわく、この程度の論理は学会では箸にも棒にもかからないそうである。しかしこうした疑問と推理が許されないと面白い歴史小説などは生まれてこない。

 演題 『はじめにコトバありきか!』宮下 元さん
宮下氏は普段「傾聴ボランティア」という仕事をされている。話を聞いてほしいという方の言葉に真摯に耳を傾けるというものである。その第一歩はまず相手を理解してからではないと話に入れないから(傾聴=敬聴)だという。きめの細かい対応で優しく人と接しないと成立しない行為である。古代中国で生まれた漢字(甲骨文字)と古代エジプトで生まれたヒエログリフの発表を聴き、人類の言葉の起源や文字の成立をひも解いた人は宮下氏のような人々であっただろうと想像する。
それは浜辺で失くした指輪を探すような気の遠くなるような作業のくり返しだからである。ヒエログリフという象形文字がたまたま2つの言語と並記された碑文が見つかったからこそ紀元前のエジプト王朝の歴史が解明されることになった。漢字の起源となる甲骨文字が司馬遷の「史記」と符合したからこそ中国古代史が日の目を見るようになったのである。前講の忌部さんの話も残された刻文が人の好奇心や知識欲を掻き立てたからであろう。これは会員の多くが持ち合わせる共通点であろう。

演題 『台湾で最も愛される日本人 八田與一』大瀬克博さん 

研究発表はテーマの着眼点とその考察力が問われる。大瀬氏の題材はポピュラーな歴史人ではなく、本人のみなさんに知って欲しいと思うあまり知られていない人物にスポットを当てることが多い。今回の八田輿一はたまたま私の知識にあった人物であった。
その名は台湾の治水工事を成し遂げた功績だけで十分に歴史に残るが、八田の場合は文句のつけようのない人物としての評価がある。
戦前の統治下にあった台湾で現地の人々を雇用して、東洋一のダムを建設するという難事業は「監督命令する」というような立ち位置でなければ成し遂げられないと考えるのが普通である。八田の場合は戦後の台湾の教科書に偉人として扱われるほどの人としての評価なのである。
八田の場合はそうした一部始終を日本からのアプローチは一切なく、台湾からの報道などで我々の知るところとなった。
大瀬氏の語りは定評があり、一つ間違うと日本人英雄視となりがちな題材を淡々と心に沁みるような話法で聴衆に語りかける。研究発表はこうありたいと思わせる発表だった。
(壺主 広目屋隆助)
*発表者のレジュメは研究発表をご覧ください。

4月23日(土)コロナ禍でなまった身体を動かそう!春の歴史散歩開催!

令和元年11月の秋の歴史散歩「浦賀」以来、コロナ禍で開催中止が続いていた歴史散歩が3年ぶりの開催となります。例会以外の会員相互のコミュニケーションを図る機会として、定例行事として続けられてきましたが、コロナという思わぬ伏兵に春秋2年計4回の中止を強いられてきました。
今回は横歴40周年の年ということで、当会最初の散歩開催地である鎌倉を探訪することにしました。鎌倉は多くの会員にとってご当地でもあるので勝手知ったる場所ばかりですが、今年は鎌倉政権発祥の原点である源氏山を目指してみんなでハイキングを実施します。
令和4年4月23日(土)
・参加費/1000円(施設入場料・ガイド資料代を含む)
・昼食/各自ご用意ください。源氏山公園にはお店等はありません。
・参加中、各自可能な限りマスクの着用をお願いいたします。

開催案内チラシ ☞案内チラシ

ご自分の身体と相談して、体力に合わせ散歩コースをお選びください。

◆楽ちんコース
集合場所JR大船駅南口(通称:大船観音口)改札口前 午前10時30分(厳守)*注意…バス代290円は各自負担となります。
[コースのポイント]

土日祝日は住民の往来だけで一般車は通らない

バス停から参加者合流地点(730m)まで舗装道路で歩きやすい
出発:大船駅ルミネ下バス停 京急バス桔梗山方面10時45分―源氏山入口下車―(ハイキング)―合流場所・葛原岡神社(昼食)

 

 

◆健脚コース
集合場所JR北鎌倉駅横 円覚寺前 10時
[コースのポイント]

木の根が張った山道

ハイキングコースの入り口にある鎌倉五山第四位の名刹『浄智寺』を見学してから山道を登る。風光明媚ですが所々、徒行にタフな箇所がある。
出発:浄智寺散策(30分)―(ハイキング)―合流場所・葛原岡神社(昼食)

 

 

 

 

〈2コース合流昼食後のスケジュール〉
葛原岡神社・青空講座「承久の乱から元弘の乱まで」→源氏山公園源頼朝像・青空講座「頼朝政権と鎌倉武士団」→佐殿の夢枕にちなむ「史跡銭洗弁財天」→「佐助稲荷神社」→“北条氏展”開催中の『鎌倉歴史文化交流館』見学

★天候による開催実施の可否について
前日雨模様の場合、当日小雨模様の場合、健脚コースは山道の足場が悪いので大船集合の「楽ちんコース」で開催いたします。また当時の天候が悪い場合は当会ホームページに開催可否の速報を掲示します。あるいは各班長及び下記役員にお問い合わせください。
〈問い合わせ先〉090-3212-7343(高尾)・080-5463-6042(熊本)・090-2218-0523(雨宮)・080-9653-7702(木村)