[横歴通信6月]例会開催


6月の例会参加者は82名(会員76名・新入会1名・ゲスト5名)でした。例会後の懇親会参加者は43名と相変わらず盛況です。先週、第一回目の古文書入門講座が開催されました。こちらの講座後の懇親会も講師を交えて和気あいあいと行われました。
 

新入会員

鈴木 春伸(スズキハルノブ)さん
中学時代に武田信玄の小説を読んで歴史にはまりました.中世史を専攻し、最近は子育てと仕事でほかに何か趣味を探したいと思っている時にホームページを見て面白そうだなと入会を決めました。よろしくお願いします。

 

 

 上野事務局長

 

本日発表予定であった長尾さんはご本人の都合で来月7月に行います。ピンチヒッターで真野さんに代わりましたのでご了承ください。
会報誌を受付で配布しています。余分に欲しい方は1部300円でお分けします。
6月1日に行われた古文書の勉強会は約30名の参加で非常に面白くわかりやすい講座でした。第2回・3回も申し込みいただければ参加できます。
パワーポイントの講座もまだ若干空きがあるので申し込んでください。
熊本会長が遅れてこられるので代わりにお話しします。
最近、人口問題が報道されました。出生率は1.20と過去最低であり、このままいくと76年後の2100年には現在の12400万人の人口が6300万人と半減する予想です。
古墳時代では日本の人口は60万人で、当時の世界人口2億人に対するシェアーはわずか0.3%でしたが、これに相当するレベルです。日本で一番人口が増えたのは応仁の乱から関ヶ原の戦いの頃でわずか130年間で2倍に増えました。さらに江戸時代の元禄期には人口は3000万人となり、世界シェア―でみると5%とピークを迎えました。日本の場合、軍事力は日露戦争の頃で、経済力は1970年ごろから2000年くらいまでがピークであり、人口シェア-・軍事力・経済力ともにピークは過ぎました。少なくなる人口の中でいかに質を高めていくかという議論が必要です。人口の推移をみているといろいろな視点で見ていくことができると思います。

横歴勉強会 古文書入門講座 第一回 開催

6月1日(土)横浜市歴史博物館において[初めて古文書を読みたい方]を対象に古文書入門講座が開かれた。講師は横浜歴史博物館の学芸員である仲泉剛氏。

仲泉 剛 学芸員

初日ということでまずは基本の説明から入る。優しい口調で、キーワードを口にして注意ポイントを印象付けていく。とても丁寧にゆっくり進めていくのでわかりやすい。講師の温かい人柄がうかがわれる。今まで何回か古文書講座を受けても、ついにものにならなかったが、今回は何とかなるかもしれないという淡い期待を抱かせてくれる。特に、読み下し文、釈文、原文へと何度も声に出して読むことが上達していく道だということである。次回の講座が楽しみである。

 

 

 

遠田千代吉さん・・・演題「龍になった大津皇子」

*中国・殷の甲骨文字から話を始めて、室生寺にたなびく霧の姿に龍を想い、二上山の大津皇子が水の神になったお話は聞きごたえがありました。丁寧で語り掛けるような話し方は遠田さんのお人柄を表しているようでした。
*「龍になった大津皇子」という謎の題名から遠田さんの大津皇子に対する愛ゆえのファンタジー?と一瞬思いましたが、実際に「薬師寺縁起」に大津皇子が謀反の疑いにより、無念の死を遂げ悪龍となり毒を吐き天下に害を及ぼすに至り、朝廷が義渕と修円という高僧二名を遣わせ祈祷、調伏に努めたと。
又、その際「一字千金」の呼び声により龍を鎮めた旨、その後薬師寺にて六十名あまりの僧による大津皇子の念を鎮める為の大般若経の転読をせしめたという文章が記載されていることを知り、不思議な気持ちになりました。大津皇子が二上山の麓に埋葬され、その山の周辺が水源で霧の発生が多いことから龍のような様を見ることがしばしばであったのでしょう。その水をもたらせてくれる龍と大津皇子が繋がり文筆に優れ、人々からの信頼も厚く、優秀な故につぶされてしまった不遇な彼を悼んだ人々の気持ちがこのような伝承を残し、今日までも薬師寺においての龍王社祭礼として祀られているという事を納得させられた発表でした。

高津正治さん・・・演題「河井継之助…改革者の成功と失敗から学ぶこと」

*河井継之助のご発表は成功と失敗の両面からしっかりと捉えた大変わかりやすい発表でした。理系卒で初めてと謙遜されていましたが、もはやベテランの風格で今後が大変期待されます。
*高津氏は初めての発表ながら実に落ち着いてユーモアも交えながら要領よく的を射た発表でした。長岡の現地の人に聞き取りもなさったとのことで、継之助の評価は藩制改革成功の功、戊辰戦争では長岡の町を灰燼に帰し大勢の犠牲者を出した罪に大きく分かれるという。現在の私たちの課題でもある「どうしたら戦争は避けられるか」についても触れられたが難しい問題である。始めは継之助は武装中立の方針であったが、新政府軍軍監で24歳若輩者、岩村精一郎との交渉において決裂、開戦にいたった。私は外交交渉は譲歩も必要、粘り強く進める、過剰な軍備は反発を招くのではと思った。

真野信治さん・・・演題「光らない君へ ~きらびやかな王朝絵巻の時代、しかしその裏では?~」

*とても面白かったです。「紫式部とその時代」という市民連続講座を受講しているので興味津々とてもたのしく聴かせていただきました。
実資の「小右記」読んでみたいです。
*大河ドラマの主人公道長の近辺の公家2人と妻2人に焦点を充てたとても興味深い発表でした。摂関政治の裏側を炙り出し道長を支えた「光らない」人たちがいたからこそ、彼の栄達が実現できたという視点は、さすが真野さんだと思いました。
*真野氏の発表は流石講演の場数を踏んでおられるだけに軽妙でテンポ良く、題材も今流行りの「光る君へ」を捩って「光らない君へ」であった。雅な王朝絵巻の隣には暴力的な武士社会があり、その代表には清和源氏を租とする源頼光、頼親、頼信、桓武天皇を祖とする平維衝などは「光らない君」でその子孫の源頼朝、平清盛の時代になって光ったという。光らなかった人はどうしてか?藤原隆家、藤原実資を例に挙げられた。藤原道長は何故光ったか。二人の貴種である健康な妻から六人づつ子どもが授かったからだという。摂関政治の全盛期をきづいたが、それぞれの妻の息子同士が対立し摂関政治は終わりを遂げたということで、驕れるものは久しからずか?
★真野氏の発表時に映像のみで写した図柄・系図等は「資料集」としてレジメ後半に付加して掲載しました。

*ホームページの【横歴 編集室】が「新・編集室のつぶやき」として新しいタイトルとともに掲載されました。今後、月一回程度、長田編集長のつぶやきが更新される予定ですので是非ご覧ください。
*横歴 会報「歴研よこはま」アンケートのご協力をお願いいたします。