[横歴通信9月]例会開催

「パリ郊外 ジベルニー・モネ庭園」にて


 

 

残暑と言うにはまだまだ真夏のように厳しい暑さの中、ご参加いただきありがとうございます。9月6日の例会参加者は79名(会員74名、ゲスト5名)二次会の参加者は38名でした。
例会での限られた時間の中では質問等もなかなかゆっくりできません。是非二次会にご参加いただき、発表者と語り合ってはいかがでしょうか。
きっと素晴らしく楽しい一日となることでしょう。

  熊本会長

こんにちは!暑い中ありがとうございます。台風の影響で少し気温が下がりましたが、今日はまた暑いようです。黒潮大蛇行が終息して秋の味覚のサンマが豊漁となり食卓に上るようになりました。
受付に宝井琴鶴先生の独演会のビラが置いてあります。当会では周年記念などで非常にお世話になっています。ご興味のある方はぜひ受付で申し込んでください。団体で多少割引になると思います。来月代金と引き換えにチケットをお渡しします。外を歩くとまだ暑いです。熱中症に気を付けていただき元気に会に来ていただきたいと思います。


琴鶴先生の講談は現在15名の申し込みがあります。まだ余裕がありますので是非申し込んでください。

真野 信治さん・・・・・演題「足利兄弟!」

来年の大河ドラマ「豊臣兄弟」の向こうを張って「足利兄弟」、いつも旬な話題に敏感な真野さんの発表です。
非常に仲の良かった尊氏と直義が観応の擾乱で、世紀の兄弟げんかに至るまでの経緯を説明。「勝てはしないが死にはしない直義」政治運営はうまく兄尊氏とは協力してうまくいっていたはずだった。「清水寺請願」でも尊氏が弟直義を気にかけているのが分かるのだが、高師直や養子の直冬が絡み対立してしまう。
後醍醐天皇の人となりや、尊氏が幕府側から寝返り鎌倉幕府滅亡までの経緯をたどり、大勢の御家人たちが‘幕府を倒す戦争‘ではなく‘幕府を牛耳る北条氏を倒し、より適任のものに挿げ替える戦争‘とした。資料を読み込み新たな解釈を試みる真野さんならではの発表に時間を忘れて聞き入った。
来年の大河ドラマは豊臣兄弟ですが足利兄弟のほうが面白いですね。物語としては面白いが人気がない。 絵の中の尊氏の断髪、ザンバラ髪も面白い。イメージが強烈です。
その時、御家人たちも尊氏一人を目立たせないよう共にするべく髪を断髪したと言います。
豊臣も秀長が長生きしたらどうなっていたかわからないです、世の中をもっと変えたとも言っているがひょっとしたら秀吉に歯向かったかもしれないですね。流ちょうな説明ありがとうございました。

(質)最後の話で鎌倉殿と言っていたのは鎌倉公方では。
(応)歴史的には鎌倉公方と言いますが当時の人は鎌倉殿と言いました。
 
井戸  登さん・・・・・演題「あなたも歴史能力検定に挑戦してみませんか」

今回が初めての発表となる井戸さん。自己紹介ではいろいろ挑戦したが長続きせず、岐阜城に行って見つけた日本百名城の本から城巡りが始まった。そこから城郭検定の受験に至り、現在は歴史検定に1級合格10回にチャレンジしている。毎日が楽しく勉強が苦にならないと話し目的を持つと強いと痛切に感じたそうだ。
レジメに準3級から1級の問題を抜粋して載せ、例会で試されるのかと戦々恐々としたが、幸いにも井戸さんが説明しながらの回答をしていただけた。
歴史能力検定のデータ(受験者数・ランクと合格率等)や問題例、受験の際の注意点や、参考書の紹介、出題傾向など多岐にわたり話された。
今後歴史検定の受験を考えている方には大いに参考となったことでしょう。
(質)覚えることというと受験を思い出してしまうのだが、今日は聞いていて楽しかったです。史跡を見たときに年代や知識などを知っていることで楽しみが勝るとか、見方が変わることはありますか。
(応)城などは典型です。知っていくのと知らないで行くのでは見方が全く違う、勉強して横矢と知ったので。調べれば調べるほど見方が変わり行った時間が有意義になります。

*側面からの攻撃を「横矢」といい、側面から攻撃することを「横矢を掛ける」といいます。そして、横矢を掛けるために壁や塁などに設けた構造を横矢掛かりといいます。


大変ユニークな発表でした。日本は検定が大好きで世界にはこんなにありません。あっても職業に結び付いています。趣味の世界では日本のようにはありません。江戸や鎌倉、奈良、京都といったご当地検定もあります。日本あんこ協会がやっているあんこ検定に受かると称号がもらえます。難易度が高いものに宮城マスター検定というものがあります。合格率は2%で合格すると宮城県の主な施設の割引が聴くそうです。現在当会で古文書の勉強会をやっています。来年以降も色々考えています。刺激になります、色々有力な項目が出ました。この中からさらに深堀したお話を聞かせていただけたらと思います。ありがとうございました。

 

瀬谷俊二郎さん・・・・・演題「大日本帝国崩壊Part3」

今回は前々回から始まった「大日本帝国の崩壊」part3になります。まずはそれまでの発表を丁寧にまとめて話されてから、日本がどう変わっていったかの発表です。ソ連の参戦問題から領土喪失、復員、飢餓、闇市、戦災孤児に至るまでを写真映像を見ながら解説。GHQが来てからの東京裁判から教育改革に至るまで、そして昭和天皇の人間宣言と戦後巡行について発表された。当時小学生だった瀬谷さんは暗記させられた教育勅語を今でもすらすらと話せます。戦争の悲惨さを体験者から伺う機会を持てたことを感謝すると同時に伝え続けていくことの重要さを改めて強く感じました。

(質)停戦条約と講和条約とは違い、9月2日は停戦条約でその後サンフランシスコで講和条約が結ばれています。昭和天皇の「あっそう」という言葉は昭和電工川崎工場に行ったときに、工員の説明に対してはじめて言った言葉ですね。
(質)大東亜戦争終結時にいて現在90歳です。戦前の教育を受けているので非常に意見はあるが長くなるので止めておきます。


昭和天皇の側近の話として、マッカーサーが来た時に昭和天皇は自分が戦争責任者といったことでマッカサーは非常に驚いたそうです。それから待遇が変わったとのこと。
後醍醐天皇や後白河天皇などは下の者に責任を押し付けています。日本の天皇は大体そうですが昭和天皇は戦争責任者だと自分から言っている。今後、歴史上もっと評価されてくるのではと思います。