

「青森: 三内丸山遺跡」 出典:青森観光サイト
青森県の三内丸山遺跡は1992年から発掘が始まりました。縄文時代への扉が大きく開かれた瞬間です。2000年11月に特別史跡に、2021年7月には三内丸山遺跡を含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。
代表的な大型掘立柱建物の六本柱を復元するための大きさの木が日本にはなく、ロシアから運んできたそうです。
縄文時代の村の生活がここで営まれていた、我々の祖先がここで暮らしていたことを考えると空の白い雲は時の流れとともに移ろいながらも、今も我々とともにあることが不思議に思えてなりません。
6月の例会参加者は 90名(会員 75名、新会員 1名、ゲスト 14名)でした。多くのゲストの方にご参加いただきました。ありがとうございます。
新入会員
両国 将志(リョウゴク マサシ)さん
高校の時に歴史研究会、大学では考古学研究会に入って、主に縄文遺跡の発掘などをしていました。一般企業に勤めたのでブランクは長いですがよろしくお願いします。

熊本会長
先日の台風6号は関東を直撃するとのことで、翌3日は電車の運休や公立学校の休校など事前に心構えとそれなりの対応があったので大きな混乱はなかったようです。川崎では商店街に排水溝の水が流れ込んで水浸しの様子がテレビで放映されていました。気象庁の線状降水帯情報を見て鶴見川が真っ赤に映っていたので様子を見ようと準備したら危険だと家族に叱られました。大過なく済んだようで何よりでした。皆さんのところは被害は大丈夫でしたか。また、二三日後にもミニ台風が来るようなので気を付けてください。野球も大谷が頑張っています。サッカーではワールドカップで48カ国が競い合います。皆さんも応援してください。
横歴勉強会
『仏像の見方』入門講座
『仏像の見方』入門講座の第1回目が 6月27日(土)開催されます。
講師:横浜市歴史博物館 学芸員 花澤 明優美氏
会場:横浜市歴史博物館 研修室 横浜市都筑区中川中央1-18-1
日程 全4回 毎回 14時~16時
費用:各回1,000円(当日徴収)
*受講される方は開始時刻までにご着席願います。
令和八年横歴日帰りバスツア*日本神話最強の武神を訪ねる旅*を終えて

5月24日(日)に横歴恒例のバスツアーが開催され、加曾利貝塚博物館、香取神宮、鹿島神宮を見学しました。
バスツアー初参加の小川眞一さんより感想が寄せられましたので掲載させていただきます。
20260524 「横浜歴研バスツアー記」 小川眞一
初めてのバスツアー参加でしたが、鹿島・香取の旅なので関心ある非会員の2名と同行して参加しました。見学で発見したこと写真と一緒に記してみました。バス内の解説や楽しい会話とアトラクション、ホテルでの美味な昼食など楽しいツアーでした。幹事様有難うございました。
加曾利貝塚
・全国の貝塚の内東京湾近郊に3分の一も集中していること。
・貝塚の周辺には貝があるが、真ん中のへこんだ場所には何もないこと。
・鹿の角を釣り針、銛、矢じり、装身具に使っていたこと。(鹿肉も食して感謝して神の使いになった?鹿島、奈良、諏訪では鹿は神の遣いである。)
・いろんな種類の貝を食べていたこと、ハマグリ、アサリの高級な貝を多く食していたこと。バカガイのようなものも食していたのか?
・火起こしに弓の弦を棒に巻き付けて木に穴をあけて火起こしをする実演展示
(弓道が武道であるが神事でもあることと関係しているらしい。狩猟採集民としての初期の武器のひとつ?)
香取神宮
・森の中の灯篭の参道
・12年に一度の式年の御船祭を今年4月に行ったこと。
・千木のない鳥居
鹿島神宮
・本殿が参道の正面ではなく、右側の拝殿の奥に鎮座している位置関係
・鹿島神宮の鳥居にも千木がない。(明神づくり)
・要石が香取の要石とつながっているらしい。水戸光圀が掘り起こしを一週間させたが掘り起こしができない巨石であることを知ったこと
・鹿島神宮の七不思議
(*写真は紙面の都合上、割愛させていただきました。)

金子 ユカリさん・・・・演題「歴史上の人物像はどのように作られるのか~
石田三成を例に」
過去に二回石田三成についての発表をされている金子さん。三成の家紋入りのTシャツとジャンパーを着て颯爽と登場です。研究のきっかけは大河ドラマを見て俳優の格好良さにひかれたことと、役者や脚本で三成像の印象が大きく変わったことだと言います。今回は過去の発表のように真の三成像に迫るのではなく、どのようにして人物像が作られたのかということに焦点を当て、「秀吉との出会いについて」「七将襲撃事件」「関ケ原の合戦と三成の最後」と三つの例をあげて、史実と逸話と時代背景から推察される三成像を中心に検証、発表されました。また三成に限らず、歴史上の人物を見るとき、研究するときに大切なのは「史料の性質」「製作者の意図」を見極めるとともに「時代の価値観」「時代背景」を意識することが重要であり、どのように語られ、史実と逸話はどうか、人々はどのように受け止めてきたのかという視点を持ち、今後も歴史の研究を続けていきたいとまとめました。


(質)”三成愛”溢れるお話しありがとうございました。私の三成像は時代が違いますが、石坂浩二の知的で誠実な三成像が頭に入っています。忍城では戦下手ではなかったということですが関ヶ原の前哨戦では殆ど負けているので攻略下手ではないかと。また、奥州仕置きがあったが三成の次男・娘が津軽藩にかくまわれていたのはどういういきさつですか。
(応)今回は人物像についての話なので細かいことについては・・・。子孫については長男は京都のお寺の住職に、次男は奥羽津軽藩に逃れ、家臣として仕えている。その子孫の杉山家の方にも会っています。三成の娘もそこにかくまわれて津軽信枚に嫁いだが、家康の養女の満天姫が正室となったので側室大館御前となり、その子供は津軽藩主になった。家康に嫌われていたなら子孫は残さなかったと思う。

歴史上の評価は難しい。江戸中期には庶民文化が発達して書物、講談、浄瑠璃、歌舞伎などで尾ひれがついて史実がどこかに行ってしまう。歴史散歩で行った紀伊国屋というとみかん船というが作り話で、材木商として財を成した。坂本龍馬の話もそうです。教科書の中でも坂本龍馬の話は出なくなってきている。できすぎた話は嘘が多く脚色して面白くしている。三成の異なった像の話をありがとうございました。Tシャツはどこで着るのでしょうか。
大中 捷行さん・・・・・演題「大中の姓と藤原鎌足」
今回初めての発表となる大中さん。5年ごとに新しいことにチャレンジすることを心掛けているそうです。古希の”食楽の探求”の時に、”下り藤”は藤原氏の家紋で自分の名前と中臣鎌足の関係を聞いたことをきっかけに、中臣鎌足について調べ始めました。鎌足の甥の意美麻呂が中臣氏で神事を司り、その子が大中臣の祖となり、藤原家との関係が深いことや、神戸の長田神社の神主が代々大中姓であることがわかり、家紋が古代史への入り口に、古代史への挑戦が中公新書から始まりました。神職の役人(連)から藤原の長(臣)へと、藤原氏の栄耀栄華は藤原の臣の名前から始まったことがわかります。中臣連鎌足は藤原氏の祖となることで奈良時代と平安時代の政事の世界で一大政治勢力となり、中臣氏は大中臣氏となって天神地祇の世界の一大勢力となった、つまり表の政治の世界と裏の祭事の世界の両方を支配していたとまとめられました。
(質)初めての発表とは思えない大したものです。質問ではないですが私の家紋が下り散ら藤(さがりばらふじ)で墓石にも家紋が彫られています。お寺の住職から家紋が彫ってあるのはあまりないと聞いています。
(応)藤原氏は下り藤の他、下り散ら藤の家紋もあります。龍角散にも下り藤の家紋が入っています。
(質)作曲家の大中 恩(おおなか めぐみ)さんとは何か関係はありますか。
(応)関係はありませんが音楽は大好きです。東京リコーダーに所属していて演奏会もあります。

家紋についてですが、後鳥羽上皇は菊が好きでいろいろなものにつけていました。菊がいつ皇室の御門になったかというと明治になってからです。家紋は不思議で、平安や鎌倉時代に武士や貴族が決めて、室町や戦国時代には家紋が爆発的に増え、敵味方の区別や自分の頑張りを見てほしくて付けました。江戸時代には特に規制はなく、一般庶民がつけて広まり、現代でも自由にできるが菊の御紋は商業登録はできません。家紋から先祖を訪ねるのは難しいので寺の過去帳とかがいいでしょう。藤原一族の神祇官の話を聞けて良かった。
(演者)古代史をやる人に。奈良時代以前は朝廷では文字を使っていない。大織冠に紫の色を付けたのは文字ではわからないため。奈良時代に仏教が入り、文字が使用される。書籍が一番多いのは奈良時代の日本で、古代の日本は文字がないので縛るものがなく、古代史を自由に考えられる。
木村 高久さん・・・・・演題「“女丈夫大浦慶”の実相に迫る」
毎回洒落を交えたユニークで笑いが絶えない木村さん、今回は長崎の三人の女傑の一人、大浦慶についての発表です。日本茶の輸出貿易商として有名なお慶さんだが、両親や兄弟などの家系は不明です。戸籍から解明することが難しいので大浦家墓所の調査を中心として過去帳などから推察された幼少期は幸せだったがそれ以降は家族に恵まれなかったようです。実家の油屋の専売が中止となり火事類焼で大打撃を受け、父が出奔と不幸が続くが、日本茶の輸出に成功して財を成します。勤王の志士の支援もしましたが「遠山事件」という詐欺に引っ掛かり借金を負い、信用も失墜していたが明治17年にユリシーズ・グラント大統領の長崎来日時に長崎県唯一の女性として招待をされ、またお慶の死の直前に、明治政府から功績を認められて、功労賞と金二十円を賜りました。政治家・講談師の伊藤痴遊は史実とは違うお慶の記述をし、面白おかしく話を聞かせればよいと書いているが、演者はこれについては処罰されるべきだと考えを述べました。遠山事件以降のお慶の空白期間について一部解明されいたこととして、横浜・東京に住んでいたこと、横浜製鉄所の貸し渡し、海軍所有の運送船高尾丸の払い下げなど、協力者の助けを受けて活躍しています。日本人として初めて製茶を海外に輸出し、信義を重んじ、誠実な取引を行ったお慶は外国商人からも評価され、日本に貢献したことは確かであるとまとめた。
(質)「講釈師見てきたような嘘をつき」というが、政治家で講談師の伊藤痴遊はただものではない、許せない気がする。洒落が色々出て、今日の話は全部うのみにしました。
(質)新聞の連載で朝井まかての『グッドバイ』を4年前に読みました。忘れていたので教えてもらえてよかったです。

長崎は女傑が出ます。外国人が入ったり、貿易や帳簿管理など環境があるのでしょう。伊藤痴遊の話も出てきたが、講談師は事実を曲げて面白く話すというということ。楽しい発表ありがとうございました。