[横歴通信6月]例会開催

山形県尾花沢の名産でもある紅花、この花は女性が化粧につかう眉掃きを想像させます。咲き始めは黄色、やがてオレンジから赤色に変わっていきます。あでやかな色から口紅、衣装の染料の他、薬用、食用油にも使われます。古代エジプトのミイラの布の防腐にも使われたそうです。雅称を末摘花とも言い、源氏物語のあの鼻のてっぺんが赤い女性を思わせます。遠い昔、平安王朝貴族の衣装を染めていたのでしょうか。
6世紀の藤ノ木古墳からは紅花の花粉が発見されています。何に使われていたのでしょう。

6月例会が開催されました

コロナ禍の感染状況が以前より改善され、世の中に明るさが戻ってきました。当会も4月から3カ月連続で例会が行われることになりましたが、徐々に会員の皆さんが様子見の状態から関内へ足を向けていただけるようになったことは嬉しいかぎりです。6月は久々の参加者80人超えとなり、会の運営維持ラインをようやくキープしました。これから夏秋に向けて40周年記念行事が続きます。会員の皆様に積極的にご参加いただけますようお願いいたします。
参加者80名(会員77名、ゲスト3名)

開催にあたり

木村髙久会長
昔から怖いものの例えとして「地震、雷、火事、おやじ」という言葉があります。昨今の例えの最後は「女房(かみさん)」という御仁もおられるのではないかと思います。申し上げたいことはモノの評価や解釈は時代と共に変わって行くものだということです。歴史の検証や評価もずいぶん変わってきています。
さて来年は関東大震災から100年目に当たります。1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、死者・行方不明者10万4千名余りを出した大災害ですが、その後皆様の記憶にある阪神淡路や東日本といった大地震はここまでの被害を出していません。それは地震被害を少なくするさまざまな防災の努力がなされてきたからだと思います。大切なことは社会や自治体などで防災対策が講じられていますが、私達も防災用具や非常食の備蓄といった準備を行ったり、ハザードマップに目を通したりするなど個人々々がなすべきことを日々考えておくことが必要です。なによりも皆様に災いが降りかからないことを願っています。

事務局からのお願い「例会発表者募集」

村島秀次事務局長
3年近いコロナ禍による沈黙の日々は、会員の皆様の学習意欲をかなり疎外してきたように思われます。毎月の例会の要となるのが、会員諸氏の研究発表です。しかし多くの会員の皆さんが従来のような活動的な日々を取り戻すまでにいたってないのが実情です。そこでこれまで発表の機会がなかった方で、温めてきた研究を披露したいという方にぜひお願いしたいと思います。発表の日時や準備いただくこと、内容についてのご質問など事務局村島・橋本にご相談ください。


4月例会発表のポイント

演題『清水の次郎長と明治維新』 佐藤猛夫さん
当会の自慢の一つは異色の経歴や体験をされた会員が多く在籍されていることである。佐藤氏は江戸の五街道踏破をはじめ全鉄道を乗車してきたという健脚であり、旅人である。こうした記録がどれだけ大変かというと、時間と暇とお金と最も必要なものが体力なのだ。行動に移す時にすべてが揃っていなければ成し遂げられない。発表のテーマ「清水の次郎長」であるが日本史に残る代表的な渡世人である。渡世人とは賭博や用心棒と呼ぶような反社会的な稼業で生きる人間を呼ぶ。佐藤氏の話で森の石松をはじめとするヤクザの親分としての次郎長の実像が、清水という地勢学的特性がなす環境が左右していたことがわかった。まともに勉強もせずに育ったとのことだが、ヤクザ稼業が主でなくなった明治以降に行った様々なビジネスや社会的事業の数々を知ると頭も良い人だったのではと推察できる。私の知るところによると横浜にも顔を出しており、「これからの若者は英語が必要だ」と若い人への英語教育にも力を貸したそうである。
演題『天皇陵』 長尾正和さん
長尾氏の結びにあるように天皇陵における被葬者の是非については多くの問題がある。それを解決するのが当会の古代史を研究する会員が皆口にする陵墓の綿密な調査である。エジプトの王墓の発掘調査による番組等で知らされるドキドキするような興奮が天皇陵にもあるに違いない。
発表を聴いて思うことは時代毎に権力の移動があっても天皇家が自身の威光や場所を変え生き続けてきたという事実の偉大さである。最大のピンチが鎌倉から室町にいたる治世権の喪失だろうか?
されど信長も家康も抹消しようとはしなかった存在はどこから生まれたのか?ずっしりと重く続いた徳川の武家社会の中でも、その武家が最後に精神的支柱として帝を担ぎ上げたのはどうしてなのか?
長尾氏は「わが国の歴史と文化は外国のものをうまく取り入れながら、独自の工夫を加えて発展してきたとよく言われるが、天皇の陵(みささぎ)もそのよう流れの中で変化してきた。その流れがよくわかるような形で話をさせていただいた」と話された。
*なお、同氏のレジュメは資料の是非に関する諸事情により、HP上の開示は控えさせていただきっます。
演題『ラストサムライと呼ばれた男達―中島三郎助と土方歳三』高尾隆さん
発表の結びに述べさせていただきたかったことをお伝えする。私には戊辰戦争の最後となる函館の戦いは回避できたのではないかという思いがある。
長崎海軍伝習所で一期生として机を並べた三郎助と勝海舟はあまり仲が良くなかったと伝えられる。方や勤勉で実直な技術屋の男。もう一方は一を聞いて十を知る頭脳明晰の男。内容と理屈がわかればよしとする海舟に、最後まで見届け、その過程がどうなのかを知るまで納得できない三郎助とでは、そりが合わないに違いない。浦賀で咸臨丸を修理した時、築地の海軍操練所の時、榎本武揚が函館に向かおうとする時、二人顔を合わせ、言葉を交わしているはずである。榎本と三郎助、徳川報恩の思いが強い二人は幕臣の新天地を求めて函館へ向かう。当時海舟は榎本に対し、江戸湾に集結する徳川軍艦を新政府に引き渡せと強く勧告する。榎本には「俺の魂を売れというのに等しい」とこれを無視する。三郎助もしかりである。しかし海舟は己の感情の爆発を抑えることができる男なのだ。物事の落としどころが判る男なのだ。戦争が起きるかどうか最後の所で海舟のような男が政治家として必要である。どうなるかを見通し、感情を殺して行動する。
江戸にいた時、海舟は高価な海事書籍を三郎助にプレゼントしている。気が合わなくてもきっとお互いを認め合う仲だったのだろう。(本人談)

7月例会のご案内

7月2日(土)午後1時~4時40分
会場/関内ホール(小ホール)
遠田 千代吉さん 演題 『二上山に偲ぶ 烏谷口古墳』
植木 静山さん 演題 『 南北朝における天皇拉致事件の真相』
齋木 敏夫さん 演題 『寺院の始まり』

詳細は例会案内をご覧ください。

横歴創立40周年記念行事今後の予定

記念式典・祝賀会 9月10日(土)ホテル・メルパルク(中区山下公園向かい)
記念大会「特別講演と伝統芸能の集い」10月16日(日)テアトル・フォンテ(泉区区民文化センター/相鉄線いずみ中央駅隣接)

40周年講演会場テアトルフォンテ


*現在40周年記念ビデオを制作中です。高尾副会長より取材インタビューをお願いすることがあります。どうぞご協力をお願いいたします。
*先月に引き続き6月例会後も懇親会が行われました。あくまでコロナの感染状況を見ながらの判断となりますが、開催する場合は受付での声掛けを致しますので皆さん、ふるってご参加ください。